食と栄養で日本はリーダーシップを
「ありがとうジャパン」の言葉を胸に
2021年12月、東京オリンピック・パラリンピックに連動する形で日本政府主催の「東京栄養サミット2021」が開催され、食と栄養問題への注目を集める契機となった。「国際母子栄養改善議員連盟」の事務局長として、関連政策のとりまとめなどを進めた今井絵理子参議院議員に、食・栄養をはじめとした国際協力への思いなどを聞いた。
参議院議員 自由民主党 今井 絵理子氏
1983年沖縄県生まれ。1996年、SPEEDのメンバーとしてデビュー。2004年に長男を出産し、2008年、息子の聴覚障がいを24時間テレビで公表。その後、NHK「みんなの手話」の司会、全国各地の特別支援学校や福祉施設でボランティア活動。2016年、参議院選挙に初当選(現在2期目)、内閣府大臣政務官を務める。難聴対策議員連盟幹事、国際母子栄養改善議員連盟事務局長。
<今井氏公式サイトはこちら>
SPEEDの活動で途上国を訪問
SPEEDとして活動していた10 代のころ、国連児童基金(UNICEF)のキャンペーンでベトナムの農村などを訪問する機会があり、日本との格差を肌で感じた。食べるものがない子どもたちもいて、ライブなどの収益の一部を寄付させていただいたこともある。12歳からお仕事をさせていただいて、普通の青春は送れなかった。しかし、その分、普通の中高生よりは海外に行く機会もあり、視野も広がったし、見えてきたこともある。そうしたことが今の仕事にすごくリンクしている。
息子に「きこえない」という障がいがあることもあり、政治家になる前、約10年間、障害者福祉に関わるボランティア活動を続け、インドやタイなども訪問していた。そうした活動を通じて山東昭子先生(参議院議員)とお会いし、「障害者福祉を充実させるためにも政治家にならないか」と声を掛けていただいた。
目の前の子育てと仕事、ボランティア活動に追われる毎日で、政治は遠い存在だったが、お話しをするうちに、生活に直結していることに気付いた。「1人のアーティストとしての発言ではなく、政治の世界に身を置いて中から変えるためにがんばってみたら」とも言われ、決断した。このとき息子は12歳。「息子や、同じ境遇の子どもたちによりよい社会の環境をつくっていきたい」という思いもあった。立場は変わっても、思いや、やっていることには変わりはない。
栄養サミットで知見を発信
事務局長を務めている「国際母子栄養改善議員連盟」は2015年、山東先生らが立ち上げた。その前々年の2013年、権威ある医学誌「ランセット」が、5歳の誕生日を迎える前に世界で約660万人の子どもたちが亡くなり、その45%、約310万人が栄養不良が原因で亡くなっているという報告を掲載した。その報告を受けて「日本でも何かできることを」と同議連が設立された。2021年に同議連の事務局長となり、12月開催の東京栄養サミットに向けて各省庁との調整を行った。
同サミットでは、日本が栄養改善に向け3年間に3,000億円の支援を行うことなどが表明された。どの分野でも省庁間の「縦割り」が課題となるが、大きな指針に沿って議連所属の113人の先生方をはじめ政治家が動き、各省庁が取り組んだ結果、過去に例のない金額のコミットに結びついたと思う。
金額以外の同サミットの成果の1つは、日本が戦後培ってきた学校給食や管理栄養士制度など、栄養に関する知見を、国際協力の中で発信できたことだ。
日本の学校給食がすばらしいのは、障がいのある子どもたちも含めて、それぞれの特性や障がいに応じた対応が心掛けられていることだ。噛むことができない子どもにはすりつぶした食べ物が出されたり、食物アレルギーのある子ども一人ひとりに寄り添った対応がされていたりする。これは「誰一人取り残さない食と栄養」に向けたすばらしい取り組みだと思う。
同サミットでは、企業の取り組みも注目された。たとえば日本ハム(株)は、同サミットのコミットメントとして「食物アレルギー関連商品の出荷金額拡大」や「植物由来のたんぱく質商品の拡充拡販」を表明。同社は約20年にわたって、アレルギーの子ども向けの製品を開発・販売している。
食と栄養は、あまり目を向けられていなかったが、今後より重要になっていく。アフリカなどへの支援に加え、障害者の食と栄養の問題も重要になっていくだろう。
=国際母子栄養改善議連の総会で司会進行する今井氏
特別支援学校廃止より選択肢を
国連の障害者権利委員会が2022年9月、日本についての報告書で、「長く続く特別支援教育により、障害児は分離され、通常の教育を受けにくくなっている」と指摘し、分離教育をやめるように日本政府に要請した。しかし、障がいのある子を育てたからわかること、長年のボランティア活動を通じて当事者の声を聞いてきたからわかることがある。
たとえば日本では、教育を受ける権利がしっかり担保されている。障がいがあっても、病院で入院生活を送っていても教育を受けることができる。今、不足しているのは、障がいのある子どもが安心して「希望する」学校に通える環境だ。課題はたくさんある。その一つが専門的な知識とスキルを備えた教員の養成だ。ろう学校であっても手話ができない先生が多い。学校を視察すると先生たちは多忙で、児童・生徒に対応するための研修もなかなか難しいだろうと実感する。
そうした中で進めたいのは、選択肢を広げることだ。特別支援学校をなくすことでも、特別支援学校を強制することでもない。子どもと親に選択肢を提示し、それぞれの子どもの状況に応じた適切な教育を受けられる環境を整えることだと考える。
思いやりとおもてなしが基本
私自身、障害者福祉に関わっていて、なぜ他国を支援する政府開発援助(ODA)が必要なのかと考えることはある。
しかし、私は日本を、自分の国のことだけを考えるような国にはしたくない。日本の「思いやり」や「おもてなし」を世界に発信し、世界と助け合っていきたい。「ジャパンファースト」という考え方もあるかも知れないが、人が一人では生きられないように、国も一国だけでは生きられないものであって、他国との協力も重要だと思っている。
だからこそ、日本としてできること、本当に効果的なものを検討した上でODAの予算は確保しなければならない。それを日本国民にきちんと説明して理解を得ることが重要だ。今まで栄養の分野は優先度が低く、ハードウェア産業の分野などが「日本すごいね」と言われていた。しかし、今はそういう時代ではない。栄養は、日本がリーダーシップを取っていくチャンスが大いにある分野だ。
海外で活動をしていると、「ありがとうジャパン」とよく言われる。その言葉がすごくうれしい。その子どもたちが大きくなったときに、日本のすばらしさ、ありがたさを理解してくれるようになったらいい。だからこそ、食と栄養の問題は、中長期的な取り組みとして計画的に進めていきたい。
本記事は『月刊 国際開発ジャーナル2023年1月号』に掲載されています。