【国会議員の目】衆議院議員 立憲民主党 青柳 陽一郎氏

議員外交と国際交流で「選ばれる日本」に
外国人材受け入れ制度は不断の見直しを

東南アジア諸国連合(ASEAN)と友好協力50周年を迎える今年は、日本とベトナムの国交50周年でもある(ベトナムは1995年にASEAN加盟)。東京・代々木公園で毎年開催されるベトナムフェスティバルを創設し、委員長として主宰している青柳陽一郎氏に、国際交流や国際協力、議員外交の意義などを聞いた。

衆議院議員 立憲民主党 青柳 陽一郎氏

1969年生まれ。小中高校時代を地元横浜で過ごす。衆議院議員松田岩夫事務所インターン、同氏の公設秘書、大臣政策秘書を経て、2012年衆議院選挙で初当選(現在4期)。党神奈川県連代表、衆議院内閣委員会筆頭理事。日越友好議員連盟などに所属。ベトナムフェスティバル共同委員長、チャイナフェスティバル事務総長。(特活)ICA文化事業協会会長。早大大学院公共経営研究科修了

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科学技術協定から大イベントへ 

 2006年、松田岩夫科学技術大臣(当時)の政策秘書を務めていたとき、日本とベトナムの間の科学技術協定の策定・締結に関わる機会があった。当時、日本企業の海外進出先は中国一辺倒だったが、次の進出先としてベトナムへの注目が高まっていた。そのころ、外交の在り方として、経済力や軍事力以外の要素に注目する「ソフトパワー外交」が言われていた。そのことから、大規模な文化交流イベントを企画し、関係者と調整を進めた。 

 2006年8月、首都ハノイと南部のホーチミンで「ベトナムジャパンフェスティバル」を開催した。東京スカパラダイスオーケストラや由紀さおり氏、梓みちよ氏のステージ、ヒップホップのダンス、踊りや茶、ちぎり絵などの日本の伝統文化の紹介、日本の少年サッカーチームと現地のチームとの交流試合など多彩なプログラムを展開し、日本からの参加者は900人を超えた。両都市合わせ、10万人以上の市民が来場するなど反響は大きく、日本ベトナム両国政府の共同文書で「両国の理解増進と文化交流に大きく寄与した」と評価された。 

 日越国交35周年の2008年に外務省から、「今度は日本でフェスティバルを開催したい」と協力要請があり、これが第1回のベトナムフェスティバル開催へとつながった。ベトナムから500人を超える出演者・参加者があり、開会式には当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)がご臨席された。来場者は10万人を超えた。両国関係者の評価も高く、定例化して毎年開催することが決まった。 

 同フェスティバルは、ベトナム政府が唯一公認する国外でのフェスティバルである。コロナ禍で多くのイベントが中止となる中、ベトナム側の「とにかく開催してほしい」との強い要請を受け、感染対策を万全にした上で開催を続けた。そこには日本で働く約46万人のベトナム人を勇気づけたいとの思いも込められていた。この人数は中国人労働者の約39万人を上回る*。 

 その後、ベトナムには多くの日本企業が進出した。当初は、組立工場のような形態が多かったが、ベトナム側が製品開発やIT分野に力を入れるにつれて、現地調達の比率が高まった。ベトナムは国策として中小企業の育成、産業人材の養成を進め、日本もこれに協力した。 

 2010年ごろには、「日本語や日本のものづくりを学びたい」という声をよく聞くようになった。ホーチミン市工科大学や金沢工業大学と連携して、2015年に越日工科大学の開学にこぎつけた。現在、同大学で3,000人以上の学生が学ぶ。すると今度は「卒業生が出るときには、日本企業などとの接点がほしい」との声が上がった。早くからベトナムに進出した総合商社、双日(株)と協力して、ベトナム人などの外国人材と日本企業を結ぶ(一社)外国人材支援機構を2018年に立ち上げた。 

 日本とベトナムの関係は非常に良好で、双方に、両国の友好を図る議員連盟もある。

 

=2022年のベトナムフェスティバルの壇上でスピーチする青柳氏

 

ベトナムに続いて日中の交流
 2016年、中国大使館から「ベトナムフェスティバルのように大規模な文化交流事業をやりたいので協力してほしい」との依頼が来た。当時の習近平政権は、日中関係の改善を図る動きも見せていた。日中国交正常化前、両国間の貿易開始を定めた「日中長期総合貿易に関する覚書」(通称:LT 協定)に日本側代表として署名した高碕達之助・元通商産業大臣が妻の曽祖父で、中国大使館の職員を高碕記念館に案内していた縁もあり、話が来たのだと思う。
 協力にあたって、2つの条件を出した。日中関係が悪化しても中止しないことと、一方的に中国の考えを押し出すことはしないこと、だ。程永華駐日大使(当時)から「その趣旨に賛同する」との回答があり、準備を進め、2017年9月、代々木公園で、最初のチャイナフェスティバルを開催した。程大使は、2019年の離任時のスピーチで、「イベントは日中交流の新たなページを開いた」と評価してくれた。
 ベトナム、中国のイベントに加え、2022年からは(特活)ICA文化事業協会の会長を引き受けている。コロナ禍で海外事業が実施できなくなり、活動継続が難しくなっていた。セミナーやイベント、国際会議を開き、立て直しを図っている。

国民と国民の関係こそ重要
 国会議員は非常に忙しい。予算確保に尽力したり、視察団を引率したりする議員はいても、国際交流や国際協力の実務に深く関わる議員はほとんどいない。日中交流を進めているとネットなどの評判は非常に悪くなり、票のことを考えれば、やらない方がいいくらいだ。しかし、私は3つの理由から、取り組みを続けている。

 第1は、かつて師事した松田先生の意思を継ぐため。第2は、ご縁があった人のつながりや友情を無にしてはいけないとの思い。そして第3の理由は、議員外交の大切さだ。
 私は、外交は外務省や外交官だけがやればいいという論には立っていない。外交とは人と人、国民と国民との関係であり、さまざまな層の人の付き合いが重なったものが最高の外交だと考えている。

 一方、政府開発援助(ODA)は、それとは少し役割が違う。ODAは、開発途上国の貧困解消や成長のために日本の資金や技術を提供し、インフラの整備などを行う。日本との関係が深まり、その国が発展すれば輸出入も活発になって、日本の国益にもなる。

 日本で働く外国人労働者の数は180万人を超え、日本はすでに「移民大国」である。東京などでは、飲食店やコンビニエンスストア、ビル清掃などの業種は、外国人労働者なしでは成り立たない。外国人が働きやすい環境でなければ、日本は外国人に選ばれる国ではなくなってしまう。技能実習や特定技能など外国人を受け入れる制度の不断の見直しも必要だ。そうしたことをせず、外国人の境遇が悪化すれば、社会不安にもつながり、社会的コストはかえって増大する。

 国際交流や議員外交、ODAを通じ、「外国人に選ばれる日本」のための努力を重ねていきたい。

*出典:厚生労働省「外国人雇用状況」の届出状況まとめ(2022年10月末現在)

本記事は『月刊 国際開発ジャーナル2023年6月号』に掲載されています。