2016年1月中旬。
鉄道案件の取材でインドを訪れた。
取材について、というより、
はじめてのインドで感じたことを、くだらない感想など含めて、書き綴ってみたいと思う。
「寒いよ」と聞かされていたインド。
1月中旬のデリーは、日本で言うところの11月下旬くらいの寒さだろうか。
冬物のコートを持っていって正解だった。
もうじき深夜を迎えるデリーは、霧に包まれていた。
「寒いし霧も出てるし、インドってこんな感じなのか」
迎えの車を待ちながらそう思っていた。
翌朝も、外にはまだ霧が。
だが、取材等で日本の方々にお会いする中で、重大な事実を知らされる。
霧だと思っていたものは、大気汚染だった。
つまり、PM2.5。
確かに、「夜霧」や「朝もや」というようなものでなく、
デリーは一日中真っ白、視界不良だった。
そんな訳で、5日間の滞在中、太陽はおろか、まともに青空を見られた日は一日もなかった。
毎日、取材を終えてホテルに戻ると、
吐き気を覚えたのは、ひどい大気汚染に急にさらされて、
体がびっくりしたからか、海外出張で気が張っていたせいだかは定かではない。
いずれにしても、あんなに目に見えて空気が汚れているのだから、
現地で暮らす人々の健康が心配だ。
きっと、日本の駐在員だって、家族と来たくても小さい子がいて断念したなんて例は山ほどあるんだろう。
健康に良くないのはもちろん、観光の面でもマイナスだ。
取材の合間に行けたデリー市内のお寺。
敷地内にはカメラの持ち込みは禁止なので、ちょっと離れた距離から撮ってみた。
が、かすかに遺跡の影が見えるだけ。
そんなこともあろうかと、敷地内に持ち込んだ紙とペンでスケッチをしていたのだが、
なぜかそれも没収され、ふてくされて帰った。
知識不足でよく知らないが、偶像崇拝はいけないということか。
あるいは、中で売ってるポストカードを買えということなのかもしれない。
次に少し鉄道取材らしい話を。
日本の支援で作られたデリーメトロは、本当に現地の人々の足だった。
私は16時ごろ乗ったが、学生たちの帰宅時間と重なり、超満員。
日本のラッシュ時とさして変わらない光景だった。
女性専用車両もある。
ただ、ここでは日本と違う光景があった。
デリーメトロには、ほんの数回しか乗っていないので、確かなことは言えないが、
見たところ、”女性は女性専用車両に”というような感じだった。
少なくとも私が乗った時間では、他の車両で女性を見掛けることはほとんどなく、
普通車両に乗り込んだ自分は、結構目立っていたと思う。外国人ということもあり、なおさらだった。
テロへの警戒から、街中では銃を持った警官をそこら中で見かけた。
デリーメトロの駅もしかり。
改札前には、荷物+ボディーチェックを待つ人の列があった。
自分はタイが好きでよくバンコクに行くのだが、バンコクのメトロなんかは、もっとてきとうなものだ。
金属探知機が鳴っても、ほぼスルー。
人通りの激しい駅で、入場者のチェックをするというのはなかなか難しい課題だが、
デリーメトロでは、漏れなくチェックが行われていた。
そのほか気付いたことと言えば、言葉だろうか。
定番の「ナマステ」に加え、「ありがとう」くらいは現地語で言えるようにと覚えていったが、
どうやら現地ではこれらは多用しないらしい。
例えば、運転手さんが車を脇へ寄せて、通りがかりの人に道を聞くとき。
日本ならば、「すみません」から始まり、「ありがとう」で終わるのが一般的だと思うが、
私が見たやりとりはそんな感じではなかった。
窓を開けたら、いきなり聞く。
2、3回の質問と返答を経て、運転手さんが納得したら、そのまま発進。
もちろん現地語が分かるわけではないが、おそらくそんなところだと思う。
それが良いとか悪いとか言うことではなく、
文化とはおもしろいなと思った。
逆に、どんなシチュエーションで「ありがとう」と言うのかも気になる。
英語でも理解し合えるが、現地語が分かると、社会の、文化の中に入れる、そんな風に思うのは昔から変わらない。
私が、取材で出会った人やら、運転手さんやら、道端で見かけた人について、
「インドの人は」と言うように、
彼らにとっては、私の言動一つ一つが「日本人は」ということになるのだと思う。
そうして、こうやって何らかの形で外に発信したりするのだから、
個人間の異文化コミュニケーションとは言え、ある意味、国の代表なのだと思うのだ。
だからおもしろいし、だから難しい。
最後に一つ。
インド建国の父、ガンジーの博物館を訪れたのだが、
ガンジーの寝室で、枕元にちょこんと据えられた「三猿」の置物に出会った。
何も知らない私は、「日光の”見ざる、聞かざる、言わざる”がなぜここに!」と、とても驚いた。
聞けば、三猿の起源は何を隠そう、インドの叙事詩ラーマーヤナにあるという。
「邪悪なものを見ず、邪悪なことを聞かず、邪悪なことを言わない」
それは、ガンジーの生き方となっただけでなく、意外なことに欧米にも三猿は広がっているらしかった。
興味があれば、検索などしてみてほしい。
人の寝室の写真を載せるのは忍びないので、博物館の別にスペースにあった三猿の写真を載せてみた。
ニホンザルでない三猿をはじめて見た驚きは大きかった。
編集部 ゆざわ