金額×中身の議論が必要
日本は、国際社会に対し「平和」というものを積極的に打ち出していかなければならない。日本は貿易立国であることを考えれば、世界の国々との友好関係を維持していく必要がある。
日本の財政状況が厳しいなか、2005年に開催されたグレンイーグルズ・サミットでは、小泉首相(当時)が、「ODAの100億ドル積み増し」や「アフリカ支援倍増」を表明している。私自身、農林水産大臣を務めていた05年12月に、WTO香港閣僚会議の場で100億ドルの資金協力、計1万人の専門家や研修員の受け入れ、そしてLDC(後発開発途上国)からの輸入品を原則、無税・無枠とする開発イニシアティブを発表した。こうした日本が国際的な問題に積極的にコミットしていくという姿勢は、今も続いている。TICADⅣやG8洞爺湖サミットも、この流れを踏襲したものだ。また、環境問題に対する意識や取り組みの広がりを見れば、ODAに対する国民の意識も、決して低いものではないというのが私の認識だ。
こうしたなかで、07年のODA実績が第5位へと後退したことは非常に残念だ。しかし、ODA議論は金額だけの話ではない。中身も重要であり、両方を含めた議論をしなければならない。
自民党の特命委員会、「水の安全保障委員会」では、G8洞爺湖サミットなどに向け、提言をまとめようとしている。私がこの水問題を調べていくなかで感じたことは、日本の支援や技術力に対する評価が高いということだ。水分野での国際貢献はほんの一例ではあるが、きちんと成し遂げる責任感というものが日本人にはある。古い言い方かもしれないが、“技術者魂”というものが高く評価されているようだ。そうした日本人に対する途上国側の期待も高い。くり返しになるが、量を増やす議論とあわせ、いかに日本らしい援助をしていくかという“質”の議論も不可欠だ。
外交力強化とODA
日本がODAをやる意義は2つある。一つは、広い意味で世界の平和と安定は、日本の繁栄にもつながるということ。もう一つは、食糧やエネルギー資源、レアメタルなどを安定的に確保するためにODAを積極活用しようという、より直接的なメリットに基づくものだ。つまり動機となる入り口は2つある。もちろんODAは、双方がwin-winの関係で成り立つものだ。
日本が国際社会の一員として、しっかりとODAを実施していくためには、外交官やJICA職員なども含め、人員を拡充していく必要がある。06年に自民党の「外交力強化に関する特命委員会」から出された提言の柱は、まさに大使館の増設と人員の拡充であった。10年で2,000人規模の人員増を提言したが、昨今の財政難から必ずしも十分な成果は得られていない。とは言え、それでも少しずつ増えてはいる。こうした外交力強化の文脈のなかで、ODAを議論することが重要だろう。
途上国の人たちに日本で学ぶ機会を
日本はこのままでいくと“黒字倒産”しかねない。財政状況は厳しいが、経済規模は世界第2位で、個人資産もある。しかし、今の日本には活力がない。ことODA予算に関しては、ピーク時の6割にまで落ち込んでいる。こういう状況は日本にとっても、また世界にとってもいいことではない。
日本の外貨準備高が1兆ドル程度ある。今でも1兆5,000億円程度の運用益は出てはいるが、これをもっと積極的に運用していくことも必要だろう。
私の地元にあるJICAの帯広センターには、世界中から研修生が来て、日本の農業や都市計画などを学んでいる。その研修生が祖国へ帰り、10年後には中堅クラスの役人になっていたりする。20、30年前に日本で学んだアジアの人たちの多くが、今、その国の中枢で頑張っている。それがどれだけ日本にとってプラスになっているか。極めてソフト的なハードの投資だといえる。そういう意味で、世界中から多くの人に日本に来てもらいたいが、必ずしも日本は魅力ある国とはなっていない。国内的にも、また国際貢献の側面からも、技術や教育に対する支援は、別枠で予算が議論されてもいいのではないか。
『国際開発ジャーナル』2008年6月号掲載記事