9年間の「公の仕事」
外務大臣諮問のための「国際協力に関する有識者会議」(議長=渡辺利夫・拓大学長)は2月9日の第12回会合をもって任期2年の役割を終えて解散しました。
私と渡辺さんは2000年の「第2次ODA改革懇談会」、2003年からの「ODA総合戦略会議」、2006年からの「国際協力に関する有識者会議」まで、二人三脚で足かけ9年、一定の制約のなかでODAのあり方に苦言を呈しながら改革提言を行ってきました。
振り返ってみますと、「第2次ODA改革懇談会」では基本コンセプトとして「国民参加」を掲げて、官主導のODAを国民と共に実施していく方向を模索しました。ただ、残念なことは「国民参加」を具体化する方策まで踏み込むことができなかったことです。もし、この工程に移るならば、ODA実施プロセスに精通した専門家集団(実施機関経験者、ODAコンサルタントを含む)に検討の権限を付託したほうがより実践的だったと思う昨今です。
「ODA総合戦略会議」では具体的な仕事として、主要被援助国の「国別援助計画」の策定に取り組みました。しかし、よく考えてみると、それまでに国別援助計画が策定されていなかったことが不思議であって、援助関係者の怠慢を指摘されても抗弁できないと思いますね。緒方貞子・JICA理事長には「まだ、そんなことをやっているの」といわれた次第。ただ、国別の実施計画らしきものは、当時のJICAにもJBICにも存在していたようでした。その面での外務省と実施機関の風通しが良くなかったのではないでしょうか。
ODA総合戦略の意味
それにしても「ODA総合戦略」という真の意味は、国別援助計画の策定でなく、日本の長期的な国益を視野に入れたODAの戦略性を求めるものであったと、今でも思っています。しかし、これは外務省の領域というより官邸レベルというか、現下のODA司令塔「海外経済協力会議」レベルに属するものであるということで、断念するプロセスがありました。ほんとうは外務省と官邸(首相レベル)との中間に高度なアドバイザリー・グループとして総合戦略会議を位置づけしていたわけです。恐らくこうした発想は外務省だけでなく、広く霞が関の抵抗に会って沈没していたと思う次第です。それほどに、ODAは霞が関の既得権益になっていると思いますね。それを参議院予算委員会で開陳したものですから、「荒木を国会に出すな!」といったかどうかはわかりませんが、以来、役所の推せんは途絶えたような気がします。だからといって、それを気にしているわけではありません。自分の意見は活字にして配達していますから。
主体的日本を主張して
ちょうどその頃、私は「ODA大綱」の改訂作業にもメンバーとして参加しました。しかし、私には二つの点で不満たらたらでした。第1点は「旧ODA大綱」には日本の主体的な世界観がなく、世界の潮流に追従するという対米追従のような他律性まみれのトーンが強かったことです。したがって、第2点は、日本が主体性を発揮すれば、当然ながら日本の「国益」にまで踏み込まなければならない。ところが、「国益」という言葉をめぐって足踏みするようなムードがあったこと。しかし、結果は主体性をもって大綱を構成し、「国益」のほうは「国民の利益」という表現で一件落着しました。「国益」という表現を嫌う人びとには、太平洋戦争中の国家統制的な臭いがするようでした。改めて、日本の戦前はまだ終わっていないと感じましたが、もっと現行の「平和憲法」を信じて「国民の利益」を主張してもらいたいものです。
有識者の自由な意見を尊重した外務省
この時のもう一つのエピソードをご披露しますと、渡辺利夫・座長(拓大学長)が、「ODA総合戦略会議」のメンバーで「ODA大綱」を書くことを主張したことです。もっと国民が理解し易い文体で書こうよ、と訴えていました。この時は実現しませんでしたが、次の「国際協力に関する有識者会議」では、当時の別所局長(外務省国際協力局)の勇断もあって、その「中間報告」は委員に一任され、一字一句の訂正もなく、有識者のオリジナリティに任されました。これは、従来の政府諮問会議、審議会等の伝統からいって画期的な出来事であったといわれています。私は一貫して「官民連携」の必要性を強調しながら、具体的には新JICAのODAベースの民間投融資機能の創設を提案してきましたが、実は、活字にする最初の段階で当面から赤線が引かれていた部分でした。それでも主張し続けましたが、昨年末の世界的な金融危機で私の提案が幸いにも注目されるようになりました。
「官民連携」の「民」の範囲
「官民連携」で最後に一言。ここでいう「民」とは民間企業だけが対象ではなく、途上国で仕事のできるNGO・NPO組織、日本の大学、さらには地方自治体関係団体も包含すべきだと考えています。ケースによっては、企業とNGOとの連携とODAとが連携することも大いに可能だと思います。すでにアメリカの国際開発庁(AID)は「グローバル・デベロプメント・アライアンス(GDA)」メカニズムでNGOとジョイントし、そのうえでNGOが民間企業と連携する協力形態をとっています。この方式の前提条件は、途上国援助計画を立てられる強力なNGOが存在することです。その点、現状の日本に適合するかどうか要検討ですね。日本とアメリカではNGOを育てる法的、精神的土壌が比較にならないほど異なっています。市民社会の育ち方が違いますからね。