食料倉庫の前でほほ笑む一人の青年(写真上)。現在、国連世界食糧計画(WFP)のドライバーとしてケニアの難民キャンプで活躍中のザブロン・モカヤさんだ。
「今の自分があるのは、タカコのおかげ」――約20年前、地方の小さな村の中学生だった彼(写真〔下〕中央)は、成績は優秀ながらも学費が払えず、退学寸前に追い込まれていた。だが、1987~89年に青年海外協力隊の理数科教師として学校に派遣されていた“タカコ”こと中村(旧姓原田)貴子さんが費用を肩代わりしてくれ、通い続けることができた。
ケニア西部キシイ県キメラ村の中学校で生徒の理数科を学ぶ意欲を高めるため、実験を重視した物理などの授業を行っていた中村さん。しかし現地では「年間5000円ほどの授業料が出せず学校をやめる子が大勢いた。特に勉強熱心で優秀なザブロンのような生徒が、お金がないだけで学ぶ機会を絶たれてしまうのが残念でならなかった」。また、厳しい境遇にあっても懸命に生きる子どもたちの姿を目にし、自身を見つめ直すきっかけをもらったからと支援を始めた理由を語る。
同国では、初等教育は無料だが中等教育は学費がかかり、貧しい家庭の子どもたちは学校に行けず、中等教育修了時の国家試験も受けられない。日本以上に学歴社会であるため、この試験の成績が進学の可否を決定し、就職、昇進、給料にまで影響する。
とはいえ、すべての生徒を支援することはできない。悩んだ中村さんはJICAの奨学金制度があるふりをして、ザブロンさんを含む数人の成績優秀者に学費や教科書を与えた。時には「お金より仕事がほしい」「一部の子どもに対するひいきだ」と言う生徒や教員がいて支援の難しさを感じたが、「まいた種がいつかどこかで実れば」と個人的に援助を続けた。
帰国後も、自動車の専門学校に通うザブロンさんに学費を送った中村さん。結婚・引っ越しを機に音信不通になってしまい心配していたが、昨年、WFP日本事務所を介して十数年ぶりに連絡があった。「あのときタカコに会えなかったら今の自分はなかったかもしれない。タカコに助けてもらったように自分も困っている人の力になりたい」と彼は話す。
中村さんいわく「隊員から個人的支援を受けた人はほかにもたくさんいる」。83年に隊員有志が始めた奨学金活動、KESTES(Kenya Student Education Scholarship URL:http://www.geocities.co.jp/NeverLand/1817/)は、ケニアの協力隊やそのOB・OG、JICA職員、ケニア在住の日本人などの寄付で成り立ち、これまで400人以上の子どもが奨学金を受けた。そんな彼らもザブロンさんのように感謝の気持ちを胸に、きっとどこかで頑張っているだろう。
(注)現在JICAでは、現地でのボランティアなどによる個人的な金品の支援は防犯上注意が必要であることなどから、奨励していない。