銭其琛氏と会う
8月2日の続編を書きたくなりました。
実は1980年春に北京を初めて訪れて、人民大会堂で谷朴副総理にお会いした夕刻、中国外交部新聞司長(情報文化局長)・銭其琛氏(後に副総理になる)による歓迎夕食会が催されました。その時、日中平和条約交渉、その後の日中経済協力協定交渉で活躍したベテランの通訳官(日本語)が同席してくれました。その中の一人、周さんという人(田中首相だったか、大平首相だったか忘れましたが、どちらかの通訳を務めた人)が私の通訳を担当してくれました。
中国は西欧の源流に学びたい
私も40歳代で血の気が多かったせいか、銭氏の「日本の技術は亜流だ。もし学ぶならば源流の西欧に学びたい」という発言にカチンときて、「亜流がなんで悪いのか。亜流といえども、日本は亜流といわれる技術以上の技術を目指して研究を重ね、今では源流の本家本元が驚くほどの技術に磨き上げている」と食い下がりました。彼は日本の明治以来の西欧に学んだ日本近代化史がアジアの近隣を戦争に巻き込んだことへの指弾を行いたかったのではなかろうか、と思いましたが、双方とも燃えて論争が燎原の火のように広がりました。
しかし、論争の原因は私がナショナリズムに燃えて、日本の技術水準をほめたたえたことにあったと思います。それが、苦境にあえぐ当時の中国人には一種の屈辱として捉えられたかもしれませんね。いずれにしても人は謙虚でなければなりません。
中華文明論
最後には素人の文明論にまで発展して、私が「中国の中華思想を産んだ中国文明も、長い歴史のスパンでその源流をたどると、ヨーロッパ文明のようにギリシャ、エジプト、ローマ文明の影響を受けているかもしれない。日本はユーラシア大陸の東端で、多くは中国だが、西からの文明的影響をもろに受けた国だと思う」と言うと、なんとなく、その場は和らいだようでした。しかし、誇り高き華人の銭其琛氏は内心おだやかではなかったと思います。
(2010年8月6日)