カザフスタンの知識人が見た日本
広島の原爆資料館で涙した婦人

カザフスタンの経済大学理事長
9月9日、カザフスタン経済大学理事長のDr.Serik Svyatov(スビャトフ)夫妻と新宿の夜景を見ながら会食しました。カザフでも大学の独立行政法人化が進み、スビャトフ氏は銀行家でありながら、大学の理事長(経営トップ)も兼務しています。
なぜ彼と会食したかというと、私はJICA「日本センター」(ベトナム、カンボジア、ラオス、モンゴル、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス、ウクライナ)の支援委員会委員長(無償)を10年ほど務めており、カザフスタン日本センターはカザフスタン経済大学内に設置され、共同運営されているからです。10月からは、日本経営講座のみならず、企業振興プロジェクトも進める予定です。

スビャトフ氏は初めての日本訪問でした。日本の伝統文化が凝縮された京都を堪能し、どうしても訪ねたかった広島ドーム、原爆平和記念資料館などに足を運び、通訳者によると二人は原爆の被害者の写真を見て涙していたそうです。
彼らの国にも、ソ連時代の1949年の第1回核実験以来、セミパラチンスクでの合計500回近く核実験が行われ、放射線汚染が周辺に及びました。スビャトフ氏の奥様は立派な遺伝子研究者でもあるので、広島を訪ねて、その思いはひとしおではなかったかと思います、私にはカザフの原爆実験の被害者への日本からの救済に対し、涙をためながらお礼を述べていました。日本とカザフはウランなど資源の取引きにとどまらず、原爆被害という共通のもっと深い関係が存在していることに気がつきました。
セミパラチンスクには、広島大学原爆放射能医学研究所や長崎大学医学部の研究者による日本政府調査団が派遣され、核実験と住民の放射線被爆実態調査が実施されました。さらに、核兵器の廃棄に係わる協力の枠組み下で被爆者支援として、放射性物質測定機器や診断装置、遠隔医療診断システムなどが供与されています。

国の造り方
それから談論風発しました。その中から2つの話題を紹介したいと思います。1つは、「国の造り方」の問題。私が4年ほど前、カザフでマレーシアの「Look East Policy(東方政策)」を講演したとき、一人のカザフ人は「同じイスラムの国で近代化を成功させているマレーシアは、われわれの国造りのモデル国家だ」という話をしましたら、彼は「いや、それは違う。イスラムはカザフの一部であるが、私たちはむしろ、アメリカでもない、ロシアでもない、中国でもない独自の国造りを目指している」と強調します。たしかに、人口が少なく、広大な国土(地下資源は豊富かもしれないが、農牧には適さない国土)という条件の下では、まさに独特の国を造らなければなりません。最大の関心は工業化ですが、技術のR/Dなどの発展条件を考えると、難問山積だといいます。その意味で、“技術立国”日本がお手伝いできる余地は大きい。技術をシステム輸出化すれば、日本の新しい生きる道も拓けるのではないでしょうか。
日本は明治時代から日本の国土の農業では人口4,000万人を食べさせるのが精一杯でしたので、日本人口の3~4倍は食べさせることのできる工業化に邁進したというと、カザフも同じ悩みを持っているという。

なぜか北方領土問題を聞く
二つ目の話は、なんと驚くなかれ、日本の北方領土の問題です。彼はなぜか北方4島をすらすら述べます。なぜ、交渉はうまくいかないのかと質問します。日露平和条件はちゃんと結ばれたのかと迫ります。思えば、カザフスタンもロシアとの国境問題で苦労している国です。スキあらば、領土の拡張を押し進めるロシアという一種の恐怖感、不信がロシア周辺国に根深いことを知りました。
そう言われれば、日本は領土意識が淡白ではないでしょうか。今では北方だけでなく、韓国、中国との領海争いでもやや引き気味なのは気になってしまいます。カザフスタン人に言われて気があせるのも変な話ですね。