「タグボート」援助論
プロジェクト発掘者を求む

水先案内人
外務省国際協力局長の佐渡島氏は、今、しきりに開発協力における“タグボート論“を語ることが多い。ご存知のように、タグボートは狭い水路を航行する大型船が安全運航できるように誘導して、水先案内する小型船舶である。東京湾では、横浜港から出航する大型客船やタンカーの水先案内をする姿を見かける。

タグボートとは開発協力において、大型開発プロジェクトを仕立てて、それに本格的に取り組む大型企業集団につなげる水先案内人、つまり開発プロジェクト発掘・形成人のことを指している。それらは、小・中型プロジェクトの場合は、NPOの場合もあり、今流行のBOPビジネスのケースもあるだろう。本格的な総合計画的なケース、また単独の大型プロジェクトの場合は、計画の青写真書きなどでは開発コンサルタント、人脈形成、政治的交渉などは総合商社が出番となろう。

先行企業利益と一社支援
しかし、後者の場合は1960~70年代はごく普通に展開されていた。当時、円借款という開発協力はタイド(ヒモ付き)だったので、商社を中心に競ってプロジェクトを見つけ出して、海外事業にしていた。入札は一応行ったが、プロジェクトの先行・仕掛人が先行利益を得るようになっていた。ある意味で、節度ある業界秩序が守られていたが、国家は意義のあるプロジェクトの場合には政治家の指示、行政的な指導も加わっていたので、全体的にはオールジャパンの体制下にあったといえる。
なにしろ、開発協力における大型案件を円借款等の融資対象プロジェクトにまで育てるには、普通で5~8年もかかるので、その間のコスト負担も大きい。そうした先行投資が一般競争入札で一瞬にして反故になれば、先行企業の損害は測り知れないほど大きくなる。こうした一種の不平等を是正するために、政府の指導も入り、水面下で業界内の話し合いが行われていた。結果として、「一社支援」が実質的に実現していたのである。現在は透明性が重視されているが、当時は欧米との競争に勝つことを国是にしていたので、経済界の戦闘体制は常に外向きであった。

裸の王様日本
ところが、時代と共に日本が経済大国になり、「勝つ」ことより「モラルを守る」ことを重視する時代に移行するにつれて、先行投資者の利益が守られなくなった。先行投資しない後発企業が、先行企業より安値落札を行って、先行企業の利益を結果として横取りするケースが増えるにつれて、当然ながら先行投資企業は年々減退し、商社の中の“仕掛人”と称される一種のプロ集団も存在価値を失っていった。
たとえば、資源確保でも他国に比べ遅れを取っている。資源確保、大型案件取得という国家的な意図が極めて薄い日本にあって、企業も企業の中の仕掛人たちは“日の丸”を掲げて闘う気概を失いつつある。1980年代に世界一の外貨準備高を誇っていた頃、政府は資源を1,000に3つ(石油開発)という非合理的な投資をやめて、キャッシュで買えばよい、と言い出し、資源確保(食料を含む)が国家戦略的であるにもかかわらず、国家の安全保障体制に組み込もうとしていない。まさに、「裸の王様」日本である。