中国に仕掛けられた汚染水
第10回太平洋・島サミット(PALM10)が7月に東京で開催された。ここでは、これまで海洋国家日本が辿って来た海洋トラブルの歴史を取り上げてみたい。
それは、一つに多核種除去設備(ALPS)処理水の海洋投棄(放出とも言う)の問題であると言える。ALPS処理水とは、東京電力福島第一原子力発電所の建屋内にある放射性物質を含む水から、トリチウム以外の放射性物質の安全基準を満たすまで浄化した水のことである。
トリチウムについても安全基準を十分満たすよう、処分する前に海水で大幅に薄め、その濃度は国の定めた安全基準の40分の1未満になるよう処理されており、経済産業省も環境や人体への影響は考えられないと説明している。
ところが、これに対し、太平洋地域から批判の狼煙(のろし)があがった。批判側の一番手は、海洋進出を狙う中国である。そしてその中国に引きずり込まれるように、太平洋の地域協力機構である太平洋諸島フォーラム(PIF)が続いた。
中国はALPS処理水を“核汚染水”と呼んで、太平洋諸国の反日運動を仕掛けたと言われている。中国は太平洋諸国を味方につける絶好のチャンスと考えているからである。
太平洋島しょ国には、過去に欧米の核実験にさらされているだけに、原子力へのアレルギーが堆積されている。だから、太平洋諸国は、中国の“核汚染水”という宣伝文句に振り回されたと見られている。ところが、太平洋ムルロア環礁でのフランスの核実験にさらされたニュージーランド、オーストラリアも批判的で、国連総会でも非難しているので反核意識は南半球に広がっていると言える。
そういう状況だから、中国にLPS処理水を“核汚染水”だとあおられると、太平洋島しょ国にとっては、不安要因が積み重ねられるばかりとなる。この時点で中国に喧伝された“汚染水”というイメージがじわじわと南太平洋に染みわたり、それが戦略的な虚報だとわかっていても、日本への外交手段として、利用価値が高いと思う国が太平洋地域に増えたと言われても不思議ではない。
核アレルギーの太平洋地域
とにかく核アレルギーの強い南太平洋地域だけに、“核汚染水”と言われると、本能的に拒否反応が起こりがちだ。いずれにしても、日本は広報戦略を含めて、外交的に敗北していると言われても反論できないだろう。そうした中で、日本は今回のPALM10で、どういうことを提案するのか、名誉挽回という意味でも、その行方が注視された。
そこで次に、問題の発端となったALPS処理水の歴史を少々追跡してみたい。時代は1979年にまでさかのぼる。その頃から、日本国内の原子力発電所から出された放射性廃棄物を日本に近い公海に投機しようという計画が発表されるようになった。ところが、この頃から南太平洋フォーラム(SPF)による非難が生まれている。それが、親日的なパラオなどのミクロネシアにも波及することになり、1985年には、中曽根康弘首相が初めて太平洋島しょ国を公式訪問することになったが、それに先立って、日本政府は放射性廃棄物の海洋投棄計画を無期停止することを明らかにした。
他方、欧米の核実験にさらされてきた太平洋諸島にとっては、核実験は言うまでもなく、放射性物質の投棄なども極めてセンシティブな問題なのである。だから、日本のALPS処理水問題も、太平洋諸島にとって同じように極めてセンシティブな問題と見られている。
少し過去にさかのぼってみると、2021年4月13日におけるALPS処理水の海洋投棄計画も、南太平洋諸島の猛反発にあっている。そこには日本の太平洋島しょ国地域に対して、海洋投棄計画がなんらの相談もなく実施されたという南太平洋地域の不快感が見てとれる。
さらに、日本政府が約束した「検証可能な科学的証拠」が提示されないということで、日本を太平洋諸島フォーラムの重要なパートナーとする諸外国メンバーから除外することも辞さないと言われたこともあった。そこで、太平洋諸島側は2023年2月に日本政府と討議し、岸田文雄首相との会談の中で、独立した専門家によって放出に安全性が科学的に証明されるまで、計画を一時停止するという言質を取り付けている。
小さな国の大きな力
このように、ALPS処理水の問題は、太平洋諸島をめぐる国際政治に巻き込まれてしまった。その背景には、先にも述べたように、ALPS処理水を“核汚染水”と誇張する中国の政治戦略に日本が呑み込まれたからだと言われている。ここでも日本の国際政治への戦略性のなさ、先見性のなさが露呈されていると言える。
したがって、今回の太平洋・島サミットが大いに注目されるのである。多くの日本人は、太平洋地域を小さな島々の集まりだと見ているフシがあるが、その小さな島々は、国連の場で一票の価値を有している。よって、国連外交では一つ一つが大きな存在となっているのである。小さな島国といえも国連外交、地域外交で貴重な一票を有している。だから、国連は言うまでもなく、太平洋域内外交においても、その存在価値は高いのである。ゆえに、私たちは国際協力においても以上のような問題意識で太平洋小国との連携意識を高めるように協力する必要がある。
一時、中国は国策的な太平洋諸島への観光を展開していた。筆者が2020年頃にパラオで経験したことがあったが、コロール島のどのホテルも中国人観光客であふれていた。ハルピンから来た客から聞いた話によると、国からパラオ行きの航空券が渡されてやって来たと語っていた。
おそらく筆者の会った中国人は、中国政府のパラオへの観光戦略の一環に組み込まれた観光客だったと思われる。従来からの台湾の観光客は小さな存在だったが、パラオは従来通り台湾の観光客を大切に扱っていた。
ところが、最近ではソロモン諸島が中国と安全保障協定を結ぶなど、中国の外交展開が注視されている。ただ、ソロモン諸島はオーストラリアと安全保障協定を結んでいて、それを破棄したわけではない。その辺が小さな島国といえども、したたかである。そのことは、日本も心しておく必要があろう。(執筆にあたって、太平洋協会の資料を参考にした)
※国際開発ジャーナル24年9月号掲載
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