設立60周年を迎えた海外コンサルタンツ協会|羅針盤 主幹 荒木光弥

協会創設の時代

一般社団法人海外コンサルタンツ協会(ECFA)の創設60周年を祝う会が5月3日、東京・新橋の第一ホテル東京で開催された。会長の米澤栄二氏(株式会社オリエンタルコンサルタンツグローバル・代表取締役社長)の開会挨拶に続いて、関係省庁(国土交通省、外務省、経済産業省など)、国際協力機構(JICA)理事長、そして政治家が祝辞を述べた。

それではさっそく、海外コンサルティングの歴史をたどってみよう。海外コンサルタンツ協会の創立は1964年(昭和39年)3月9日。初代会長は、協会設立の創案者でもある日本工営株式会社社長の久保田豊氏。そこで、次に同氏の歴史的な足取りを少し追ってみることにした。

久保田(敬称略)は戦前(第二次世界大戦)の朝鮮半島における電源開発の経験が、戦後も高く評価され、吉田内閣の海外経済調査会のメンバーとなり、鉄鋼業界の要請で、インドのゴア鉄鋼鉱山の調査に参加した。これで久保田は日本工営が技術系コンサルタントとして国際的に競争できるという確信を得たとみられる。そうした中で久保田は発展途上国の開発援助を目指して、海外展開できると判断したのであろう。

こうして、1953年(昭和28年)9月、久保田はまず世界を見ようということで、借金をしながら世界視察旅行に出かける。その辺の発想が他と大いに異なるところである。ビルマ(現ミャンマー)、インド、パキスタンを経て、ヨーロッパへ向かい、パリから中南米と世界一周を果たす。久保田は本誌との1968年9月20日のインタビューで「世界一周は借金旅行だったけれども、仕事が無限にあることを知った」と語っている。久保田は恐らく、眼下に広がる無数の大河を見るたびに、多くのダムを築く夢を抱いたに違いない。「一つのダムで多くの人々の生活を豊かにすることができる。それを実現するのが私の本懐だね」と誇り高く語る姿は今でも忘れることができない。時代の大きな流れの中で久保田が世界旅行をした1953年(昭和28年)といえば、吉田内閣が「アジア諸国に対する経済協力方針」を閣議決定した年で、翌54年にはアジアを中心とした英国主導のコロンボプラン(援助計画)に、日本も参加することになった。実は、これが日本の技術協力の始まりとなったのである。つまり、1962年の海外技術協力事業団(OTCA:JICAの前身)の発足へと歴史はつながっていったのである。

そして、その2年後の1964年(昭和39年)には、社団法人としての海外コンサルティング企業協会(ECFA)が、久保田の発案で創設されたのである。

当時の国際環境を見ると、同年3月に第1回の国連貿易開発会議(UNCTAD)が開催され、途上国援助が国際社会にビルトインされる契機がつくられた。日本はOECD(欧州経済開発協力機構)に正式加盟したが、OECDの援助窓口DAC(開発援助委員会)からは、日本のODAに対し「ひも付き援助(タイド)」との厳しい批判を受けることになる。その背景には、急速に伸びる日本の援助(ODA)が輸出振興の手段になっているとの反発が強くあったからであろう。

ECFA設立後の翌1965年(昭和40年)には、青年海外協力隊が設立される。そして、国際的にはインドネシアで“9・30事件”という革命騒動が勃発し、それまでのスカルノ政権が倒れ、軍人のスハルト政権がその後継者となって、長期にインドネシアを独裁的に支配することになった。9・30事件前後では、日本工営など日本の援助現場から優秀な現地指導者が突然、反乱の嫌疑がかけられ、姿を消すといったハプニングに遭遇した。

そうした時代を経て、東南アジアではベトナム戦争に巻き込まれることを避けて、最初の集団安全保障を目指す5 カ国によるASEAN(東南アジア諸国連合)が結成されるのである。

大切な洞察力の涵養

以上が、ECFA創設前後のだいたいの歴史であるが、ここで、1968年(昭和43年)に戻り、当時、本誌に語った日本工営社長・久保田豊氏の発言をフォローして当時を振り返ってみたい。

「私は“親方日の丸”という考え方が一番嫌いで、いくらでも金が出るということでは、会社も国家も発展しない。国家の仕事も企業家的採算を度外視しては成り立たない。事業がどれだけペイするか、どれだけ利潤が上がるか、どれだけの期間にできるか、ということを調査設計しなければならない。これを嫌と言うほど味わわされた。どの国で仕事する場合でも、その国にとって有益なもの、その国にとって重要度の高いものでなければ、着手しないという方針をとってきた」

以上、ECFA設立60周年に際して初代会長とのインタビューを紹介してみたが、60年の歳月を経た今日でも、その開発コンサルタント魂は、極めて健全で、学ぶところが多いのではなかろうか。なかでも、開発コンサルタントとして世界を見る目、その国の発展を見る目線は今も変わらないはずである。開発コンサルタントは開発協力の現実を客観的に観察し、開発計画を提案するだけでなく、次の時代への洞察力をもって、未来へ提言する鋭い観察力が求められる。

それは、またJICAなどコンサルティング業務を発注する側の時代を見抜く力、また、援助対象国の将来を見抜く洞察力の涵養にも深く関わる問題ではないだろうか。つまり、援助する側の資質が問われているのである。

なかでも大きな問題は、途上国の援助ニーズを官ベースで発掘して、援助プロジェクトを形成、実施するという官主導の援助の在り方に潜んでいるのではなかろうか。

実業に携わっている民間人の時代感覚は、その時代のニーズを的確に発掘する能力に長けている。だから官ベースの案件形成だけでなく、民間ベースの案件発掘・形成のほうが、より大きな援助成果が期待できるのではなかろうか。

しかも、民間ベースの案件形成は、最初から案件の成功を目指して必死に準備されることが前提である。だから、援助の有効性が一段と高まる可能性が高い。そして、その実現もスピードアップされる。

最近、援助の流れがスムーズに進展していないという声が聞かれるが、さきにも述べたように、官ベースが強まれば強まるほど、援助のますますの遅滞が考えられる。

とにかく、援助案件発掘からその実施までのシステムの官製強化は援助の流れを悪くするだけでなく、その効果も減退させるのではないかと将来が懸念される。

※国際開発ジャーナル 2024年8月号掲載

Follow me!

コメント

PAGE TOP