デモの本質を探る
中国では尖閣諸島の領有権をめぐり大陸内部の重慶、武漢でも「反日運動」、「日貨排斥運動」が頻発しています。あれほどの中国内陸部で日本海のアワ粒ほどの島々をどこまで知っているのか、疑問を抱きながら学生たちのデモの本質を、私の過去の経験から推測してみようと思います。
1972年のタイ「反日学生運動」
私は1970年頃からタイの首都バンコクを、長期滞在も含めてちょくちょく訪れていました。そのたびに、学生運動と遭遇してタイ全国学生センターのチュラロンコーン大学やタマサート大学のエリート学生と会ったものです。1972年の彼らの主なテーマは「タイと日本の片貿易是正」問題で、「日本商品のボイコット」、「日貨排斥」が学生デモ隊のシュプレヒコールとなって街中に響きわたっていました。呼びかけ人はタイ全国学生センターで、その動員力は抜群でした。一時は40万人をバンコクに集めました。
日・タイ間の片貿易は是正するとしても、タイの農業産品と日本の高度な精密機械の交易では勝負になりません。タイのタノーム=プラパート政権はそれを承知の上で、その代替として日本から多額の経済協力(円借款)を引き出そうと画策していました。タノーム政権にとって、対日学生運動は都合の良い日本への圧力になると考えていたようです。
学生の狙いは政権打倒
だが、学生たちは別な戦略を考えていました。本当の狙いは反日運動ではなく、タノーム政権打倒のようでした。学生たちは巧みな戦略を考えていたと思います。いきなり政権打倒を叫ぶと、間違いなく力でねじ伏せられる。だから、反日運動を叫びながら、各地の学生をバンコクに糾合させて体制を整え、ある日、一気に反タノーム運動へ転進する方針を立てていたように思います。
タノーム崩壊の詳しいプロセスは除きますが、結果として1973年10月14日、学生と警察との衝突で死者77人、負傷者444人という多大な犠牲者を出してタノーム内閣は総辞職に追い込まれます。タイではこれを「10月14日政変」と呼んでいます。
中国当局の警戒心
明智光秀の「敵は本能寺」ではありませんが、タイの学生運動は政権打倒という点では成功したわけです。ところで、時は40年近く流れても、同じ現象が中国各地に起こっているように思われます。
中国の学生たちが愛国心の表現として尖閣諸島の領有権を主張して「反日デモ」を展開している以上、中国の公安当局も簡単に手を出せません。ただ、中国当局は40年前のタイのタノーム政権転覆を学習しているとは思えませんが、学生たちの真意は調査してわかっているのではないでしょうか。だから、しきりにデモ隊の学生数を問題にしていますね。100人単位だと許されるが、何千人単位になると、たちまち取り締まられる。
中国当局が承知している学生の真意とは、第1が仮に思想の自由化にまで進化していないとしても、表現の自由を求めているでしょうね。人間は衣食足りて礼節を知るといいますが、衣食足りて表現の自由を求めるようになったのではないでしょうか。第2が、不公平に対する不満でしょうね。13億人のうちの10%にも満たない一握りの共産党幹部子弟グループが特権を利用して、高度経済成長の富を独り占めしていることへの不満が噴き出しているように思われます。
「すぐ切れる」中国学生気質
おそらく、中国当局は「反日運動」の裏に隠された自分たちへの反撃を警戒していると思います。ご存知のように、中国では「一人っ子政策」を長年取り続けていますが、一人っ子ゆえに親が甘やかして育てたものですから、「わがまま」で、「自制心のない若者」、「すぐ切れる若者」に育っているようです。
ですから、いったん大きく爆発すると止まらなくなると思います。その意味で、中国は大きな節目を迎えていると思いますね。聞くところによれば、中国政権内部では国際派VS国内民族派の思想的対立が顕在化しているようです。もし、こうした抗争に学生が巻き込まれたら、かつての文化大革命のような騒乱へ発展しないとも限らないでしょうね。