最大の問題点は
「皆さん、ODA評価報告書を知っていますか」と聞きますと、一般市民には縁遠いとしても、あれだけODA批判をし、ODAに大いなる疑惑を抱くジャーナリストさえも、報告書を読んだことのない人が多いようですね。
外務省(政策評価)やJICA(事業評価)では、「どうしたら人びとが関心を持ち、読んでくれるか」を懸命に模索し、「成功事例だけでなく失敗事例も情報開示すべきだ」、「いや報告書が専門的すぎる。一般人にはDACの5段階評価手法といった調査手法まで開示する必要はないのではないか」、「一般向けと会計検査院など専門筋向けの報告書を別々に作成してはどうか」等々、議論百出の状況です。
そうした中で、私は「ODA評価の最大の問題点は何ですか」と聞かれました。つまり、ODA評価の根本問題です。私は次のように答えました。
国民の信用を失っている現状
(1)援助事業を行っている当事者が、ODA予算を使ってその評価調査を外部の専門家に発注していることへの不信感を指摘した。これでは調査が本当に中立的に厳正に行われている、という保証はありません。評価は「信用」が第一です。ODA自体が「本当に役立っているか」が疑われている中で、「役立っているかどうか」を調べる評価が当事者によって行われていては、その疑惑はますます深まるばかりです。
したがって基本的な解決は、第三者の立場での調査、たとえば参議院の中にそういう機能を設けて、国民参加の下で評価するとか、思い切って内閣の下部機構として“ODA評価に関する国民評議会”を創設するなどの対策を講じる必要があるのではないでしょうか。
聞くところによると、外務省では国際協力局内に設けていた評価機能を官房の方へ移す案などが取りざたされているといいますが、それでは「目くそ鼻くそ」になってしまうでしょうね。
よく「鼻が利く」といわれますが、専門家でなく一般の人びとも鼻の利く人がたくさんいます。ちょっとプロジェクトを見るだけでインスピレーションが走り、「これは臭い」という人がいます。こうした人たちをフィーリング型調査として派遣し、その後を専門家が精査するという方法も考えられますね。全プロジェクトを評価する必要もないでしょう。
第一義は国民への「情報開示」
(2)評価には国民への「情報開示」と事業改善のための「情報のフィードバック」の目的があります。今の評価は双方をミックスしたものです。それよりも、評価の基本は国民への「情報開示」に置くべきだと考えます。それを会計検査院も利用すべきでしょう。
純然たるODA事業改善のための評価フィードバックの機能は、実施主体(外務省やJICA)が事後評価の一環として実施しても良いのではないでしょうか。事業に対する反省と対策は、事業当事者が行った方がより効率的で効果的だと考えます。それがプロの仕事でしょう。
外交政策とリンクした政策評価
(3)外務省は政策評価を担当していて、その評価と報告を霞クラブ等で公表していますが、政治志向の強い霞クラブのジャーナリストは、ODAの単なる評価には、よっぽどのスキャンダラスな内容が含まれない以上、関心を示しません。記事にならないから書きません。
どうしたら記事になるかといえば、日本外交とリンクさせた政策評価ならば、聞く耳を立てるでしょう。インドネシアの国別評価が日本のアジア外交の脈絡で語られるならば、記事を越えて社説、解説になる可能性も出てくるでしょう。ただ、そうはいっても日本に真のアジア外交があればの話ですね。しかし、本来、ODA政策評価はそうあるべきでしょう。
ODA広報に異議あり
(4)外務省もJICAも「見える化」広報に力を入れようとしています。評価でも「見える化」を取り入れようとしています。そこで、一つだけ提言するならば、「国民に“おもねる”」広報をしてはならない、といいたいです。広報は宣伝ではないのです。正しい情報を開示し、国民の信頼を得ることです。そのためには、ODA事業は国家百年の大計のための日本の国家事業である、という認識を深めて、プロ的に堂々と胸を張って主張していく姿勢が求められます。
人びとに理解し易く、芸能人やスポーツマンを登用してキャンペーンを張っていますが、その度が過ぎると、ODAのアマチュア化を深めて、ボランティアの領域に入っていくような錯覚を与える恐れがあります。
今日、人びとは、ODAがすべて「途上国のため」という片務的な表現に不満を感じています。どうして「日本のためになる」といえないのでしょうか。世界の潮流は基本的にWin-Winの関係構築が主流になっています。
まだまだ皆さんにお伝えしたいことはたくさんありますが、今日はここまでにします。