【現地レポート】バングラデシュ・カフコ肥料工場に学ぶ

官民連携には多様なスキームが必要

今年3月、バングラデシュを訪れる機会があった。現地では多くのODA案件を訪問したが、なかでも強く印象に残っているのが「カフコ肥料工場」だ。紆余曲折あったものの、現在では同国を代表する輸出系企業にまで成長したカフコ。この工場は、1990年代に「カフコ肥料生産事業」として日本の民間企業と旧海外経済協力基金(OECF)が出資、また旧輸出入銀行が融資を行った“官民連携プロジェクト”である。現地と国内で行った関係者らに対する取材や資料をもとに、その成功の秘密に迫ってみたい。

カフコがもたらす経済インパクト

バングラデシュ経済は近年、堅調な伸びを示している。GDP(国内総生産)成長率は2003年から5年間、平均で6%を超え、外貨準備高も同期間で約25億ドルから52億ドルまで増加した。その結果、貧困層も着実に減少、同国統計局によれば、01年には初めて貧困率が50%を下回っている。

10数年前、この地で活動していた協力隊の友人から聞かされていた、「ダッカの目抜き通りを牛やニワトリが歩いている」というイメージからは、遠くかけ離れた現在の姿を目の当たりにしたのは今年3月。市街地での建設ラッシュと車の混雑ぶりに、バングラデシュの発展を肌で感じることができた。

この発展著しいバングラデシュにあって、それに少なからず貢献しているのが「カフコ肥料工場(KAFCO)」だ。第二の都市チッタゴンにある工場では、バングラデシュ唯一の天然資源であるガスを原料に、肥料となるアンモニア(約50万トン/年)と尿素(約65万トン/年)を生産している。従業員こそ約650名と規模は小さいが、所得税、株式配当、天然ガス購入など、07年にカフコがバングラデシュにもたらした経済効果は、実に1億5,000万ドル以上にも達し、さらに今年はそれを大きく上回ることが予想されている。

外貨準備高が約50億ドルあまりの国で、この数字が経済に与えるインパクトの大きさは想像に難くない。さらに、国内で自国資源を原料とした肥料が生産できることは、農業国であるバングラデシュにとり、これもまた大きなメリットだ。さらにカフコの経済インパクトの大きさを示す逸話がある。

昨年バングラデシュ政府は、輸出系企業からの税収を上げようと税制改革に乗り出した。これは輸出売上高に対して、一律0.25%を直接課税しようというものだった。しかし、ある日突然この改革案が取り下げられた。その理由は簡単だ。バングラデシュの輸出総額が年100億ドルといわれているなかで、カフコが納めている所得税だけで約2,200万ドルあった。この改革案では、トータルで考えると、増収どころか逆に税収が減ってしまうためだ。

公的資金が果たした役割

カフコの総所要資金、5億数千万ドルに占める出資と融資の割合は、約25対75。うち出資は、バングラデシュ政府が約40%、カフコジャパン(丸紅、千代田化工建設、海外経済協力基金)が約30%。そのほか、デンマーク開発途上国工業化基金(IFU)、Topsoe社(デンマーク)、Stamicarbon社(オランダ)、英国連邦開発公社(CDC)などが参加している。また融資部分については、日本輸出入銀行から約50%、残りをイギリス、イタリア、ルーマニアのほか、市中金融から調達している。日本の政府資金としては、「出資」部分でOECFの海外投融資(ODA)が、「融資」部分で日本輸出入銀行の出融資スキーム(OOF)が活用された。

この出資と融資、ODAとOOFには、それぞれ意味や目的、条件などに大きな違いがある。「出資」は出資金額に相当するリスクを負って事業に直接・間接的に関わることを意味する。他方「融資」は、融資額に相当する担保を確保し、金利を含む債権が返済されることを前提としたものだ。また、ODAの一環である海外投融資は、「事業達成の見込み」が出融資条件であるのに対し、OOFの出融資スキームは、「償還・配当の確実性」が求められる。

開発途上国での事業は、往々にして高いリスクが伴い、事業資金の調達は容易なことではない。これはバングラデシュ初の大型外資導入プロジェクトとなったカフコも同様だ。そうしたなか、それぞれの条件をクリアし、日本から2つの公的資金を取り付けたことは、この事業にとり大きな後ろ盾となった。もちろん日本のほか、イギリスやデンマークなどの政府資金も入っている。それでも出資・融資規模からみれば、日本の公的資金が果たした役割は大きい。日本が参加したからこそ事業に対する信頼性が高まり、市中金融から融資の約25%を調達することができた。

長らく続いた経営難

所要事業資金が出揃い、1994年11月に肥料の製造プラントが完成、翌12月には生産が開始された。しかし、事業開始当初から利益が上がったわけではない。カフコの事業が軌道に乗り、飛躍的に利益を伸ばし始めたのはここ3年ほどだ。それ以前の10年間は、経営が苦しい状況が続いた。01年には、財務リストラを行うなど、危機的な状況も経験している。

これにはいくつかの原因があった。まず肥料の市場価格が安かったことが挙げられる。これはウクライナなど、旧ソ連圏の国がルーブルで原料となる天然ガスを安く輸入、外貨獲得のために相場よりも安い価格で輸出したためだ。もちろんこの影響を受けたのはカフコだけではない。世界中の肥料生産国や企業にも影響が及んでいる。日本やアメリカなど、先進国のなかでは生産中止に追い込まれるところもでたのがこの時期だ。しかしこの問題は、ロシアが天然ガス輸出をドル建てに変更したことで01年夏ごろから徐々に回復。それが最近では、天然資源の高騰につられ肥料の価格も上昇、カフコにとって追い風が吹いている状況だ。

また、こうした国際情勢というよりも、途上国特有のカントリーリスクによる危機も幾度となく味わっている。

91年には、バングラデシュで政権が交代、「前政権が決めたことは疑わしい」という理由から、プロジェクトそのものが頓挫しかけた。また、天然ガスを採掘するインフラの老朽化などが原因で、政府から原料となる天然ガスが十分に供給されない状況に見舞われたこともあった。当然、原料が供給されなければ、計画生産量を達成することは難しい。この状況を打開したのは、まさしく官民が連携した取り組みだ。

当時この国に赴任した大使が、ずいぶんとバングラデシュ政府要人らに事業の正当性や有益性を説いて回った様子が伺える資料が残っている。そこには、最終的にこの事業に対する了承を得たのは、深夜に行われたバングラデシュ国首相との“サシ”での会談だったことが記されている。もちろんこれは一例に過ぎず、その過程では日本政府関係者や民間の人々の多大な努力があったと聞く。また、先の老朽化したガス施設には、94年に供給能力の増強を目的とした円借款が供与され、その後、ガスの安定供給に大きく貢献している。

カフコの経験をアフリカへ

カフコが今日の成功を手にした要因とは何だったのか。関係者らの話のなかで見えてきたことが2つある。

1つは、官民連携を図るスキームが多様に存在し、それが互いに補完しあったことである。民間事業であるカフコには、ODAベースの海外投融資とOOFの出融資スキームが活用され、天然ガスの安定供給には円借款が大きな役割を果たしたことはすでに記したとおりである。とりわけ、海外投融資を受けた日系企業がカフコに出資参加したことの意味は大きい。日本の企業が現地でオペレーションに関与しているからこそ、マネジメントを含む日本の技術導入が進んだ。事実カフコは、バングラデシュ国内にあるどの肥料工場よりも大きな成果を収め、英国安全評議会からは、「健康と安全管理システム監査」で五つ星の認定を受けている。

もう1つは、事業の立ち上げだけでなく、事業実施途中も継続的に日本政府から有形・無形の支援があったことだ。日本政府からの働き掛けは、民間ベースの交渉が難航した際には、状況を打開する起爆剤となった。「政府の後ろ盾がなければ今日の成功はなかった」という声は、関係者らに共通している。またガス採掘関連施設への円借款供与も、継続的な官民連携の一例だ。

現在、投融資協力は世界の援助潮流となりつつある。これは本誌5月号、「森羅万象」でも詳説されている。先般開催されたTICADⅣで日本政府も、「アフリカ投資倍増支援基金」の創設を打ち出した。これは、日本からの直接投資が“アジアの奇跡”の原動力となったことが認知され、また、それを望むアフリカ諸国の声に応えたものだ。

しかし、カントリーリスクが高いことが容易に想像できる地域では、この「償還・配当の確実性」が求められるスキームだけでは十分ではない。比較的短期間でコスト回収が見込める資源開発のみが想定の範囲であれば別だが、アフリカ諸国の持続的な発展を考えれば、製造業への直接投資は重要だ。

日本は、より条件が緩やかな開発協力としての投融資スキームを、技協、有償、無償に次ぐ“第四のスキーム”として、いま一度、官民連携メニューに加えていくことが必要だろう。

(本誌編集部 真田陽一郎)

『国際開発ジャーナル』2008年7月号掲載記事

Follow me!

PAGE TOP