日本の寄附文化を考える
資金・情報・機会を仲介する機能が必要
1968年兵庫県生まれ。91年にJICA国際協力事業団(当時)入団。外務省経済協力局、総務部総務課、インドネシア事務所勤務などを経て、2004年に米国ケース大学大学院で非営利組織管理修士号を取得。05年に「ファンドレイジング道場」を立ち上げNGO支援を開始。08年に日本で初となるNGO向けファンドレイジング支援コンサルティング会社を設立。
企業がCSR(企業の社会的責任)の一環として取り組む社会貢献活動に、国際協力NGOは欠くことのできない存在となりつつある。しかし残念ながら、金額的に見れば、欧米諸国と比較しその規模はまだまだ小さいのが現状だ。日本と欧米の違いはどこにあるのか、それを活発化させるためには何が必要なのかについて、“日本の寄附文化”にまで立ち返り、その現状と課題などについて聞いた。(インタビューア:本誌主幹荒木光弥)
寄附を阻む3つのボトルネック
アメリカでの個人寄附市場が20兆円ある中で、日本はその100分の1程度。経済規模で見れば約3倍程度の開きであることを考えた場合、いかにこの差が大きいかが分かる。
私は1994年、まだJICAに入って3年目ぐらいのころ、「日本に100億円のNGOをつくるには研究会」というものを立ち上げたことがある。これは、官公庁や経済界から20代の人たちが集まった勉強会だった。その原点は、当時のODA白書に「ケア」の年間予算が約800億円、オックスファムが約100億、日本のNGOは多いところで2、3億円。“この差はなんだ”と。企業や個人からの寄附が集まれば、NGOにもお金が回るようになるし、ODAにとってもプラスになるのにとの思いが、今でも私の問題意識の根底にある。
寄附市場にこれだけの格差がある原因について、大きく3つほどに分けて考えてみたい。はず初めに、よくいわれる税制上の課題がある。国際協力NGOに限らず、NPO全体に対して税制の優遇措置を与えるという面では、日本は明らかに遅れている。一例を挙げれば、日本には3万5,000ぐらいのNPO法人があるが、その中で認定NPO法人は89団体程度。
これがアメリカだと「501c3(ファイブ・オー・ワン・シー・スリー)」というステイタスを持つ団体が100万ほどあるといわれている。この差は、100円、200円という金額ならさほどでもないが、まとまった金額を寄附する時には大きな問題となってくる。まして、これが企業であればなおさらだ。
第2の問題が、寄附を市場ととらえた場合、日本には、企業や個人、NPOの間に「資金の仲介」、「情報の仲介」、「機会の仲介」を果たす機能が圧倒的に少ないことだ。例えば「東証一部」や「eトレード」、「ネット証券」といったものがなければ、すべての企業が未公開になってしまう。こうした状況下では、投資する側も情報がないばかりに、高いリスクを負って投資することになる。
これでは、たまたま社長を知っているとか、ものすごく有名な企業でなければ怖くて投資などできない。日本のNPOが置かれている状況は、これに似ている。
アメリカでは、NPOが格付けされ、一般の人たちが寄附先として比較できる「Charity Navigator」や「BBB Wise Giving Alliance」というウェブサイトがあったり、「Community Shares」のように、数十団体のNPOをまとめた資金仲介機能があったりする。
そして3つめの問題として、NGO自身のファンドレイジング力やコミュニケーション力の問題を考えてみたい。これにはさまざまな要素があるが、よい人材が集まらなかったり、あるいは続かなかったり、そもそもそうしたことに人員を割けなかったりというNGOが多いことになどに深く関係している。その原因の一つに、NGOスタッフの待遇問題がある。
そもそもNGOはキャッシュフローが遅く、資金を給与にまわせない事情はあるにせよ、何より問題なのは「NGOの給与は安くて当然」という認識が浸透していることだ。日本は、世界で最もNGOスタッフの給与に対して認識が厳しい国だ。たとえば、インドネシアでは平均的な給与額と比べ、NGOスタッフの給与水準は高い。
日本では、年収250万円程度が上限で、平均で180万円程度。これでは長く続けられない。魅力ある人間が残れる環境をつくらなければ、NGOの能力も上がらない。
NGOの流出を招く規制
ある政府関係者とNGO税制の話をした際に、その人が財務省を説得するためにはロジックを変える必要があると話していた。“寄附金に対して税制面で優遇措置を”と要求しても、向こうはそれができない理由を完全な理論武装で返してくる。そこで、NPO側に何か反論する材料をといっても、これが出てこない。
資金・お金の流れを変えることで、経済モデルあるいは成長モデルとして日本社会にメリットがあることを立証できれば、説得力が出てくる。どうしても、“市民社会を育てる”といったロジックだけでは弱い。社会構造を変えるためには、あるいは、エポックメイキングというものが必要なのかもしれない。いくら「ボランティアが大切」と言っても効果はないが、阪神淡路大震災が起こって初めて、ボランティアが広まったというのがその例だ。
アメリカに「キバ(KIVA)」というNGOがあり、途上国の人びとの自立を支援するための投資ができるウェブサイトを運営している。これは、「私は500ドルでミシンを買って起業します」といった多数のメニューの中から対象者を選び、直接その個人に投資するというもの。そのビジネスが成功すれば、投資したお金が戻ってくる。マイクロクレジットに近いものだが、これと同じことを日本でやろうとしても出資法などの規制が壁になる。
そうすると、アメリカにNGO法人をつくり、そこで日本語のサイトを立ち上げた方が手っ取り早いという話になりかねない。
NGO税制もそうだが、あまりに規制が厳しいと、優秀な団体が海外に流出してしまうだろう。実際、私の知り合いでも真剣にそうしたことを検討しているところがある。これでは、日本社会にとって大きな損失だ。
資金の流動性を確保するために
現在、来年の4月に「日本ファンドレイジング協会」を立ち上げようと準備を進めている。これは、日本にも寄附者の権利条項や権利憲章はもちろん、ファンドレイズする側の行動基準が必要だとの考えからだ。ファンドレイズする際には、「こういうことを説明しなければならない」とか、「財務諸表を見せなくてはいけない」など、国内のNPOも含めた「寄附市場」のルールを明確に発信する必要がある。
ファンドレイジングを技能として確立し、それを修得してもらい資格認定する、というのが全体的なイメージだ。欧米にはファンドレイザーが社会的に認知され、NGOと企業や個人をつなぐパイプ役として資金の流動性を高めることに一役買っている。また日本の寄附文化を考える上では、小口の寄附も大切だが、富裕層からの大口寄附を獲得することも考えていかなければならない。
「一生分稼いだし、何か世の中のためになることをしたい」という意思を汲み取る仕組みづくりが必要だ。
野村総研の試算によれば、日本の相続市場は年間75兆円。これが2020年には109兆円になる。この内、子どもに財産を残したいと考えている人は63パーセント程度。ここに、これだけのニーズがある。しかし最大の問題は、日本人で遺書を残す人は10パーセント程度しかいないことだ。遺書を書かないと、せっかく本人が社会貢献をしたいと考えていても叶わない。仮にみんなが遺書に全財産の5パーセントでも社会貢献のために使うと書けば、一気に日本の寄附市場は、現在の2,000億円から数兆円規模に拡大する。
これは仕事としてではないが、その仕掛けとして「遺産寄附倶楽部」のようなものがつくれないかと考えている。これまで経済界などで活躍してきた60代、70代の人たちが、社会のリーダーとして未来の向けた遺書を書く。1円でも寄附すると書いた人だけが参加できるステイタスシンボルとしての社交場をつくる。“遺産寄附というものは社会リーダーのマナー”とう流れがつくれれば面白い。
こうした同じ価値観でつながった社交場が、老後の楽しみにもなるだろう。先ほどエポックメイキングの話をしたが、これもその一つになり得るものだ。
この数年、私が日本の寄附市場を見てきて感じるのは、寄附とか社会貢献に対して社会の関心は高まっているが、まだ水面をないでいるということ。何かきっかけがあれば、これが一気に加速する。ファンドレイジング専門のコンサルティング会社を立ち上げたこと、あるいは来年設立予定のファンドレイジング協会、そして遺産寄附倶楽部が、社会が変化する一つのきかけになれば、これほど嬉しいことはない。
子どもが夢を語らないという前に、大人が夢を語っているか。大人が子どもに、社会の役に立つ人間になりなさいという前に、大人が社会の役に立っているところを見せているのか。
個人の意識改革が、企業の社会貢献活動を活発化させ、個人の寄附とあわせてNGOへの資金的な流動を促していく。夢ではなく、こうした流れをつくることで、日本全体として国際協力を盛り上げていければと考えている。
2008.12.6
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