日本財団 連載第21回 
ソーシャルイノベーションの明日 

写真:カレン族武装勢力本拠地にて

 

少数民族地域の平和構築に向けて ―ミャンマー・テイン セイン政権下、緊迫の交渉現場

 

「武装勢力のリーダー3人をヤンゴンに」

 1948年に英国から独立したビルマ連邦は、89年に国名をミャンマー連邦共和国に変更した。同国の人口約5,000万人のうち、およそ60%はビルマ族が占め、その他は135あるとも言われる少数民族が混在している。だが、少数民族の武装勢力とミャンマー政府との間では、独立以来70年にわたり紛争が続いている。このため2011年3月に発足したテイン セイン政権は、武装勢力との和平を民主化と並ぶ政策の旗印に掲げ、和平担当機関として「ミャンマー和平センター」(MPC)を設立。アウン ミン大統領府大臣を和平交渉責任者に任命した。

 アウン ミン大臣は13年4月、「和平交渉に出てこない3人の武装勢力のリーダーをヤンゴンに連れてきて欲しい」と、日本財団会長の笹川陽平に依頼した。タイ・チェンマイで行われたミャンマー政府和平交渉団と、11の武装勢力で構成される統一民族連邦評議会(UNFC)との和平交渉が終了した直後のことだ。テイン セイン政権とUNFCとの和平交渉は同年2月にチェンマイで初めて実施されており、今回は2度目の交渉であった。そのどちらも、日本財団が仲介役を担っていた。

 大臣が指名した3人とは、カレン族、カレニー族、モン族の武装勢力のリーダーたちだ。当時、日本財団はミャンマー政府とUNFCのそれぞれと人道支援に関する覚書(MOU)を締結しており、21の武装勢力支配地域の国内避難民約15万人に、総額4億円分の食料と医薬品を提供していた。このため、3人のリーダーとは何度も会ったことがあり、気心は知れていた。しかし、彼らは口を開けば政府との確執の歴史を延々と語る。また、武装勢力は非合法組織として扱われており、リーダーたちは指名手配されている。このため3人は現在タイで暮らしており、「ヤンゴンへ行けばそのまま逮捕されるのでは」との不信感は拭えなかった。

 しかし笹川は、静かに、力強い口調で訴えた。「私はミャンマー国民和解担当日本政府代表です。アウン・ミン大臣の要請で皆さんをヤンゴンにお連れして何か不都合が起これば、日本政府とミャンマー政府との外交問題に発展する可能性があります。なので、皆さんが私と一緒にヤンゴンに入る限りは絶対に安全です」。

 6カ月にわたる説得の末、リーダーたちは「停戦交渉ではなく、アウン ミン大臣と単に会見すること」を条件に、ヤンゴン行きを決断した。

事態を急変させた一本の電話

 2013年11月下旬、私は3人のリーダーと共にミニバンでチェンマイからミャンマーとの国境沿いにあるメーサイに向かった。メーサイから国境を越え、タチレクの空港から国内便でヤンゴンへ向かうためだ。リーダーたちはミャンマーのパスポートを持っていないため、これらの経路はミャンマー政府と国軍、そしてタイ国軍との事前の協議によって決まっていた。

 途中、その日の早朝にチェンライ空港に着いた笹川も合流し、メーサイに到着。街のレストランで数人のタイ国軍兵士と落ち合った。3人の身柄をタイ国軍がいったん拘束し、国境を越えた後にミャンマー国軍へ引き渡す算段となっていたからだ。ミャンマー国軍兵士に引き渡された後、リーダーたちはタチレク空港に到着した。

 ヤンゴンへ発つ2時間ほど前、空港のラウンジで私は、「後は飛行機に乗り込むだけだ」と少し安堵していた。ところが、携帯に入った一本の電話で事態は急転した。電話の主は、MPCの交渉責任者だ。「ヤンゴン空港に到着後、直ちに彼らをMPCに連れて来るように」という要請だった。MPCは、リーダーたちが本当にヤンゴンに来るかどうか半信半疑であり、すぐにでも確認したかったようだ。

 だがこの言葉に、リーダーたちは態度を硬化させた。「われわれはまだ停戦合意していない。 MPCはいわば敵方の本拠地であり、われわれが空港から直行すれば、“降伏しに来た”と宣伝されてしまう。まずはホテルで会いたい」と主張した。すぐさまMPC側に電話で伝えるも、先方も譲らない。そうこうしているうちに出発時間が間近に迫り、しびれを切らしたMPC側が「要請に従わなければ主権侵害と見なす」と脅し始めた。結局、「ヤンゴン到着後に再度協議をしよう」と両者を説得して、リーダーたちを飛行機に搭乗させた。

大臣と笑顔で握手

 ヤンゴン空港のラウンジで再開された協議では、なおも睨み合いが続いた。そこへ突然、笹川がゆっくりと切り出した。「この場は私が仕切らせていただく。リーダーたちは明朝10時にMPCにお連れする。異議のある方はいるか」。両者は一瞬、驚いた表情を見せたものの、黙って頷いた。MPC側としても、リーダーたちが実際にヤンゴンに到着したことを確認でき、安堵したようだった。「よし決まり。では解散!」と、笹川はこの場を収めた。

 翌日、リーダーたちはアウン ミン大臣と100人を超える政府関係者、マスコミの大歓迎を受けた。大臣は、ヤンゴンに来た3人の勇気を称え、満面の笑顔で彼らの手を握り、MPCを案内した。リーダーの一人は、「40年ぶりのヤンゴンだ」と感慨深げに呟いた。その後、大臣の計らいで3人のリーダーにはパスポートが発給された。

 それから2年後の2015年10月、カレン民族同盟(KNU)を含む8つの武装勢力が、全土停戦合意書(NCA)に署名。18年2月には、新モン州党(NMSP) を含む2つの武装勢力も署名した。未署名の武装勢力はまだ残っているが、彼らとの交渉はアウンサン スー チー国家最高顧問率いる国民民主連盟(NLD)政権が引き継いでいる。日本財団もミャンマーの和平を目指し、さらなる支援を続けていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

profile

日本財団  常務理事   森 祐次氏

 日本財団の常務理事として国際事業全般を担当。主たる活動地域は東南アジア、中央アジア、中南米およびアフリカ。開発途上国の基礎教育の質の向上、公衆衛生、農業技術、奨学金や研修などの人材育成、平和構築支援などの支援事業を実施している。また、「ミャンマー国民和解担当日本政府代表」を務める笹川陽平日本財団会長の補佐として、ミャンマーで平和構築支援活動を実施中

『国際開発ジャーナル』2019年5月号掲載

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