日本財団 連載第2回 
ソーシャルイノベーションの明日 

写真:外務省の聞き取り調査を受ける残留日本人2世=2017年7月

 

「日本人の証」求めて 時間との戦い ―比残留日本人2世国籍問題 なお900人

 

確認された残留2世は3,500人

 第2次世界大戦末期の混乱で無国籍となったフィリピン残留日本人2世が、日本国籍の取得に向け家庭裁判所に求めていた就籍の許可件数が7月末、200人に達した。しかし「日本人の証」を求める残留2世はなお約900人に上り、平均年齢は既に78歳。現在の就籍手続きだけで、「生あるうち」に彼らの願いをかなえるのは不可能に近い。戦後、半世紀間もの間、存在さえ知られず放置されたのが一番の原因。中国残留孤児問題と同様、国が先頭に立って解決を急ぐ必要がある。

 残留2世は、戦前・戦中にフィリピンに渡った日本人男性と現地女性の間に生まれた。農園経営などで豊かな生活を築いた家族も多く、フィリピン南部ミンダナオ島の港町ダバオには、2万人の日本人が住む東洋最大の日本人街もあった。しかし、太平洋戦争の勃発で男性は軍属として日本軍に徴用され、多くが戦死。生き残った人も収容所生活を経て日本に送還され、フィリピン人の母と幼い2世が現地に取り残された。

 戦後、長い間、日本で彼らの存在が知られることはなかった。強い反日感情の中で日本との関係を隠して生きざるを得ず、日系人会も1980年代に再組織されるまで解散状態にあったからだ。多くの日本人が高度成長を謳歌する中、大半の残留2世は極貧の生活を余儀なくされていた。日本政府が初めて調査に乗り出したのは、終戦から半世紀も経った1995年。日系人会の資料などから約3,500人の残留2世が確認され、うち約1,000人は父親の戸籍が判明したことなどから日本国籍を取得していたが、約1,500人は無国籍状態、連絡が取れない残留2世も1,000人に上った。

 第2次世界大戦当時、日本もフィリピンも戸籍法で父系主義を採っており、父親が日本人である以上、残留2世は当然、日本国籍を持つ。しかし父親の身元が分からない、あるいは父親の戸籍に自分の名前がない場合は国籍を取得できず、残された手段は家庭裁判所の審判を経て新たに戸籍を作る「就籍」手続きに限られる。審判では、本人が日本人の父親とフィリピン人の母親との間に生まれた事実を証拠で証明する必要があり、両親の婚姻証明書や2世の出生証明書が欠かせない。戦後の強い反日感情の中で残留2世の多くは、写真を捨て、時には出生証明書の父親欄に関係のないフィリピン人名を記入し、父が日本人であることを隠した。「敵国人の子」としてゲリラの襲撃を恐れ、母とともに山岳地の逃避行を続けた残留2世もいる。

 日本財団は2006年からフィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)をパートナーに資料の発掘に取り組んできたが、戦後70年以上を経て新たな証拠を見つけるのは難しく、多くの父親の出身地である沖縄では、大戦の影響で戸籍など資料が失われ、身元調査を難しくしている。同様に終戦の混乱で中国に取り残された中国残留孤児の場合は、日中両国政府が1974年、日中友好の高まりを受け、口上書を締結。中国政府が日本人の子として名簿に登載した孤児の就籍を家庭裁判所が前向きに認め、既に約1,500人が日本国籍を取得している。残留孤児は、満蒙開拓団など国策により中国に渡った両親による日本人の子である点が残留2世と違うが、国籍法上の立場に何らの差はない。フィリピン政府も近年、父親が日本人と確認された残留2世の出生について遅延登録を認めるなど前向きの姿勢を打ち出している。

戦争の犠牲、国も前向きの姿勢こそ必要

 戦後70年目に当たる2015年7月には、残留2世の代表団が2万8,000人の署名を添えて安倍晋三首相に面会し、首相も早期解決に向けた努力を約束した。翌16年1月には天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問され、日本国籍を取得済みの残留2世数人と会われる当初予定を変更、集まった日系人全員を「誇りに思います」と激励され、関係者が感激で涙する場面もあった。

 同5月には、在フィリピン日本大使館の職員が残留2世の聞き取り調査に初めて立ち会い、これまでに計5回、32人の陳述書に署名している。陳述内容に新たな材料はないが、今年3月には、東京家裁でいったん却下されたダバオ在住の男性の2度目の申し立てが熊本家裁で認められ、国(外務省)が立ち会い署名したことで陳述内容の信用性が増す形となった。これに伴い戦術も若干、変更。当初、東京家裁にしていた就籍の申し立て先を父親の出身地とみられる地域の家庭裁判所に変更、現在、申立先は13都府県の家裁に広がっている。かつて審判が出るまでに2~3年を要した審理期間も大幅な短縮傾向にあり、わずか2週間で就籍許可の結論が出たケースもある。

 残留2世の国籍取得をめぐる環境が、わずかながら改善されつつあるのは間違いない。しかし、無国籍状態で暮らす残留2世はなお1,300人、既に故人となったとみられる400~500人を除いても約900人前後が国籍取得を待っている形となる。200人の就籍が認められるまでに10年以上を要しており、このままでは日本国籍を手にすることなく故人となる残留2世はさらに増える。

 戦争が国によって行われた以上、その犠牲である残留2世の国籍問題も国によって解決されなければならない。早期に全面解決するには、中国残留孤児問題のように、国が前面に出て強く解決を後押しする姿勢が欠かせないと思う。残留2世にとって戦争はまだ終わっていない。そんな思いを強くする。

 

 

 

 

 

profile

日本財団  特定事業部国際ネットワークチーム  大久保 郁子氏

 大阪府河内長野市出身。英国ケンブリッジ大学教育学部音楽学科卒。 同大学院教育学部心理学科修了。大学院では集団的アイデンティティー などを研究した。2015年、日本財団に入職。特定事業部国際ネットワーク チームに所属し、日系社会支援やアジアの女性社会起業家ネットワーク構 築事業を担当している。趣味はクラシックコンサート鑑賞やバイオリン演奏

『国際開発ジャーナル』2017年9月号掲載

コメント

タイトルとURLをコピーしました