失敗を成長の糧にアジア、アフリカで飛躍
日本のさく井業界“トップクラス”
高度な技術を持ち、海外でも井戸掘削を手掛ける数少ない日本企業として、(株)日さくは高い信頼を得ている。今年4月に創立 110 周年を迎える同社は、今後の地下水開発のニーズにどう応えていくのか。若林直樹代表取締役社長に聞いた。(聞き手:国際開発ジャーナル社 末森満)
アフガンで初の海外事業
─1912 年(明治 45 年)の創立から、海外の事業も手掛けるようになったのにはどのような経緯があったのでしょうか。
当社の創立時の社名は、「日本鑿泉(さくせん)合資会社」だ。創立者の一人である森村扇四郎が 1912 年、日本で初めて「森村式さく井機」という井戸を掘る機械を発明し、その年に東京市(現・東京都新宿区)下落合で、弁護士の松本隆治を初代社長にして、彼と共に工場の井戸を掘る会社を興した。当初は井戸をうまく掘れず、松本が米国から新しく機械を持ち込み、技術者も呼び寄せて、翌年にようやく井戸を完成できたと聞く。これが日本初の「機械式さく井」となり、当社はさく井業界の第一人者と認められ、受注も増えた。
1923 年9月に関東大震災が起こった際には、水源や水道管が大きな被害を受けた一方、当社の掘削した井戸はほぼ無傷で、被災者の重要な水供給源となった。これにより、井戸の安全性と必要性が社会に広く知れ渡った。昭和になると、株式会社化を経て中国・満州や朝鮮半島を中心に事業を展開していたが、第二次世界大戦が終結した 1945 年には本土の事業に回帰している。主に京浜・阪神・中京工業地帯で、冷却などの工業用水や空調に用いる水を得るために井戸を掘ったほか、新潟では天然ガスの掘削も手掛けた。
この掘削事業は成功し、大きな利益を得た。しかし同時に、地下水を汲み上げてしまうという問題も生んだ。折しも、当時の日本は各地で同様に地下水の過剰な汲み上げによる地盤沈下が起こっていたため、取水が制限され、井戸掘削や天然ガス掘削の事業は下火になっていった。
このため当社は事業領域の拡大に動き、地質調査や地すべり対策へも手を広げていった。加えて、海外へも活路を求めた。1956 年にアフガニスタンの首都カブールと、同国北部にあるヘラートで井戸掘削を行った。これが、当社における戦後初めての海外進出だ。この時の井戸は、3年後に完成している。
その後も海外展開をさらに推し進め、1969 年にはネパール、1971 年にはエチオピアでも井戸
さく井を受注した。エチオピアの事業は、当社において初の政府開発援助(ODA)による地下水開発案件となった。
─北イエメン(当時)でも ODAによる地下水開発事業を受注されていますね。
この事業は 1974 年に調印にこぎつけ、1980 年から本格的に開始した。標高 3,000 mもある村落に何本も配管を繋ぎ、麓から井戸水を届けるという難しい工事だった。にもかかわらず、当時の会社上層部は計画性なく強引に事業を推し進め、資材費や日本人技術者の人件費がかさみ、その結果、会社が傾くかというほどの損失を出してしまった。現場もさまざまな苦労に見舞われたようで、工事に関わった社員の話では、水を売る業者に井戸を石で埋められたり、井戸から水が出ないと現地住民から銃を突きつけられて「出るまで掘れ」と脅されたりもしたという。
この北イエメンでの失敗は、当社にとって貴重な教訓になったと思う。海外事業では、下請けとの契約や資材調達において幅広い選択肢を用意して、リスクを減らすことが重要だと痛感した。そうした学びを次の事業へと生かしていったことで、アフリカでは事業を拡大することができた。あの時、海外事業に見切りをつけていたら、おそらくそうはなれなかっただろう。
なお、北イエメンが南イエメンと併合した後も、当社の地下水開発事業は断続的に行われてきた。ただ、2010 年に始まった第7次事業が「アラブの春」によるデモの激化でやむなく中断され、以降、まだ再開に至っていない。
「祖国への貢献」見据えた人材育成
─ネパールでも 2001年に完全子会社を立ち上げるなど、積極的に進出していますね。
1983 年、日本赤十字社から飲料水供給事業を受注したことで本格的にネパールへ進出し、ODA事業を数多く手掛けた。その際、当社社員がネパール人に井戸を掘る技術を教えて、仕事を手伝ってもらったところ、自力で掘削できるようになった。そこで「それなら当社が投資して会社をつくり、雇用を生み出そう」という話になり、1986 年に駐在事務所を置いた。
2001 年3月には、ネパール政府から事業を受注できるようにするため、当社が 100%出資する形で現地法人「日さくネパール社」を設立した。同社の社員には、引き続き当社が技術指導や研修を行っている。やはり「学んだ技術を祖国で生かせる」というのは、彼らにとって大きな励みになるようだ。ネパールではすでに数百本の井戸を掘削しており、ホテルや大使館の井戸掘削から、世界銀行などが絡む大きな工事の下請けまで幅広い事業を手掛けている。同国の主要な井戸は、ほとんど日さくネパール社が関係していると言っていい。
─他国でも現地の人材育成を含めた事業展開を進めていく方針ですか。
今のところネパール以外に海外拠点はない。だが今後、当社の技術を学んだ人には祖国で地下水関連・水道関連の起業を促していければと考えている。
というのも、開発途上国・新興国の人たちは、日本の優れた技術を学んでも祖国で生かせる機会があまりない。当社は ODA 事業を通じて多くのアフリカ人に井戸掘削・維持管理などの技術を伝えてきたほか、2018 年にはベトナム人の採用も始めているが、彼ら彼女らも「祖国では井戸に関する仕事が極めて少ない」と心配していた。
そこでわれわれが、「当社で5~10 年働いて技術を身に付けたら、当社の出資で君たちが働ける場所(現地法人、営業所など)をつくる。そこの責任者になってほしい」と言えば、自らの手で祖国の発展に貢献するという目標ができて、この上ないモチベーションになるだろう。アフリカ諸国でも同じような構想を立てていたが、新型コロナウイルス感染症の蔓延(まんえん)でそれどころではなくなってしまった。
維持管理など新たな可能性探る
─アフリカの ODA 事業は、コロナ禍でどのような影響を受けていますか。
アフリカではこれまで、ウガンダやザンビア、ベナン、セネガルなどで案件を受注してきた。セネガルの無償資金協力「農村地域における安全な水の供給と衛生環境改善計画」では、日本の質の高いインフラを実現したプロジェクトとして、2019 年に国土交通大臣から表彰もされている。
そして今年 1 月、約3年ぶりの海外事業としてガンビアの地下水開発案件を受注した。当社の海外本部部長が現地を訪れ、様子を聞いてきたのだが、マスクをしている人はほとんどおらず、感染対策をしているのも官公庁や空港ぐらいだったようだ。現地の人たちに言わせれば「マラリアなど他の伝染病に比べれば、新型コロナは風邪のようなもの」という認識で、予防接種率は数%もないという。つまり、アフリカの人々は日本人ほど新型コロナへの脅威を感じておらず、日本との温度差を感じるが、私たちは日本と同様のコロナ対策を講じて対応していく。そのような状況にあるが、事業の早期再開への目途も見えてきた。
アフリカを含めた今後の海外展開においては、ポンプなどの井戸関連製品の開発・製造、井戸のメンテナンスといった、井戸掘削以外の製品やサービスの事業も拡大していきたい。そのために現在、JICA の「 中 小 企 業・SDGs ビジネス支援事業」で、自社開発のハンドポンプを設置する案件化調査をウガンダで行っている(現在はコロナ禍のため一時中断)。このポンプは他社製品に比べて寿命が長く、最大で地下 50 mから水をくむことが可能なので、多くの国に適用でき
る。
メンテナンスの人手を確保し、持続的に行っていくことも、長寿命化に欠かせない。当社でそうした人材を育成し、現地法人をつくり、それらの人材によって持続的にメンテナンスを行う形で、新しいビジネスにつなげていければいいのではないかと考えている。
─今後の抱負は。
目下の課題は、海外へ行きたがる社員が少ないことだ。「飲料水の確保などで困っている人々に貢献したい」という気持ちはあっても、「治安が悪そう」「日本の家族や友人と長く会えなくなる」といった不安が先立ち、行動に移せない人が多い。最低1年という赴任期間の長さが障害になっている。
中長期の視点で言えば、日本の井戸掘削技術が失われるかもしれないという懸念を抱いている。今や海外で井戸を掘っている日本企業は当社を含めて3社程度と言われており、中国企業の台頭も目覚ましい。だが途上国では地下水開発のニーズはまだまだ高い。日本にしかできない技術を維持し、中国などとの技術力やマネジメント能力の差を積極的にアピールしていかなければいけない。
課題は多いが、当社の歴史を振り返ると、「一度や二度失敗しても、最後は成功する」というストーリーが続いてきたように思う。当社は先述のとおり北イエメンで大きな失敗を経験し、それ以外にも「儲からないから」と2年ぐらいで事業を撤退してしまった過去を持つ。しかし、簡単に儲けが出る仕事は真に顧客のニーズに応えておらず、長期的視点ではビジネスとして成功しない。途上国の人々を含めた顧客と対話し、信頼関係を構築して仕事をすれば、必ず利益がついてくることをわれわれは学んだ。そして、失敗や経験から得た学びで手法や技術も発展させていき、外国人材をはじめとする仲間も増やしてきた。これからも失敗や課題を乗り越え、成長しながら歩みを進めていくつもりだ。
日さく110年の歩み
創業
1912年
・森村扇四郎と松本隆治が、東京丸の内に日本鑿泉合資会社を設立
1913年
・米国からロータリーさく井機を輸入。日本初の機械掘りによるさく井工事で業界の第一人者としての地位を確立
・東京市下落合村(現・東京都新宿区下落合)で第1号のさく井工事(深度158m)を施工
・熊本市健軍で第2号のさく井工事を施工
1920年
・井戸集水管(ストレーナー)を開発
1923年
・関東大震災において当社施工井戸が罹災市民の助けとなり、井戸の安全性と必要性が世間一般へ広がる
1924年
・吹上御所でさく井工事(深度106m)を施工
拡大
1936年
・本社事務所・工場・倉庫を東京都品川区に新築・移転
1938年
・日本鑿泉株式会社を設立
・日本鑿泉合資会社の業務および権利義務一切を継承
1939年
・営業分野の拡大に伴い、日本鑿泉探鉱株式会社と改称
1941年
・本社を東京都京橋区京橋(現・中央区京橋)に移転
1945年
・新潟市に出張所を開設。天然ガスさく井に着手
1947年
・新潟交通依頼の天然ガスさく井1号完成
1956年
・アフガニスタンのカブール市・ヘラート市で水道水源井工事を受注
1959年
・新潟県港湾地区一帯の地盤沈下により、天然ガス採取が停止
1960年
・地質調査部門への転換
1961年
・創立50周年
1963年
・地すべり工事への参入による土木工事部門の成長
1969年
・海外活動の活発化・拡大。韓国、アフリカで地下水調査に参加
・ネパールでさく井工事に参加(同国において初の日本人によるさく井)
1971年
・エチオピアでさく井工事を実施(当社において初のODA地下水案件)
1972年
・株式会社日さくと改称
1974年
・北イエメン(当時)でさく井工事(ODA円借款)調印式に出席。イエメン進出
・NSTスクリーンの特許取得
1980年
・「地方水道整備計画(ODA無償)」でセネガルに進出
・JICA・ODA案件の受注が活発化
変革
1982年
・ピットレスユニットの実用新案取得
・天然ガス井掘削で最長深度施工(千葉県。2,489m)
・地下水開発計画(ODA無償)でニジェールに進出
1983年
・日本赤十字社より飲料水供給プロジェクトを受注し、ネパールへの本格的な進出を開始
1986年
・ネパールに駐在事務所を開設(現地法人登記)
・「南部州地下水開発計画(ODA無償)」でザンビアへ進出(同国において初の日本ODA無償給水案件)
1987年
・さく井・土木・地質調査の3部門体制を確立
・ハンドポンプの実用新案取得”
1988年
・地下水開発計画フェーズⅡ(ODA無償)でベナンに進出
1990年
・完全週休2日制を導入
1991年
・海外事業対象国が延べ45カ国へ拡大
1992年
・「地方飲料水供給計画(ODA無償)」でガンビアへ進出
1993年
・地質調査/土壌汚染地下水調査に参入
・地震観測井掘削で最長深度施工(千葉県。2,030m)
1994年
・「中南部地方水利計画(ODA無償)」でモーリタニアへ進出
1998年
・「地方給水計画(ODA無償)」でウガンダへ進出(同国において初の日本ODA無償給水案件)
ザンビアで「ルサカ市周辺地区給水計画(ODA無償)」竣工(同国において初の日本ODA管路系給水施設工事)
2001年
・ISO9001認証を取得
・日さくネパール社(100%子会社)設立
・さく井工事維持管理工法(アクア・フリード工法)施工開始(千葉県佐倉市:南部7号井)
2003年
・本社を埼玉県さいたま市大宮区に移転
・環境省「土壌汚染対策法に基づく指定調査機関」の認定を受ける
2008年
・埼玉県鴻巣市に埼玉工場を建設
飛躍
2010年
・温泉井掘削で最長深度施工(神奈川県。2,000m)
2011年
・創立100周年
2013年
・定年を60歳から61歳へ引き上げ
・水井戸掘削で最長深度施工(石川県。480m)
2015年
・集水井掘削で最長深度施工(山形県。109m)
・全社合同社員旅行を実施
・ザンビアで「第三次ルアプラ州地下水開発計画(ODA無償)」竣工(アフリカにおける当社井戸掘削本数が4,500本を突破)
2017年
・セネガルで「農村地域における安全な水の供給と衛生環境改善計画(ODA無償)」竣工(アフリカにおける当社管路系給水施設施工が250カ所を突破)
2018年
・「健康経営優良法人」の認定を受ける
・技術開発本部を新設
・ベナンで「グラズエ市及びダッサズメ市における地下水を活用した飲料水供給計画(ODA無償)」竣工
2019年
・セネガルの「農村地域における安全な水の供給と衛生環境改善計画(ODA無償)」が国土交通大臣表彰「第2回JAPANコンストラクション国際賞」を受賞
・外国人社員の採用を本格的に開始
2021年
・埼玉県SDGsパートナーに登録
・創立110周年。定年を61歳から65歳へ引き上げ
企業データ
名称:株式会社日さく
所在地:〒330-0854 埼玉県さいたま市大宮区桜木町四丁目199番地3
連絡先:T 048-644-3911/F 048-644-3958
『国際開発ジャーナル2022年4月号(株)日さく110周年スペシャルインタビュー』に掲載
(本内容は、取材当時の情報です)