SDGs時代の課題を読み解く Vol.1|長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科(TMGH)

コロナ禍で生まれる新たな連帯

WHOに求められる検証と評価

 本連載は、長崎大学大学院熱帯医学・グローバルヘルス研究科(TMGH)が2018年から2年間にわたり主催した、「よくわかるSDGs講座シリーズ」で議論されたグローバルな課題をさらに深掘りしていく。第1回目のテーマは感染症だ。新型コロナウイルスの感染拡大の現状と浮き彫りなった課題について、長崎大学熱帯医学研究所長を務める森田公一教授、世界保健機関(WHO)事務局長補の山本尚子氏をゲストに迎えた特別座談会を7月9日に開催した。モデレーターは同講座を担当したTMGHの池上清子教授が務めた。

山本尚子氏(1985年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。同
年に(旧)厚生省に入省後、エイズ結核感染症課課長補佐。国連日本政府代表部参事官、疾病対策課長、北海道厚生局長などを経て、厚生労働省総括審議官(国際保健担当)を務めたのち、WHO事務局長補に就任)

山本尚子氏(1985年札幌医科大学医学部卒業。医学博士。同 年に(旧)厚生省に入省後、エイズ結核感染症課課長補佐。国連日本政府代表部参事官、疾病対策課長、北海道厚生局長などを経て、厚生労働省総括審議官(国際保健担当)を務めたのち、WHO事務局長補に就任)

森田公一氏(長崎大学熱帯医学研究所 所長 1981年、長崎大学医学部卒業。85年長崎大学大学院修了(医学博士)。長崎大学熱帯医学研究所助手、ニュージャージ医科歯科大学助手、WHO西太平洋地域事務局感染症対策課長を経て、2001年より熱帯医学研究所教授、専門は熱帯・新興ウイルス感染症)

森田公一氏(長崎大学熱帯医学研究所 所長 1981年、長崎大学医学部卒業。85年長崎大学大学院修了(医学博士)。長崎大学熱帯医学研究所助手、ニュージャージ医科歯科大学助手、WHO西太平洋地域事務局感染症対策課長を経て、2001年より熱帯医学研究所教授、専門は熱帯・新興ウイルス感染症)

池上清子氏(国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)定住促進担当、(公財)ジョイセフ調査計画部長、国際家族計画連盟(IPPF)ロンドン資金調達担当官、国連人口基金(UNFPA)東京事務所長などを歴任。2016年からプラン・インターナショナル・ジャパン理事長、17年からTMGH教授を務める)

池上清子氏(国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)定住促進担当、(公財)ジョイセフ調査計画部長、国際家族計画連盟(IPPF)ロンドン資金調達担当官、国連人口基金(UNFPA)東京事務所長などを歴任。2016年からプラン・インターナショナル・ジャパン理事長、17年からTMGH教授を務める)

未曽有の感染症

―よくわかるSDGs講座シリーズ」では結核やHIV/AIDSなどの感染症対策を取り上げましたが、今回は世界に大きな影響を及ぼしている新型コロナウイルスに焦点を当てて伺いたいと思います。改めて、コロナ禍の現状をどのように捉えていますか。

山本:WHOに報告されている感染者数は、7月8日現在で202の国と地域において1,160万人を超え、死亡者数は53万9,000人にも上る。先進国・開発途上国に関係なく影響を与えるような新興感染症が起こり得ると明確に認識していた人が、果たしてどれだけいただろうか。今回の感染症は未曾有のものであることに間違いない。

森田:先進国の中でも、医療崩壊に追い込まれた国があることは本当にショックだ。日本について言えば、政府は4月、緊急事態宣言に踏み切った。欧米諸国のロックダウンと比べて緩やかな行動制限にとどまったが、首都の東京でも感染者数を1桁台にまで抑え込めた。感染力が強いこのウイルスの性格を鑑みても、この成果には驚いている。

 感染の抑え込みにつながった一番の理由は、国民全体の行動変容だろう。感染経路のメインは飛沫や接触によるものだ。密閉・密集・密接を避けるよう促す「三密」という、端的な言葉で国民にアピールできたことが、結果として感染者数を抑え込むことができた。

 加えて、日本が戦後、結核対策を契機に確立してきた保健所が機能していることも理由にある。また、欧米諸国と比べて感染者や死亡者の数が少ないのは高齢者の感染が増えていないためだ。これには高齢者施設の徹底した感染対策も寄与している。

 一方で、国内の経済はかなり疲弊してしまった。今、再び増加傾向にある感染者の数は今後も増えていくだろう。政府の対応を注視していきたい。

タイムリーな対策がカギ

―今回の新型コロナのパンデミックを受けて、感染症対策はどう見直すべきでしょうか。

山本:感染拡大を食い止めるための対策は大きく4つ挙げられる。①検査し早期に感染者を発見すること、②感染者を隔離し適切な治療を施すこと、③濃厚接触者を追跡すること、④国民へ情報提供し協力を得ること、だ。ただ、新型コロナについては、未知の部分も多い。感染拡大防止と経済・市民活動をどう両立させていくか、試行錯誤を重ねながら、時には相互に学び合う必要がある。

森田:感染症対策において、カギを握るのはガバナンスだ。科学技術やインフラが整備されていない場合でも、古典的な対策をタイムリーに打ち出していくことが重要である。その好例がベトナムだろう。約9,700万人の人口を抱える同国では保健医療分野のリソースが限られているものの、新型コロナによる死者は7月8日時点では出ていない。一例目が出たその日に中国との往来をストップし、韓国で感染者が増えた際には同国からすでに離陸していた飛行機を途中で引き返させるといった施策をぶれずに続けてきたことで、感染者や死者の数を抑え込んだ。これには前回の重症急性呼吸器症候群(SARS)の経験が確実に生かされている。

 このほか、ケニアでは低所得者に対する政府の支援策もある程度なされている。このように、今のところなんとか耐えている途上国もあるが、感染者が増え続けている国が多くなってきている中、各国がどこまで持ちこたえられるかは非常に心配だ。

 さらに危惧されるのは、新型コロナ以外の感染症で亡くなる人が増えるのではないかということだ。特に途上国では、医師や看護師などの人材や保健医療分野の資金に限りがある。これらが新型コロナ対策に回されることで、それまで行われていたワクチン接種事業がストップするなど他の感染症への対応が疎かになりやすい。こうした問題にもどう対処していくかを真剣に考えなければならない。

―アフリカ地域では、コロナ禍で妊産婦の死亡率が上がっているようです。

山本:その背景には、いくつかの要因が複合的に絡み合っている。一つは、アフリカの多くの国における医療人材の不足だ。人材確保に向けて、コミュニティーヘルスケアワーカーと呼ばれる人たちのキャリアアップや持続可能な給与の支払い形態などを含めた医療システムをどう構築していくか、コロナ禍により、さらに喫緊の課題となっている。もう一つの要因は、安全な水や医薬品・医療機器にアクセスできないことだ。これもコロナ禍を受けてより鮮明に浮き彫りになった課題だ。

 さらに、医療サービスが新型コロナ対策に集中するほか、市民が新型コロナへの恐怖心から医療機関へ行くのを控えてしまうことがある。途上国における受診の抑制は、妊産婦や乳幼児の死亡率の上昇を引き起こすなど、持続可能な開発目標(SDGs)達成に向けて積み重ねてきた国際社会の成果を奪ってしまいかねない。

アフリカで頻繁に流行を繰り返すアルボウイルスによる感染症について、ケニア中央医学研究所(KEMRI)との合同調査を行う森田氏(写真中央)=同氏提供.

アフリカで頻繁に流行を繰り返すアルボウイルスによる感染症について、ケニア中央医学研究所(KEMRI)との合同調査を行う森田氏(写真中央)=同氏提供.

民間資金も積極的に導入へ

―WHOは 「Access toCOVID-19 Tools Accelerator」(ACTアクセラレーター)という取り組みを進めていますが、その内容は。

山本:これは今年2月に立ち上げたイニシアチブで、ビル&メリンダ・ゲイツ財団やGaviワクチン
アライアンス、世界銀行なども参画している。ワクチンや治療薬、診断薬の開発のほか、保健システムの構築などに向けて資金を集め、社会連帯の下で開発された暁にはすべての人がそれらにアクセスできるようにしていくものだ。資金は政府のみならず、民間資金も積極的に導入していきたい。

 この取り組みの背景は、エボラ出血熱の流行時に遡る。当時からエボラ出血熱に対するワクチンを開発しようとする動きはあったものの、それには資金も時間もかかる上、そうした体力を持ち合わせている企業は、先進国のごく一部に限られていた。そこで、世界中から資金を集めて有効なワクチンを開発し、途上国にそれを廉価で提供する枠組みを作る必要があったのだ。今回のACTアクセラレーターは、そうした枠組みを作っていこうというトライアルの1つでもある。

 このほか、新型コロナの対応に関しては新しい連携の仕組みができている。例えば、民間の航空会社の協力の下で、途上国へ検査キットや個人防護具(PPE)を配送する「国連連帯航空」や、新型コロナの治療薬の国際共同治験を行う「連帯治験」などがある。WHOとしてもこうした動きを中心になって推し進めていきたい。

― 一方でWHOからは、米国が新型コロナへの対応の遅さなどを理由に脱退を正式に表明しました。そうした中でWHOが果たすべき役割をどのように捉えていますか。

山本:WHOの設立当初から、米国は資金面のみならず、技術面でもさまざまな協力をしてきている。米国や同国の疾病予防管理センター(CDC)出身のWHO職員も数多くいる。そんな中、米国が今回WHOからの脱退を正式に表明したことは非常に残念だ。そして米国のみならず、日本の中でもWHOに対するさまざまな評価や批判があることは認識している。

 WHOは加盟国194カ国の総意の下で運営されているとはいえ、その役割に限界もある。冒頭で紹介したような新型コロナの感染者や死亡者の数は各国の自発的な報告によるものだ。そのほか、各国から提供されたデータを分析した上で策定されているWHOのガイドラインを実行するかは、各国の判断に委ねられている。

 ただ、WHOは国連で唯一の保健機関であり、エビデンスやデータを収集し、それに基づく提言を引き続き行っていくことはもちろんのこと、国際機関として保健医療分野における世界の連帯と協力を訴え続けていくことが大きな役割の一つだと考えている。

 また、テドロス・アダノム事務局長就任以後は国レベルでの技術協力や物資供給など、他の国連機関と連携しながら国へのインパクトをより重視している。

森田:今回の新型コロナへの対応は、どうしてもSARSの時と比べてしまう。SARSが発生した当時、WHO西太平洋地域事務局長を務めていた尾身茂氏が進言した甲斐もあって、グロ・ハーレム・ブルントラント事務局長(当時)は即座に渡航延期の勧告を出した。対して、新型コロナの感染拡大の初期には渡航延期や制限はあまり役に立たないという声もあった。

 ただ、ベトナムを見てみると、先述のとおり強固な施策が一定の成果を挙げている。このことから、各国に判断を委ねる国際保健規則(IHR)を無視してでも、テドロス事務局長が渡航制限を強制するという選択肢もあり得たのかもしれない。WHOにはいずれ今回の対応を検証し、評価した上で今後に役立ててほしい。

山本:新型コロナに関しては、プレスリリースや論文のほか、SNSで発信してきた情報や記者会見の内容も全てアーカイブしている。WHOが一体何ができたのか、こうした世界的に影響の大きい感染症を抑え込むにはどうすべきかについては、独立した検証委員会が設置され、そこで検証されていく。

―日本にはどのような役割を期待されますか。

山本:WHOとしては、日本は外交戦略としても保健医療分野を中核の一つに据えてきたと認識している。また、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の重要性を何年にもわたって世界に訴えてきている。一つひとつの疾患に特化した対策よりも、国の保健医療や福祉サービスをすべての人に行き渡らせるような制度を作るべきだという機運を引き続きリードしてほしい。また、米国との信頼関係を生かして、同国にもWHOへの協力が重要だと働きかけていただきたい。日本の研究者や医療関係者にも、WHOの議論にもっと参画してほしいと望んでいる。

森田:やはり途上国のサポートをするのは、日本のこれからの役割だ。途上国で活用可能な技術の開発や、途上国自身のリソースを活用した治療や予防法の開発という面で、日本はさらに貢献できる。

地域から情報発信できる準備を

―新型コロナに関する論文も多数出てきていますが、その中でも日本からの英語論文の数が少ないという声があります。アカデミックな立場として、日本はどう情報を発信していけばいいのでしょうか。

森田:論文の数が少ない理由の1つには、他国と比較して患者が少ないということがある。もう1つは、感染症を専門とする研究者たちが、日本政府の対策班メンバーに選ばれていたことだろう。オンゴーイングの情報を解析し、政策立案者に逐一提示していくという司令塔的な役割が研究者に集中していたため、論文を発表する余裕がなかった。

山本:新型コロナの感染拡大初期の頃には、シンガポールや韓国からケースレポートも随分出されていた。翻って日本では、ある自治体の衛生局の職員が英語でケースレポートをまとめて出す、ということがまだ難しいように思う。グローバル社会においては、地域の現場でもリアルタイムで情報を世界に発信し、同時に世界から情報を得ることが、今後ますます必要になっていくだろう。

地球全体の健康を考える

―国連事務総長のアントニオ・グテーレス氏はコロナ禍からの復興を目指し、「Build Back Better」(より良い復興)というスローガンを掲げています。

山本:国連は2020年をもって設立75周年を迎えた。これを機に、ポストコロナの国際社会はどうあるべきかについての調査をオンライン上で行った。193カ国にいる23万人から回答を得られた中で、優先順位が一番高かったのは「誰しもが保健医療サービスにアクセスできること」で、次に「人々と国家の連帯の強化」、そして「グローバル経済の公平性を保つこと」と続いた。さまざまな選択肢がある中で、これらが注目されているのは本当に心強い。

 WHOはマニフェストを発表し、自然環境と人々の生活の保全を目指す「ヘルシー&グリーンリカバリー」を掲げている。これは再生可能エネルギーへの移行などを通じて人間の健康の源である自然環境を保護するとともに、水や衛生サービス、食料へのアクセス向上、歩行者や自転車専用道路の拡充も含めた住みやすい都市づくりなどを進めていくものだ。こうした取り組みを通じて、先に挙げられた3つの優先事項に貢献していきたいと考えている。

森田:これまで新型インフルエンザを念頭に、WHOも各国もパンデミックに備えようと一生懸命取り組んできたが、今回はそれがうまく機能しなかった。命を守るための強靭なシステムを改めて考え再構築していく作業が必要なのだと思う。

 われわれの大学の学長を務める河野茂氏は近年、「プラネタリーヘルス」という人類のみならず地球全体の健康を考えるという視点で物事を捉えていこうと発信している。感染症対策もその観点から捉えて、保健医療や福祉サービスの向上に貢献していきたい。

 

『国際開発ジャーナル2020年9月号』掲載

(本内容は、取材当時の情報です)

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