写真:点字ディスプレイを用いてパソコンを操作する視覚障害者
技術革新が促す障害者の社会参画 ―実用化に向けたロードマップの作成を
1990年代からICTの活用に注目
モノのインターネット( I o T ) や人工知能(AI)などの技術の進歩により、障害の有無に関わらず、皆が同じように仕事をできる環境が広がりつつある。例えば、ある国際会議の準備において、シンガポールの担当者は開催まであとわずかという時、それまでメールで連絡を取り合っていた東京やバンコクの担当者に「電話で打ち合わせをしよう」と呼び掛けた。すると、東京の担当者から「私は耳が聞こえないので、これまでどおりメールにしてほしい」と返信がきて、シンガポールの担当者は驚いた。電子メールという今日では当たり前となっている技術でも、障害者が社会で活躍できる機会を与えてくれるのだ。
日本財団は、障害当事者リーダーの育成や障害当事者による相互支援の促進に注力する中で、20年以上にわたりICTを使った情報コミュニケーションや情報アクセスの向上に重点を置いてきた。
最初の取り組みは、1998年に始まった東南アジア諸国連合(ASEAN)地域の視覚障害者を対象とする「視覚障害者教育技術におけるオーバーブルック・日本ネットワーク事業」( 通称O N -NET)だ。パートナーである米国のオーバーブルック盲学校は、米パーキンス盲学校と並び、国際貢献に力を入れていることで世界的に知られている。98年以前、日本財団は開発途上国における視覚障害学生の米国留学に奨学金を提供してきた。しかし、ASEAN諸国の経済発展に伴い、視覚障害学生は米国へ留学せずとも母国で教育を受けられるようになった。そこで、ON-NETを通じてASEAN諸国の就学環境を向上させ、留学支援と同じ資金規模でより多くの学生に教育機会を与えているのだ。
具体的には、現地語の点訳ソフトやコンピューター・スクリーンの文字などを読み上げるソフトの開発と普及、点字ディスプレイなどの機器の供与、支援技術の普及に携わる人材の育成などを行っている。事業は今も、オーバーブルック盲学校に設置した基金により継続されている。加えて、ON-NETの派生事業として現在、国際視覚障害者教育評議会が障害当事者リーダーの育成を目指した大学就学支援事業を実施している。
アプリ開発やロボット利用も
2003~07年には「Digital Accessible InformationSystem」(通称DAISY)という、視覚障害者のためのデジタル録音図書の国際標準規格をアジアに普及するプロジェクトも支援した。さらに13~16年、開発途上国の視覚障害者にとって高価だったコンピューター・スクリーン読み上げソフト「NVDA」の普及も支援した。
このほか、車椅子利用者などへの支援として、(株)ミライロと協力して商業施設や公共施設のバリアフリー情報を発信するアプリ「Bmaps」を2016年に開発した。Bmapsには全国10万超の店舗や施設が登録されており、それらの入口の段差の数、トイレのアクセシビリティー、照明の明るさなど、17項目についての情報を知ることができる。現時点でレビュー数は12万件を超えており、アプリはすでに、英語版、スペイン語版もある。
今後は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者といった、これまで就労対象に含まれてこなかった重度障害者にも、技術活用を通じて就労の機会を生み出したいと考えている。その一つとして、2018年11月には、カメラやスピーカーを内蔵した分身ロボット「OriHime-D」を遠隔操作し、自宅にいながら働く「実験カフェ」を期間限定で開く予定だ。
すべての問題を解決するわけではない
これらの取り組みが進んでいるからと言って、「技術がすべての問題を解決してくれる」と思い込むのは危険だ。われわれは実用化されて普及の目処が立った技術の活用を心掛けているが、世の中にある革新的な技術の中には、まだ“可能性”を提示しているにすぎないものも少なくないからだ。
例えば、南米コロンビアやパラグアイなど世界25カ国以上で、インターネットのテレビ電話やチャットを使い聴覚障害者と相手の間に手話通訳者が入り、会話が出来るようにする「電話リレーサービス」が普及している。日本財団も2013年から日本でこのサービスの制度化に取り組んでいるが、手話通訳者を確保するのは容易ではなく、人件費も高い。このため、「AIを活用した手話通訳の機械化で対応しては」という意見が出ているが、これは「数年もすれば全ての言語を機械が自動翻訳してくれる」という極めて楽観的な見通しからなるものである。手話は手だけでなく、顔や体の動きなども組み合わせた音声言語とは異なる独自の文法を持った言語だ。文化的背景も踏まえた質の高い通訳技術が必要であり、機械化に必要なデータもほとんど存在していない。手話の自動翻訳は、音声言語よりも難しいのだ。
また、機械化といった未来を思い描くのも重要ではあるが、今すぐ応えなければならないニーズへの対応も怠ってはならない。喫緊の課題は手話通訳者の不足であり、機械化に資金を投入するより、優秀な手話通訳者を育成した方が現実的だ。
これらを踏まえた上で、テクノロジーの活用を促進していくにあたっては、研究開発の成果を社会的・経済的に持続可能な形で実用化させるためのロードマップを描くことが大切だ。政府などは、技術開発において「そのうち民間が実用化してくれる」という認識であることが多い。ロードマップにより誰が資金を出し、どのようなスケジュールで実用化を進めるか、各セクターの役割や目標時期も明確にし、それぞれが責任を持って取り組めるようにすることが大切である。
-
-
profile
日本財団 特定事業部 部長 石井 靖乃氏
1962年、神戸生まれ。84年に甲南大学経済学部を卒業後、90年まで三菱商事(株)に勤務。94年にカナダのダルハウジー大学大学院で修士号(経済学)を取得した後、95年、日本財団に入職。2010年より現職。「障害者インクルーシブ防災の推進プロジェクト」や「聴覚障害者向け電話リレーサービスプロジェクト」など、国内外の障害者支援プロジェクトを多数手掛けている。
コメント