日本財団 連載第22回 
ソーシャルイノベーションの明日 

写真:ラオス教育スポーツ省大臣センドゥアン氏(中央右)に手話教育の重要性について語る日本財団特定事業部の石井部長(中央左)

 

手話をろう者の“第一言語”に ―ラオスで進めるバイリンガルろう教育の普及

 

ろう者にとって手話と日本語は違う言語

 ろう教育は、先天的に耳が聞こえず発話が困難な人も含め、長らく口話法が主流であった。これは、口や舌の動きを真似て発音を練習したり、相手の口の動きを読み取って相手の発言を理解したりする手法である。授業中、生徒は教師の口の動きを読み取ることに神経を集中させ、聞き取れなかった部分は文脈や背景から想像していく。口の動きを読み取るのは決して容易ではない。誤った読み取り方をしても間違いに気づきにくく、いつの間にか授業の内容がまったく理解できなくなっている、といったことも起きる。また、常に頭をフル回転させているため、生徒は1時間の授業でもかなりの疲労がたまる。

 他方、手話はろう者同士がコミュニケーションをとる際に用いる、“ろう者の母語”とも呼ぶべき言葉だ。手話は音声言語と全く異なる言語で、独自の語彙と文法を持っている。例えるならば日本の手話と日本語は、英語と日本語くらい全く別の言語であると言っても過言ではない。日本財団は、手話はろう者がほぼ完全に理解できる“第一言語”であり、手話を用いた教育が重要であると考え、ろう者への支援を実施している。

ベトナムで成果上げたバイリンガルろう教育

 日本財団は、①手話による「バイリンガルろう教育」の普及、②手話言語学研究の推進、③手話の言語としての法的認知の推進、の3本を柱にアジア各地でろう者支援事業を展開してきた。今回紹介するのは①に関連する取り組みである。

 バイリンガルろう教育とは、教室における「話す・聞く」を手話で行い、「書く・読む」を書記言語によって行う教育方式だ。日本財団は、ラオスに先立ち、2000年にベトナムでこの教育方式の普及事業を始めた。手話言語学者で手話教育第一人者であるジェームズ・ウッドワード教授とグエン・ホア氏の活動を支援する一環として、南部ドンナイ省ビエンホア市のドンナイ大学に、バイリンガルろう教育方式に基づくモデル中学校・高等学校を設置し、普通学級と同じ教育課程を進める仕組みを整備した。また、ろう者自身による持続的なろう教員育成体制構築のため、大学レベルの手話教員養成コースを設置した。以降15年以上にわたる支援の結果、ベトナムではそれまでろう者の中学卒業率はゼロに近かったが、大卒者や教員が輩出されるまでになった。モデル校に通うろう者の試験成績は、ドンナイ省の統一試験の平均を上回り、トップクラスの成績を収める生徒も現れたことは、この教育手法の有効性を示していると言える。また、この成功事例をベトナム自らが周辺諸国へ広めることで、南南協力の道筋を開くことにつながると期待されている。

ラオスではNGOと指導的人材を育成

 ラオスではこれまで、特別支援学校は日本の文部科学省にあたる教育スポーツ省ではなく、保健省の所轄であった。運営は非教員である同省職員によって担われ、内容は同国の教育カリキュラムに基づくものではなかった。しかし同国政府は2009年に障害者権利条約を批准し、近年は障害者教育に力を入れる方針へと転じている。それに伴い特別支援学校の所轄は保健省から教育スポーツ省へと移管し、教育スポーツ省内に「インクルーシブ教育部」が新設されるなど改革が進められた。

 しかし、ノウハウや資金不足により、ろう者に対する教育制度の整備は依然として進んでおらず、教育スポーツ省は日本財団の支援の下、バイリンガルろう教育の導入に着手した。

 2018年に始まったこの事業は、まず手話で教えることのできる教員養成と、学校教材や手話辞書作りの基礎となる手話データベースの作成に着手している。今後の取り組みとして検討されているのは、小学校から高校卒業までの授業を全て手話で受けることが出来るモデル校の設立と、教育カリキュラムの整備だ。将来的にはろう者の大学進学者、そしてろう者の教員を養成し、それによりラオス全土で手話による教育を根付かせたいと考えている。

 モデル校の整備に向けては、現在、教員養成および教育カリキュラムの作成で指導的役割を担う人材の育成を、事業パートナーである「アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)」と進めている。ADDPは東南アジアで障害者の就労促進、障害者スポーツの振興に長年取り組んでいるNGOだ。首都ビエンチャンにろう者が手話で接客を行う手話カフェを運営しており、そこを会場にウッドワード教授が10名のろう者研修生に対して手話教授法・分析法の研修を行っている。研修生は合計600時間の講義を受ける予定だ。

 研修生の多くは、同国の障害者教育の整備の遅れから、小学校を卒業できておらず、ラオス語の読み書きもままならない。だが、昼間はADDPの作業所などで働き、夜間に手話研修を受講して熱心に学んでいる。今後の活躍が楽しみだ。

 国の教育機関との連携も、ラオススポーツ教育省の協力の下で具体化し始めた。ビエンチャン市内のドンカムサ教員養成学校では、手話教員の認定資格の新設やウッドワード教授による研修を同大学内で実施することについて、現在、協議を進めている。手話に馴染みのない教育関係者に研修を見学してもらい、将来のモデル校設置や、バイリンガルろう教育を踏まえた国の教育カリキュラムの改善に向けた政府の理解促進につなげることを目指している。

 日本財団はラオスのろう者が自らの第一言語である手話を用いて生活し、活躍できる社会環境をつくることを目指して、ADDPや政府と協力しながらこれからも事業を推進していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

profile

日本財団  特定事業部 BHN(Basic Human Needs)チーム  小池 徹氏

 筑波大学を卒業後、東京大学大学院「人間の安全保障」プログラム、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで移民学修士号。2018年(公財)日本財団に入職。特定事業部で主に東南アジアにおける手話教育普及活動、障害を持つ学生に対する奨学金給付事業等を担当している

『国際開発ジャーナル』2019年6月号掲載

コメント

タイトルとURLをコピーしました