日本財団 連載第25回 
ソーシャルイノベーションの明日 

写真:ハイネ大統領との協議に臨む笹川会長

 

ハンセン病”制圧”から”ゼロ”へ ―WHOの制圧定義に当てはまらない国、マーシャル諸島の挑戦

 

未制圧国はブラジルだけ?

 日本財団は長年、世界保健機関(WHO)と各国政府と連携して世界のハンセン病を“制圧”するための活動に従事してきた。制圧とはどういう ことか。その定義は、「人口100万人以上の国において、患者登録者数が人口1万人あたり1人を下回る」状態であると、1991年のWHO総会で定め られた。この定義に基づけば、2019年8月時点で未制圧国はブラジルを残すのみとなっている。ただ、この定義に当てはまらない人口100万人に満たない国、特に小さな島嶼国などは未だにハンセン病の有病率が高い。マーシャル諸島も、その一つだ。

大統領と保健・福祉大臣主導で対策を強化

 同国は、日本から南東に約4,500㎞離れた太平洋に浮かぶ、人口5万人程度の島嶼国だ。29の環礁と5つの島で構成されている。2018年時点で人口1万人あたりのハンセン病患者の数は10人前後と、極めて高い有病率となっている。これまでハンセン病対策が十分進んでこなかった背景の一つには、結核など他の保健衛生問題への対策が優先され、ハンセン病対策に従事するスタッフや予算が極めて限られてきたことがある。他にも、環礁間・島間の移動手段が限られていることから患者の発見および治療が困難であったことも要因の一つとなっている。しかし、2016年にヒルダ・ハイネ大統領とカラニ・カネコ保健・福祉大臣が就任して以降、同国のハンセン病対策には変化の兆しが見え始めている。 ハイネ大統領とカネコ大臣は共にハンセン病対策に力を入れており、患者の早期発見・早期治療を目指した施策を打ち出している。例えば2017年、従来行われてきた結核の集団検査の際、ハンセン病も併せて検査するキャンペーンを実施した。このキャンペーンにより、人口の約半分にあたる2万5,000人がハンセン病の検査を受けることが出来た。こうした取り組みの実情を把握し、加速させるため、WHOハンセン病制圧大使を務める笹川陽平・日本財団会長は2019年4月、マーシャル諸島を訪問し、ハイネ大統領およびカネコ大臣と今後のハンセン病対策について協議を行った。

国民に正しい知識を

 「ハンセン病の患者をゼロにするため、政府としても必要な活動をしていきたい。その為の協力をお願いしたい」。 協議冒頭、ハイネ大統領はこう語った。ハンセン病の制圧にとどまらず、将来的にはハンセン病の患者数をゼロにしたいという野心的な目標を、大統領は抱いていたのだ。国の指導者がこのようにハンセン病対策に対して意欲的である時は、さまざまな取り組みを実現出来る可能性が非常に高くなる。そこで協議の場では、これまで実施してきた患者の早期発見・早期治療のキャンペーンを継続することの重要性を確認するのと同時に、新たに一つの取り組みが提案された。それは、国民がハンセン病に関する正しい知識を持つよう啓発をしていく活動だ。マーシャル諸島はこれまで、ハンセン病患者の早期発見・早期治療という医療面に重点を置き対策を進めてきたが、ハンセン病には他にも取り組まなければならない問題がある。その一つが、ハンセン病にまつわるスティグマ(社会的烙印)と差別だ。
 ハンセン病は治療が遅れると、身体に障害が現れる。このため旧約聖書の時代から「ハンセン病は神罰・呪い・遺伝する病気である」と誤解され、ハンセン病にかかった人はスティグマと差別の対象となってきた。そこで2010年に開催されたニューヨークの国連総会本会議では、「ハンセン病の患者・回復者とその家族に対する差別撤廃決議」と「原則とガイドライン」が192カ国全会一致で採択された。だが、差別撤廃の決議がなされたからといっても社会の考え方が急に変わるわけではなく、残念ながら今なおスティグマと差別は世界中で根強く残っている。カネコ大臣によれば、マーシャル諸島では互いに助け合って生活しており、相互尊重を重んじる社会であることから、文化として差別は少ないという。ただ、実際のところはまだ正確には分かっていない。従って、ハンセン病は治る病気であること、薬は無料で配布されていること、そしてハンセン病患者らへのスティグマと差別は不当であることを、国民に広く周知し続けていくという取り組みが、同国においても重要だと言える。ハンセン病に関する正しい知識が国民の間で理解されれば、今までスティグマと差別を恐れてキャンペーンなどからも隠れて生活していたハンセン病患者は、自ら病院へ行けるようになるだろう。 ハイネ大統領とカネコ大臣もこの考え方に理解を示し、ハンセン病の病気自体の治療を行うという医療的側面と、ハンセン病にまつわるスティグマと差別を無くしていくという社会的側面の両方の取り組みを進めること、それらの取り組みに日本財団とWHOも協力していく方向性が確認された。具体的な取り組み内容などについては引き続き協議して決めていく予定だ。

小さな島嶼国のモデルに

 マーシャル諸島に限らず、WHOの定めるハンセン病の制圧基準の対象外となる人口100万人未満の島嶼国では、ハンセン病対策が十分に行われていない国が他にもある。マーシャル諸島の取り組みが上手くいけば、そうした島嶼国へのモデルケースになる。ハンセン病の病気とスティグマ・差別のない国の実現は容易ではないが、マーシャル諸島の挑戦はまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

profile

日本財団  特定事業部 国際連携推進チーム  中安 将大氏

 慶應義塾大学を卒業後、米デンバー大学ジョセフコーベル国際研究大学院で修士号を取得。2009年に(公財)日本財団に入職し、国際協力 グループで主に東南アジアにおける人材育成や知的交流、障害者支援などを担当。14年1月より2年半、日本財団ミャンマー駐在員事務所へ赴任し、ミャンマーの紛争被害者を対象とした食料支援や再定住環境整備に従事。19年6月から特定事業部国際連携推進チームに所属。

『国際開発ジャーナル』2019年9月号掲載

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