セントラルコンサルタント(株)|トップインタビュー

豊富な経験と確かな技術で
国際競争力のあるコンサルタントを目指す

木原新社長に聞く

代表取締役社長 木原 一行氏
略歴 日本大学理工学部土木工学科を卒業し、1979 年にセントラルコンサルタント入社。2004年に企 画部長に就任。取締役経営企画部長、専務経営戦略担当兼海外総括担当兼西日本総括担当を経て、16年12月から現職

土木、都市計画、建築など、さまざまな分野の専門家を結集し、セントラルコンサルタントは1967年に創立された。今年が創立50周年である。激しく変化してきた国内外の情勢の中で、同社はどのように実績を積み重ねてきたのか。

また、今後の国内市場、海外市場にどのような展望を持ち、人材育成はどうしていくのか。同社の生え抜きとして初めて社長に就任した木原一行氏に話を伺った。

(聞き手:国際開発ジャーナル社 代表取締役社長 末森 満)

海外の売り上げ拡大を

 ―創立50周年を迎えた御社の歩みと社長のご経歴をお聞かせください。

木原:当社は、もともと道路や橋梁、港湾などインフラの建設・整 備・維持管理に関わるコンサルティング会社として、30人ほどの社員によって立ち上げられたと聞いている。当初は、海外での受注を事業の中心に考えていたが、日本が高度経済成長期に入るとインフラ建設のプロジェクトが目白押しとなり、建設省(現国土交通省)が主要クライアントになった。主に道路や河川系の事業を中心に取り組んできたが、最近は、東日本大震災や熊本地震の復興事業も手掛けている。一貫して心掛けてきたのは、堅実な仕事を通じて社会に貢献することだ。

 私自身は大学で土木建築を学び、 設計業務を担当する当社の下請け会社に勤務した後、1979年に当社に入社した。下水道や地下駐車場の整備事業で国内実績を積んだが、事務所を置いているパラグアイやグアテマラの政府から、直接、インフラ関連事業を受注したり、 水道水の汚染が深刻だったメキシコで下水処理場の建設に関わったりするなど、海外事業も多く経験 した。また、ケニアやコートジボワール、マラウイなどアフリカの 国々で橋梁建設に参加したほか、社長になる直前には、海外総括担当役員を3年ほど務めた。

―現在の事業規模はいかがですか。

木原:2015年度の売り上げは約 84億6,000万円。うち約8億2,000万円が海外事業だった。今 後、国内では新規のインフラ事業がどんどん減っていくため、海外事業の売り上げを全体の2割程度にまで増やせれば理想的だ。社員は約470人だが、このほかに海外常駐者や現地雇用者が常時30人ほどいる。また、定年退職する人とのバランスも考えつつ、年に15人ほど新規採用も行っている。

ニーズに応えるインフラを

―今後の事業の展望は。

木原:国内では、今後、東京オリンピック需要が見込めるが、東日本大震災復興関連事業が一段落したこともあり、当面は新規のインフラ建設より維持管理が中心になるだろう。だからこそ、開発途上国や新興国のインフラ需要に食い込んでいかなければ、売り上げを伸ばすことは難しい。逆に言うと、 成長著しいアフリカや東南アジアでは輸送網の整備が急務であり、われわれコンサルタントの力が求 められている。質のいい道路や橋梁があってこその輸送網であり、海外には、社員がインフラ建設に関わることができる貴重な場が多い。特に若手社員には、そうした機会を積極的に経験してほしい。

 その一方で、われわれがこれまで特に力を入れてきた中南米やアフリカ諸国では、ニーズの変化により、無償資金協力による援助が 減少している。近年は円借款頼みの状況になりつつあるが、中国や 韓国が低コストとスピードを武器に国際競争力を高めつつある今日、 単に円借款によるインフラ整備を提案するだけでは、これらの国々に勝てない。官民連携や民間投資に軸足を移したり、日本の強みである質の高いサービスを押し出したりするといった工夫が重要だ。

―どのような戦略が必要ですか。

木原:一般的に、道路や鉄道の敷 設については中国が有利な傾向にあるが、橋梁の建設であれば、「耐用年数50年のコストで100年もたせることができる」などと、 日本の技術力をアピールしやすい。

 とはいえ、一概に日本の厳しい 基準を当てはめるのではなく、適切なコストで相手国に合った施設を建設する姿勢が求められるだろう。例えば、日本が不利だとされる道路についても、料金自動収受システムなどのサービスとセットで売り込めば、道は開けるかもしれない。さらに、過去の経緯や現地政府の政策に配慮したり、環境分野で高い技術を有する企業とタイアップしたりするなど、多くの選択肢を持つといい。国際競争に負けない方法をコンサルタントとして提案していきたい。

大学とも連携

―人材育成については、今後、どう進めますか。

木原:技術力の伝承はわれわれにとって大きな課題だ。いかに厳しい状況にあっても、毎年、一定以上の新卒は確保する方針だ。わが社は、男女問わず、理工系の潜在能力が高い人材の採用に努めている上、技術士の取得など、スキルを高めるための教育や研修にも力を入れている。

 また、インフラ建設の実情を知る上でも、社員には積極的に開発途上国へ出てほしいが、どんなに海外志向であっても、入社して数年間は国内で実務経験を積ませる。 国内の受注業務は、調査から設計・施工管理、発注者支援業務まで幅広いため、社員にはどの分野で働きたいか聞いた上で、ミスマッチを防いでいる。また、働き方改革も進めているところで、女性でも働きやすい環境づくりや長時 間労働の改善に引き続き取り組む。

―最後に、今後の抱負を。

木原:先日、創立50周年を記念して社内公募を行い、「描くのは、未来」というメッセージを掲げた。 確かな技術を継承していくことで、「技術によって社会資本整備に貢献する」という創立時以来の当社の存在価値を未来につなげていきたいと考えている。もっとも、そのためには、意欲ある新卒の採用が不可欠であるため、大学の研究室と連携したり、定期的に学生向けの講習会を開催したりするといった対策を採っている。開発途上国で現地の人々と一緒にインフラを建設したり施工管理を行う業務には、青年海外協力隊の経験者も向いていると思う。

 社長に就任した以上、今後は適正な利益を上げ、株主や社員に対する責任をしっかり果たしていきたい。具体的には、売り上げ規模、 あえて言うなら海外事業の売り上げを20億円程度に増やし、「会社全体として売り上げを100億円」まで拡大することを一つの指標としている。業界やニーズの変化を敏感に捉えつつ、欲張らず対応していきたい。

海外における事業のあゆみ

 セントラルコンサルタントは創立当初より海外志向が強く、創業3年目の1969年には当時の海外技術協力事業団 (OTCA)が実施した「イラン国テヘラン市交通施設基本計画」に参画し、本格的な海外進出のスタートを切った。

 70年代には、「ボリビア国道路Plan3000」をはじめ、南米における大型受注が相次ぎ、開発コンサルタント業界において、南米を得意とする会社であるというポジションを確立した。80年代は、中米、東南アジア、アフリカなどでも国 際協力機構(JICA)のプロジェクトを中心に業務を展開したが、90年代に入ると中南米における無償資金協力事業を集中的・安定的に受注するようになった。98年に中米を襲ったハリケーン「ミッチ」による甚大な被害からの橋梁復旧事業(無償資金協力)のコンサルティング業務の大半も同社が受注した。

 2005年頃からは、日本の政府開発援助(ODA)に占める中南米のシェアが低下し、海外における業務展開地域の見直しを迫られたが、その中でも積極的な情報収集を図ってウガンダ、マラウイ、ガーナ、トーゴなどアフリカへの進出を果 たしている。

 同社の海外部門は、74年に海外室として発足し、83年に海外部に昇格した。昇格当時、5人だった海外部の人員は現 在31人まで増えた。近年、海外部の売り上げは全体の10%程度まで伸びてきたが、これを20%まで伸ばすことを目標に、大型案件の受注やアジアへの業務展開に注力している。

ボリビア・道路防災 2005-07年

日本・中米(エルサルバドル・ホンジュラス)友好橋 2006-09年

ホンジュラス・地すべり対策 2008-13年

セーシェル・海岸侵食対策 2011ー14年

キルギス・クガルト橋全景 2012-15年

ラオス・セコン橋(パース)2013年-実施中

代表的受注プロジェクト(1970年代後半以降)

『国際開発ジャーナル2017年4月号 創立50年スペシャルインタビュー』に掲載

(本内容は、取材当時の情報です)

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