日本の水産開発モデルのさらなる展開を

写真:西アフリカ・セネガルの首都ダカールの魚市場の様子


日本は四面を海に囲まれ、古くから豊富な海の恵みを受けてきた。漁業技術は発展し、漁船や漁具などの機材もより効率的なものへと開発されてきた。こうした日本の水産業は、開発途上国への協力においてもさまざまな形で貢献している。その実績と展望を、水産分野における政府開発援助(ODA)に長年取り組んできたOAFIC(株)の石本惠生会長が語る。

アフリカまで伝播した漁労技術

古くから日本の漁師は、東南アジアの海や太平洋の島嶼国へカツオ漁に出掛け、現地に住み着くなどして日本の漁労技術を伝播してきた。

その技術は遠くモロッコにも伝わっており、1920年代には既に日本製の漁具資材が同国に輸出されていた。日本の漁網は糸も強く、仕立てがしっかりしていて破れにくいと、現地の評判は高かった。

さらにアフリカでは、日本の漁業調査船が1959年、北西部の海域で底引き網船の一種であるトロール船の試験操業を行い、同海域がタイ類、モンゴウイカ、タコなどの好漁場であることを明らかにした。以来、モロッコ、モーリタニア、セネガル、ギニアなどアフリカ大陸の東大西洋沿岸海域に日本のトロール船団が多数進出し、新漁場を開拓した。最盛期には100隻ほどの日本漁船が操業し、漁獲物を日本に供給した。

ただ、次第にこれら沿岸国はナショナリズムの高揚とともに日本企業との合弁の設立を要請し、領海内や接続水域での漁業について高額の入漁料や制限を課すようになった。入漁交渉の難航や漁獲物の割り当て制限などにより、日本企業はこの海域での操業や運営の採算が取れなくなり、1980年代には撤退する結果となった。

OAFIC(株)会長石本 惠生氏
無償と技協の連携で効果高める

ODAによる水産無償資金協力は、1973年、アジア諸国との漁業交渉などを側面的に支援するために創設された。アフリカでも、沿岸国と入漁交渉などが進められていた76年以降は、現地の水産開発を目的に積極的に活用されるようになった。

例えば、1960年代からODAによるさまざまな協力が行われてきたセネガルでは、1977年、水産無償資金協力として数百台の日本製船外機が供与された。これをきっかけに、日本製の船外機がアフリカ全体の沿岸漁業で普及した。他にも、91年に水産無償資金協力として首都ダカールにダカール魚市場が建設され、大きな成果を挙げた。

魚市場は、開業当初から素晴らしい活気を呈し、数年後に荷捌き場が拡張された。現在は、西アフリカ随一の鮮魚取引量を誇るまでに成長し、同国の経済発展に大きく貢献している。

さらに日本は、同国の水産分野において、開発調査や技術協力プロジェクト、専門家の派遣など、ソフト分野のより細かい技術協力を実施した。これらの支援により、同国の水産資源量の評価や、具体的な零細漁業の振興計画作成、それに基づく施設整備や開発政策の実行などが推し進められた。その結果、さまざまな水産開発プロジェクトが実現した。

世界のモデルに

このような水産無償資金協力と技術協力を連携させた日本独自の水産協力は、非常に効果の高い水産開発モデルとして、世界各国でも展開されている。

そして、資源開発から水産物の国内外での流通促進、国民の栄養タンパク質の供給、資源の有効利用、環境保全など、水産業の振興だけでなくあらゆる面で成果を示している。

今後は、この水産開発モデルを世界各地にさらに広げて行くために、開発調査の段階で途上国にとって必要性が見えてきた案件の実現に熱意を持った開発コンサルタントが必要である。

『国際開発ジャーナル』2019年2月号 分野別特集「水産」掲載
#OAFIC #水産

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