日本の総力を集めた官民連携の港湾事業
サイクロン被災からの復興
2008年5月に来襲したサイクロンは、エーヤワディ・デルタからヤンゴン市に至るまでミャンマーに甚大な被害を与えた。ヤンゴン港でも99隻の船舶が沈没し、全土に3基しか無かったガントリークレーンのうち2基が倒壊するなど被害は深刻であった。私がミャンマーに初めて降り立ったのは、それから約1年後のことである。
当時のミャンマーはまだ軍事政権下の鎖国状態にあって欧米からは制裁を受けており、日本の援助は人道支援・平和構築・災害復旧等に限られていた。しかし、2011年11月に民主的な選挙が行われてテインセイン大統領が就任し、民政化・外資受入・経済開発等に大きく舵が切られ、「アジア最後のフロンティア」と呼ばれるようになった。日本政府は諸外国に先駆けて同国への支援を決め、円借款事業が再開した。本事業は、その再開第一号案件の1つである。
本邦技術の活用及び質の高いインフラ輸出の促進
急速な経済発展に寄与すべく施工期間の短縮を図る必要があり、また、サイクロン被害の教訓を踏まえた、災害に強い港づくりが課題であった。そこで、これら課題の解決に際し、本邦技術であるジャケット工法が海外で初めて岸壁に適用された。当工法は、杭の打設等の海上作業と同時に、鋼管立体トラス構造物のレグと呼ばれる上部工を陸上で建造し、最後に大型クレーンでレグを杭にはめ込む工法である。陸上・海上の同時施工による工期の短縮が可能だが、一方で高い施工技術が要求される。さらに、ガントリークレーンには免震構造を採用するなど、質の高いインフラ輸出を促進した。
日本主導による一貫した支援
ティラワに関連する事業(港湾のみならず、工業団地開発・法制度・電力・道路・上水・住民移転等)では、日本が主導する官民一体となった開発により、ミャンマーの発展に寄与すると共に、本邦企業の同国進出を加速させた。本事業でも、計画・設計・施工・運営までを一貫して日本が支援・実施している。日本企業による安全で精度の高い工事が工期通りに完了し、現在では日本の経験豊富なオペレータが運営権を取得して港湾運営を担っている。
更なる港湾の開発に向けて
品質の確保・遅延の無い施工に加え、徹底した安全管理対策の実施により、重大事故無しに完工を迎えられた点も、先方政府から高い評価を得られた一因である。また、先方政府高官だけでなく、日本の外務大臣・国交大臣他多数の方々に視察頂くなど、注目度も高かった。このように、官民一体となった開発により、日本企業がミャンマーに進出する契機となり、ティラワSEZ(経済特区)もフェーズ2、3へと開発が進むなど、ミャンマー発展の原動力の1つとなっている。
この10年、ティラワを中心とする様々な開発案件に関与してきた。苦労も多かったが、ミャンマーの発展を間近に見られたことを幸福に思う。今後も同国の港湾開発に向け、邁進していきたい。
寄稿 日本工営(株)ティラワ港開発事務所 所長 木村 健太郎
事業内容:
■桟橋工事(鋼管杭φ1,300、N=120、ジャケット方式):400m×40m
■渡橋工事(鋼管杭φ600、N=169):80~90m×3橋
■護岸工事(Ⅲ型鋼矢板+洗掘防止工):400m
■埋立および地盤改良工事(PVD+載荷盛土):1,040,000㎥
■舗装・排水、建築・設備、荷役機械
コンサルティング:日本工営(株)
Package1[土木・建築]:東洋建設(株)、JFEエンジニアリング(株)
Package2[荷役機械]:(株)三井E&Sマシナリー(旧三井造船)
『国際開発ジャーナル2020年11月号』掲載
(本内容は、取材当時の情報です)
コメント