ASEANと「一帯一路」
謹賀新年―新年号の論点を次の2つに絞ってみた。
第一は、岸田文雄政権の外交課題「自由で開かれたインド太平洋構想」を巡る問題。この構想は安倍晋三政権から引き継いだものだが、岸田政権はこの構想をどう実現しようとしているのか。それとも日本の単なる外交的アピールで終わらせるのか。海外の注目度、期待度は決して低くはない。
第二は、インド太平洋構想とも大いに関連する政府開発援助(ODA)は本来あるべき外交の手段として期待されている。今回はそのあり方を巡って問題点や課題を明らかにしたい。
それでは、第一の問題点を考えてみよう。周知のことと思うが、インド太平洋構想は本音で言うと中国の「一帯一路」戦略に対峙するような戦略的発想だと言われる。しかし、果たしてその狙いをどこまで達成することができるのか。実際には、前途多難が予想される。それは、今やインド太平洋で軽視できない政治・経済グループへと成長している東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国の存在である。
2019年6月、ASEANはインドネシアなどがまとめた「インド太平洋に関するASEAN・アウトルック」(AOIP)を公表した。そこには大国間の緊張高まる地域情勢の緩和を目指し、これまでASEANが進めてきた独自の手法である対話の促進や協力、友好関係の増進が盛り込まれており、いわゆるASEANを中心軸にした「インド太平洋」が提唱されている。
つまり、そこにはASEANと中国との貿易関係の深まりが反映されていると言っても過言ではない。たとえば、東大の現代中国研究拠点研究シリーズNO.21によると、タイにおいて最大の貿易相手国は中国であるとしている。2000年のタイから中国への輸出額は28億ドルで、中国からタイへの輸入額は34億ドルであったが、2018年には輸出額が302億ドルへと10.7倍になり、輸入額が499億ドルと14.8倍にも増大している。
恐らく、他のASEAN諸国も大なり小なりに、中国との貿易は増大の一途をたどっているに違いない。なかでも大陸部東南アジア諸国(タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、ミャンマー)における対中貿易の増大は非常に大きいと言われている。
重視される経済活動
このように、貿易という実益の観点から、ASEANと中国との現実的な関係をたどってみると、ASEANは決して中国との貿易関係を軽視できない関係へと発展している。
ASEAN各国と中国との利害損失をどう調整し、各国のインド太平洋戦略への合意形成をどう進めればよいのか。しかし、その合意形成はそう簡単なものではない。構想を突き詰めれば詰めるほど、前途多難が予想される。あるいは、いっそのこと構想の制度としての完成度を突き詰めて考えないほうがよいという選択もあり得ると言う。そう言いたくなるような複雑さが予見できる。
さらに、断片的な言い方かもしれないが、南西アジアにおけるインドVSパキスタンという対立構造、そして、パキスタンと中国との深いつながりがインド太平洋構想をかなり複雑化させる可能性がないとは言えない。このような一種の混迷は、先発した中国の「一帯一路」戦略がそれなりにアジア各地に根を張っているからではなかろうか。日・米・欧・オーストラリアがしっかりスクラムを組んでも、肝心のアジア諸国との経済連携による連帯感が深まらない限り、強大化する中国の影響力を防ぐことは、容易なことではない。
従って、そうした難関を突破するには、インド太平洋諸国を構想に巻き込むだけの大きなメリットが求められる。それは、言うまでもなく軍事的インパクトではなく、地域先進国と地域途上国との貿易あるいは投資を含む経済的インパクト、さらには域内先進国による産業技術的なインパクトや恩恵などが考えられる。従って、この構想を成功させるためには、地域先進国にそれなりの覚悟が求められると言っても過言ではない。
それでは、次に本誌の専門分野であるODAの課題に焦点を当てながら、問題提起してみたい。
ODA運営の行方を求めて
それは端的に言うと、ODAの司令塔としてのトップ・マネジメントの問題である。
ことの発端は、2006年(平成18年)4月28日に閣議決定された「海外経済協力会議」の設置からである。その内容は次の通り。「海外経済協力(ODA、その他の政府資金、及びこれらに関連する民間資金の活用を含む)に関する重要事項を機動的、かつ実質的に審議し、戦略的な海外経済協力の実効的な実施を図るため、内閣に海外経済協力会議を設置する」
議長は内閣総理大臣、委員は内閣官房長官と外務大臣、財務大臣、経産大臣だ。
これにより、1993年(平成5年)8月からの閣議口頭了解という形で開かれてきた対外経済協力関係閣僚会議は廃止された。これで、どちらかと言うと霞が関官僚ベースで約14年続いた閣僚会議は幕を閉じることになった。
しかし、官邸主導の海外経済協力会議は、全体的なODA改革の司令塔という期待に反して、もっぱら鉄道などの分野を中心とするインフラ輸出戦略に傾斜し、オールジャパンとしてのODA政策の司令塔という役割を果たすことはなかった。
岸田政権の新たな方針はまだ明らかにされていないが、これまでのような官邸主導のODA実施体制ではなくて、かつてのような総理をトップにした関係各省大臣(外務、財務、経産を中心とする霞が関グループ)との政策協議体制に戻って、バランスのとれたオールジャパン的なODA実施体制へ移行することが考えられる。
特に、これからはポストコロナの支援ということもあって、開発途上国の保健医療体制の強化を支援する体制作りも重要になってこよう。岸田政権はどういう形で指導力を発揮できるだろうか。
筆者は2001年から08年まで、渡辺利夫氏(元拓殖大学学長)を議長とするODAに関する外務大臣諮問委員会に参加したことがあった。その間、外務大臣としての岸田氏と接する機会が幾度もあった。その時、岸田大臣は熱心に私たちの議論に耳を傾けていたことを記憶している。たとえば、外交の手段として力を発揮できるODAを先に述べた自由で開かれたインド太平洋構想に、どう反映させるか。これからは、インフラ輸出だけでなく、そうした大きな外交目標に向かって、ODAをフルに活用すべきだろう。恐らく、それはODA分野関係者の願いかもしれない。
つまり、世界に恥じないODAの大義名分を求めていると言える。
※国際開発ジャーナル2022年1月号掲載
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