中小企業海外展開支援 さらなる制度改善を|羅針盤 主幹 荒木光弥

ASEANへの入口―沖縄

3月9日、沖縄を訪ねた。目的は政府開発援助(ODA)の一環として2012年から国際協力機構(JICA)が事業展開している「中小企業海外展開支援」の事業主と懇談し、支援事業の在り方を評価するためであった。

沖縄県は12年に「第5次沖縄振興計画(沖縄21世紀ビジョン)」を策定し、翌年にはJICAとの連携協定を結んでいる。主な内容は、研修員受け入れ、専門家派遣、草の根技術協力、青年海外協力隊派遣への協力のみならず、沖縄県下の技術・ノウハウを活用したJICA事業への協力、県内企業の海外展開支援や産業人材育成といった民間連携などである。筆者の実感では、中小企業海外展開支援が加わったことで沖縄におけるODAの重みが倍増されている感じだ。

政府は今から32年前に東南アジア諸国連合(ASEAN)各国にさまざまな産業分野の「人材育成センター」(大平首相が発案し、鈴木首相が実施)を開設し、ASEANの産業人材育成を目指した。ちなみに、その前段では福田首相がASEAN域内工業化のために、産業プロジェクト創設を実施している。この頃は、日本のASEAN外交が頂点に達していた。

その時、沖縄はASEANへの入口という考え方で、ASEANセンターの一角に位置付けされた。

筆者は沖縄の国際協力を特別な目で見ている。それは沖縄の宿命とも言える軍事基地というイメージを、国際協力という平和的イメージで少しでも緩和させ、沖縄人の平和への願望を知ってもらいたいという特別な願いからである。

それでは本題に入る前に、中小企業海外展開支援について少し歴史を語っておきたい。国連がミレニアム開発目標を目指した2000年から、欧米は援助の総量を確保するために官民連携(PPP)を実施した。

わが国では、09年に外務大臣の諮問に応える「国際協力に関する有識者会議」(議長=渡辺利夫・当時拓殖大学学長)が開催され、渡辺教授は「ODAの触媒効果論」を、筆者は民間企業を巻き込んだ「官民連携の在り方」を担当した。

その後、官民連携の一つの協力事業としてJICAに海外投融資事業が設けられて官民連携に弾みがついた。そうした流れの中で日本の地域創生が政治課題となり、各地域に存在する中小企業の優れた技術をODA分野で活用できないかが検討され、ODAの一環として中小企業海外展開支援が始まった。

健全な沖縄企業

ODAベースの中小企業海外展開支援は、経産省や日本貿易振興機構(ジェトロ)などの中小企業海外展開支援と一味違う。それは、単に企業の海外進出をお手伝いするだけでなく、開発途上国の環境、廃棄物処理、水処理、農業、医療保健、災害、防災対策などの開発課題の解決に寄与するという役割が求められていることだ。

最初に訪問した(有)沖縄小堀電機は、太平洋島しょ国ソロモンでの太陽光システムの導入、普及に成功し、その経験と自信がマーシャルやラオスでの海外展開に弾みをつけている。社長の宇根良彦氏の海外志向は強く、自社技術・製品の海外雄飛を夢見ていた。2番目の(株)トマス技術研究所は、無煙小型焼却炉や廃油化燃料設備中型焼却炉などの技術研究で知られている。海外での普及・実証事業は、環境に配慮した小型焼却炉をインドネシア・バリ島デンパサール市の市立病院で実証している。社長の福富健仁氏は若くして技術的知識を身に付けた海外展開型社長である。

3番目の(株)屋部土建の津波達也社長は未来志向が強く、現在の土木事業に安座することなく、事業の多角化のために従来の排水処理技術では対処できない新しい「天然鉱物を使用した高濃度有機性排水・高塩分有機性排水などの水質浄化」技術を開発して、ベトナム・ホーチミンで突破口を開こうとしている。4番目の(有)琉球環境マネジメントサービスの吉田透社長は若くして水産分野で特異な存在だ。ODAでは水産部門の研修を受託している。太平洋海域における水産資源の把握や水産業の多様化への対策などに優れている。

以上の沖縄企業からは、中小企業海外展開支援の問題点も聞けた。その大半は、企業側からの制度設計に関する注文だったように思われる。中でも、申請などの各種書類作りに手間暇がかかり、人件費を切り詰めた経営体制の下では、他の新しい仕事にも支障をきたすことも多いと言う。政府としては、多くの書類作成が必要かもしれないが、できる限りJICAの実施事務ベースの工夫で書類作成をもっと簡素化すべきであろう。中小企業の中には財力の優れた会社もあるが、大半は財力、そして人財力に恵まれていない。残るはアイデア、技術だけであるが、これは、時に大企業に負けないものを持っている。中小企業海外展開支援はそこを重視しながら、日本の新しい海外企業戦力として、またODAの戦力として活用すべきであろう。

開発コンサルタントの名誉

もう一つの指摘は、中小企業は概して海外に弱い。自分の優秀な技術や製品を海外、特に開発途上国で普及させるためには、JICAなどの援助機関の支援が必要になる。しかし、そうした役割は、JICAも頼りにしている開発コンサルタントに求められる。だからJICAではケース・バイ・ケースでコンサルタントを中小企業に推薦して、事業の推進を図っている。

ところが現在、JICAが推薦するコンサルタントは開発コンサルタントだけではない。他にビジネスコンサルタント、シンクタンク系コンサルタントなども参加している。今回の沖縄では、開発コンサルタントの開発途上国でのネットワークの広さと強さが高く評価され、頼りにされていた。それは、これまでのキャリアから当然だとも言える。彼らはODAベースの開発調査、計画立案などの専門集団で、開発途上国に太いネットワークを持っているからである。中小企業が継続して海外展開する時にはODAベースの開発コンサルタントが一番頼りになるようだ。

そこで強調したい。開発コンサルタントの存在感と知名度を日本国内で高めていくためにも、開発コンサルタントは一時的なスポット的な仕事でなく、経営戦略の一環として中小企業の海外展開をサポートする実務体制づくりに取り組んでほしい。

JICAの掲げるODAとしての“開発課題”の受け止め方も、開発コンサルタントと他のビジネスコンサルタントやシンクタンク系コンサルタントでは歴史が違うと言ってもよいだろう。開発コンサルタントは職業的誇りにかけて、決してコミッション稼ぎのような薄っぺらなコーディネーターにならないよう願いたい。

※国際開発ジャーナル2017年5月号掲載

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