インフラ・トップ外交
安倍首相のトップセールスは、今や驚きを超えて敬意を表したくなる。2013年から15年までの3年間で98回も外国訪問しているからである。
中でも人びとを驚嘆せしめたのは、15年12月の日印首脳会談で、日本の新幹線システムの導入に関する両国政府の覚書が交わされ、その供与金額がこれまた前代未聞の1兆5,000億円の円借款供与だったからである。現在では、ひょっとしたら2兆円に膨れ上がるのではないかと憶測されている。
首相のトップセールスと言えば、池田勇人首相の「トランジスター外交」(当時の日本の輸出主力商品を訪問先の首脳にプレゼントして、日本商品をPRした)が有名な話だが、安倍首相のお爺さんに当たる岸信介首相も戦後第1号のトップセールスマンだったと言える。この時、岸首相はインドをはじめアジア諸国を、首相としては戦後初めて歴訪した。基本的には、アジアとの友好親善外交であったものの、日本にとってアジアとの相互依存関係が将来大きくなることを想定して、アジアの経済開発をどうしたら助けられるかを模索した。その結果、現在の円借款、そして、その実施機関である海外経済協力基金(OECF)を誕生させ、円借款協力の源流をつくったのである。
その時の岸首相は戦後の待ったなしの経済成長政策を担っていた。トップセールスの系譜は、どうしたことか孫の安倍首相にも引き継がれているのである。歴史の不思議さを感じる。
しかし、安倍首相は岸首相のように“上り龍”のような日本経済の成長時代と異なり、“下り龍”の日本経済をどう成長維持するかに苦心しなければならない立場にある。そうした中で、インフラ輸出戦略に重点を置くようになったと言える。
日本の社会システムを売る
これから日本が海外に売れるものがあるとしたら、日本社会のシステムそのものを輸出プロジェクトとして仕立てるしかない。
戦後の成長産業戦略として指定され育てられた花形産業分野(自動車、エレクトロニクス、電気製品など)は、すでにその生産拠点をアジア各地から世界に分散させ、多国籍化の道を歩いている。
だから、これからの日本の売り物としては、社会インフラとも言える運輸鉄道分野、都市インフラづくり(上下水道、交通システム)、あるいは環境に優しく災害に強い都市づくりや地域開発、さらには生産性の高い都市近郊農業、養殖に強い水産業などが考えられる。
現在、首相官邸で企画されている戦略的輸出分野は、インフラ輸出に続いて、介護ノウハウとともに介護産業も将来への有望な輸出分野として期待されている。
言うなれば、開発途上国の先を行く新しい制度設計や国造り技術・ノウハウを後発国に売り込みながら、輸出で生きていく日本を支えていかざるを得ないからだ。その意味で、今、官邸主導でインフラ輸出戦略とともに健康医療輸出戦略を進めているが、国家的意図が強く伝わってくる。
まさに、日本の将来へのサバイバルがかかっているのである。だから、こうした時代に、私たちの政府開発援助(ODA)分野だけが独立独歩、わが道を行く、と言う訳にもいかないだろう。
現在、国際協力機構(JICA)が実施している地方創生効果を発揮する中小企業海外展開支援、海外投融資事業、そしてインフラ輸出を促進する円借款協力などは、相手国に貢献すると同時に、わが国の生存にも大きく寄与しているのである。まさに、開発途上国とのWin-Winの関係にある。そのことは、第3回ODA大綱(開発協力大綱)でも官民連携という形で強調されている。
ただ、古典的とも言える考え方で、「一方的に恩恵を供与することが援助だ」と思っている人がいるかもしれない。しかし、ODAは基本的に外交の手段である。一定の政治目的(国際貢献もその一つ)に沿って実施される。現在の日本にとって、どうやって経済成長を維持するかが、最大の政治目的、政策目的である以上、ODAがその政策に沿って使われることは正しい政治選択と言える。
だからと言って、日本の政治・政策目的を、援助される開発途上国に一方的に押し付けることはできない。援助を唱えるからには、受け入れ国の国家目的にも合致しなければならないからだ。しかし、どの援助受け入れ国でも、相手の国益だけを一方的に押し付けられることには反発するに決まっている。だから、押し付けのインフラ輸出は成立しない。
過去からの脱却
長くODA事業に携わっている人びとの中には、今でもODAの一方的な貢献という考え方から抜け出せない人びとがいるようだが、インフラ輸出という形態をとっていても、そのインフラが開発途上国の経済社会の発展に寄与するという相手の国益を考えると、まさに相互補完の関係が成り立っている。
ところが、円借款協力は、1960年代のスタートから欧米援助国に「円借款は援助ではない。輸出に有利な商業的援助だ」と非難され、肩身の狭い思いをしてきたという原体験がある。だから、関係者はどうしても世界に認められる援助にするのだ、という決意で日本のヒモの付かないアンタイドの円借款を目指し、長い間、紆余曲折を経ながら1990年代末には100%に近いアンタイド化を達成してきた。
今では中国などの出現で、援助の門番とも言える経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)の規範も緩み、再び円借款のタイド化が進行している。ところが、円借款協力に携わってきた人びとの中には、「アンタイドでないと援助ではない」と欧米に言われ続けたことが今もトラウマになって、円借款のタイド化に反発する傾向がないわけではない。
だから、「円借款は日本のインフラ輸出に貢献せよ!」という天の声(官邸の声)には複雑な反応を示しているようにも見える。ただ、円借款が開始された頃(1960~70年代)は輸出振興政策の下でタイド援助(日本のヒモ付き)が当たり前だった。
ただ、その後の徹底したアンタイド化が身に染みて、時に相手の円借款要請を創り出す積極的なインフラ案件づくりに戸惑う傾向がないわけではない。
しかし、私たちは国の現状に従わざるを得ないだろう。そう考えると、私たちは、新しい「ODA意識革命」が要求されているのかもしれない。時代は待ったなしで、ODAへの意識も変えようとしている。ODA関係者は日本の将来を考えて、一日も早く過去からの脱却を図る必要があろう。
※国際開発ジャーナル2017年4月号掲載
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