南ベトナムと同じ運命
2021年8月15日。米軍のアフガニスタンからの総引き揚げで、アフガニスタンの傀儡民主政権が簡単に瓦解し、間髪を入れずにイスラム国家を目指すタリバーン新政権が樹立された。20年に及ぶ長い戦いの歴史のあっけない幕切れであった。
自由と民主主義の味を知った一般市民は、首都カブールを脱出しようと、カブール空港へ殺到する。発進しようとする飛行機の車輪にしがみつく人びと。そこには、国が崩壊する時の悲劇が凝縮されていた。
そうした光景を見ていると、ほぼ半世紀前のサイゴン南ベトナム政府の空しい崩壊が想い出される。1973年、南べトナム解放戦線のサイゴン大攻勢で、南ベトナム政府が自壊した時、それまで自由を謳歌してきたサイゴン市民はパニックに陥って国外へ脱出しようと、空港や桟橋へ殺到した。
船に乗り損ねた一人の市民は、子供だけでも脱出させようと必死に乗船を懇願する。一方、空港へ殺到する人々は、飛び立とうとする飛行機の車輪にしがみついてでも、海外へ脱出しようとする。あちらこちらに悲劇が充満していた。その同じ光景が、ベトナム戦争から半世紀後のカブール空港で再現されようとは、歴史の不思議な邂逅を感じてしまう。
ところが、同じ脱出の悲劇でも絶対に許されない悲劇がある。南ベトナム政府の崩壊の時もそうだったが、今回のアフガニスタンでも政府高官が多額の公金(ドルないし金など)を横領して海外逃亡している。その人物が、米国の信任を20年間も受けていた最高司令官のアシュラフ・ガーニ大統領と言うから、残念ながら欧米による民主国アフガニスタンは最初から瓦解の運命にあったと言っても過言ではない。
ガーニ氏は世界銀行出身だが、米国の大学で学び、大学の教壇に立ったこともある知米派で、国連事務総長の候補になったこともあったという。同じ悲劇が半世紀前のベトナムでも、その半世紀後のアフガニスタンでも繰り返された。
繰り返す米ソの悲劇
国を造るということは簡単なことではない、それは日本の江戸、明治、大正、昭和の歴史をたどってみても明らかだ。それでは、次にアフガニスタンが過去に外国勢力と関わりあった歴史を追ってみよう。
最も記憶に新しい歴史は、1979年の衝撃的なソ連軍のアフガニスタン侵攻であったと言える。進攻の目的は、アフガニスタンに樹立された共産党政権を守るためであった。ちなみに、その時、イスラム過激派アルカーイダをウサマ・ビン・ラーディンが組織してソ連軍と戦っている。
1989年、ソ連軍は大きな損害を出しながらアフガニスタンから撤退を余儀なくされる。そして、それから2年も経たない1991年には、ソビエト連邦が解体され、続いて第二次大戦後、長く続いた冷戦も終焉するという歴史をたどる。当時は10年以上に及ぶソ連軍の大規模なアフガニスタン進攻が、ソ連の政治・経済の屋台骨を危うくしたと言われた。
そして2001年、ニューヨーク世界貿易センタービルや国防省などがイスラム過激派の民間航空機の乗っ取りによって爆破されるという、米国にとっては前代未聞のテロ事件が勃発する。米国は間髪を入れずに、首謀者とされるビン・ラーディンを狙い撃ちすべくアフガニスタンに進攻する。結果、時間はかかったが、ビン・ラーディンは殺害され、米国の制裁は成功する。ところが、今度はビン・ラーディンに味方するイスラム主義勢力タリバーンとの闘いが始まる。米国は国力消耗戦とも言えるタリバーン勢力との戦いに引き込まれ、大した成果もなく、今回の撤収となった。「いったいタリバーンとの戦いは何だったのか」「米国の真の国益に合致したものだったのか」といった国民の疑惑にどう答えていくのか、政府当局の悩みは深いかもしれない。
アフガニスタンという国
ところで、アフガニスタンは地域的に見て、中東地域に分類される国だと思っている人がいるかもしれないが、日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所ではアジアに分類されている。「中東のイラン」と、「アジアのパキスタン」に挟まれたアフガニスタンは、大英帝国のインド植民地支配の時代から厄介な存在で、隣国アフガニスタンの反抗部族の鎮圧のために、インドから遠征鎮撫隊を幾度となく派遣している。ところが遠征鎮撫隊は幾度もアフガニスタン各部族の奇襲攻撃を受けて苦戦している。大英帝国の時代からアフガニスタン各地に群雄割拠する少数部族には手を焼いていたようである。
アフガニスタンという国は、イラン、パキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国に囲まれた完全な内陸国家である。人口規模は約3,400万。国際的に見て大きな問題は、麻薬の原料となるケシ栽培で、その規模は全世界の80%程を占めているという。ケシの収入はタリバーンを支えてきたと言われており、今後、タリバーン政府がこれにどう対処するかが、国際的に注目される問題になっている。
一方、アフガニスタンには不毛と見られる大地の下に豊富な地下資源が眠っているという。宝石のラピスラズリなどは世界的に知られているが、他にリチウム、石炭、銅、レアアース、金などの埋蔵が注目される。
これからを展望すると、新生アフガニスタン政権と、タリバーンの育ての親とも言える隣国パキスタンをはじめ、一部国境を接する中国とは資源開発などで関係強化が図れる可能性があると考えられている。また、この国にはアジアハイウェイがパキスタンの首都イスラマバードからアフガニスタン国境に近いカイバル峠まで伸びている。一つ峠を越えるとカブールに入ることができる。そうすると、東からのアジアハイウェイがアフガニスタン、イランを通ってトルコからヨーロッパへ抜ける新しい流通の可能性も開ける。おそらく中国にとっては「一帯一路」戦略が内陸で一つ完成するという意味でも、漁夫の利と言われようともアフガニスタンとの関係をエネルギッシュに深めるものとみられる。
一国の盛衰が、一方では利を、そして他方では不利を産むという一例を、新生アフガニスタンの誕生に見ることができる。
※国際開発ジャーナル21年11月号掲載
コメント