日本発信の国際協力
新年おめでとうございます。
昨年は本誌創刊50周年を記念して、「変わりゆく世界とこれからの国際協力」というテーマで小論文コンテストを催した。応募してきた論文には、変わらなければならない国際協力への市民感覚が詰め込まれていた。それらは、これまで私たちが国際協力と称してきた政府開発援助(ODA)とは、かなり距離のある市民感覚であり、ODAの世界がいかに市民感覚とズレているかを知らされるものであった。
たとえば、官民連携というテーマを選んだ「コンビニを開発途上国のソーシャルアセット(社会的装置)として活用して、貧困や災害に負けない強い地域共同体の創造を図る」という論文は、日本を含むアジアの都市化と忍び寄る少子高齢化現象を見据えての問題提起である。
政府(官邸)でもインフラ輸出戦略の次に来るものとして、高齢者養護政策(ソフト)と共に実際の養護ハードを輸出する、つまり、日本の社会インフラを次の輸出戦略に取り込もうとしている。そこには次世代への政策的意図が汲み取れる。
論文では、具体的に津波の大被害を受けた大船渡の「居場所ハウス」による震災復興を契機としたソーシャルアセット(社会的装置)の創造をめざして、「居場所ハウス」のような地域共同体とコンビニとの連携を図り、開発途上国のソーシャルアセットの拡大を図る援助を提案している。
そして、「居場所」の活用を教育、医療、貧困削減などの領域に適用していくためには、国や地方自治体などの行政との協力も必要になってくるが、基本的には地域の人びとの心のふれ合いを大切にしなければならない、と一般の庶民感覚に根ざした新感覚の国際協力のあり方を唱えている。
次は、アジアの高齢化現象を見越して、日本の高齢化対策としての「成年後見法制」を次世代の援助政策に組み入れることを提案している。つまり、社会的で政策的なソフトウェアを重視したODAへの転換を主張しているのである。
さらに、大学生による「ODA体感ツアー」の提案。スポーツを用いたアフリカにおける民族部族間の和解協力。日本と開発途上国とのキズナを大切にした国民目線からの援助のあり方を主張。高度情報化時代における国際協力の変化を求めたもの。ODA版ふる里納税制度を活用した市民レベルの途上国地方開発協力の提案。
また、実際の援助においても、これまでの日本と開発途上国という二国間援助だけでなく、南南協力という途上国vs途上国という協力を日本が支援するという考え方を主張する人もいた。
市民との連携重視へ
つまり、多くの人びとは、政府vs政府というこれまでの援助方式からの大変革を求めていると言える。まさに文字通り、多様な国民参加型のODAのあり方を求めているのである。
市民とのふれ合いを大切にしたODAは、開発途上国の市民と日本の市民とのふれ合いを重視したODAである。特に、アジア諸国では民主主義や経済の発展で徐々に市民の発言権が増大しつつある。だから、国民の税金に依存するODAは、今では国民相互の発展と友好を促進させる触媒的効果を有していると言える。
しかし、現在のODAはその政策においても実施(国際協力機構=JICA)においても、日本政府vs途上国政府という図式の中で実施されているだけで、日本社会の市民と途上国社会の市民との交流を重視した政策体系を成してない。
先にも述べたように、多くの開発途上国では経済の発展、先進国市民との交流が増大するにつれて、市民意識が向上し、政治に大きく関与するようになっている。だから、ODAの税金負担(ただし円借款協力は財政投融資に依存している)を背負わされている日本側の市民が自発的に、「これが、われわれの考える援助だ」という提案に、政府はもっと真剣に耳を傾けなければならない。
途上国市民と交流する日本の市民の体験や意見を重視することが、これからのODA実施においても重視されなければならない。
政府はともすると、ODAへの国民意識は低いという認識にとらわれがちであるが、それは、政府ベースの時代遅れの国際協力を死守しているだけで、市民は市民流の考えで国際協力を黙々と進めたいとしている。政府にはそうした市民ベースの国際協力をちゃんと評価していないから、認識がズレてくる。
だから、政府は第3次「ODA大綱(開発協力大網)」でも明示している市民レベルの国際協力や国際交流を重視して、彼らの提案を検討して、新しいスタイルの国際協力に目を向けるべきである。
古色蒼然としたODA
現在、外務省が提案し、JICAが実施している中小企業海外展開支援があるが、これなどは日本の地方と開発途上国との人と技術の交流というアングルから見ると、新たな庶民交流の成果が見えてくる。それは日本の地域都市と開発途上国地域都市との経済・人的交流としてODAの新しい局面が見えてくる。それはまた、日本の地方創生にも役立つし、それだけ日本の地域住民を巻き込んだ市民交流としての役割が高まる可能性もある。
ODAは言うまでもなく、納税者によって維持されている。ならば、もう少し納税者側に立脚した、新しいODA実施政策が発案されてもよい。今のODA実施政策は、納税者不在と言っても過言ではない。
筆者は、常に官民連携のODAを主張しているが、それは企業のみならず、国民、市民を巻き込んだ連携であって、経済的な連携だけを意味するものではない。新しいODAは市民の提案を巻き込んだ国民、市民レベルの官民連携型協力へ一刻も早く転換すべきである。
そのうち、税金だけに依存するODA(実際は大幅に削減されているが)から、市民型協力を大きく展開することで、政府ODA予算も加え、一市民や一企業の寄付をも統合して、政府のODA予算を凌駕した「国民協力基金」が創設され、市民参加レベルの開発途上国との交流や協力が大いに発展するという、夢が夢でなくなる時代がくるかもしれない。
もう筆者も古いが、わが国のODA政策もJICAなど実施機関も、古色蒼然とした世界に住んでいると言ってもよいだろう。もう古い衣をぬぎ捨てる時代がそこまで来ている。
※国際開発ジャーナル2018年1&2月号掲載
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