“革命裁判”のような会場
昨年11月に続く第2弾の行政刷新会議「事業仕分け」が4月23日に実施された。第1回は東南アジアへ出張中で仕分けの現場に立ち会うことができなかったが、今回はJICAの仕分けなるものをじっくり取材できた。しかも、一般傍聴席のなかで一般人の息遣いを感じながら、双方の遣り取りに聞き入った。話題が1,600万円年収の理事所得や44万円の在外手当など、金銭問題に波及すると、私の周辺から怒りとも羨望ともとれるような溜息が聞こえてくる。隣のご婦人は小さく「ひどいわね」と呟く。何がどうひどいのか聞くことはできなかったが、その場での実感は、国際協力がいつの間にか庶民感覚とかなりかけ離れているのではないか、という懸念が残ったことだった。仕分けグループが指摘する“高コスト体質”という論点は、意外にこうした庶民感覚と似たような土壌のなかから生まれたものではないか、とさえ感じた。
この日は肌寒かった。しかし、会場は暖房と人びとの熱気で息苦しかった。攻める側、守る側、それをみつめる人びとの放つエネルギーが場内を沸騰させていた。私は長い間、取材活動をしてきたが、こんな革命裁判のような場面に出会ったことがない。政権交代とは、こんなものかという強烈な印象を受けた。
民主党政権がこれからどのくらい続くかは定かではないが、半世紀にわたって自民党政権下で、「外交の重要な手段」として庇護されてきた政府開発援助の世界もこれで息の根を止められるのではと思った。世界を見ると、その援助潮流がG7からG20へと主役拡大するなかで、援助の持つ意味も変わりつつあるといえる。その世界観が「地球」の危機に根ざした人類共通の課題へと進展するにつれて、伝統的な開発援助が一国の強力な外交手段として重宝される時代ではなくなっているのではなかろうか。
日本の政府開発援助を取り巻く社会環境も変わりつつある。まず、人びとの援助を見る目が変化していることだ。それは少子高齢化の進む日本の一種の貧困化シンドロームが多くの日本人の上昇意識を低下させ、貧しい国々を助ける援助価値観を見失っているように見える。今や、助けられるのは自分の方だという冷めた庶民感覚からすれば、「援助する人びと」の生活環境がこんなに保護されてよいものかという納税者の反発が、事業仕分けで覚醒される形で燃え上がっているような気がした。
本部は“贅沢な母屋”か
仕分けグループは援助の意義は大いに認める。しかし、援助の仕方についてはすべて国民の税金に依存している以上、徹底的に仕分けるという方針で援助する人びと(JICA)を仕分けた。つまり、援助する人びとの母屋(本部)から仕事の場(研修、研究等)、そして仕事する人びとの生活のあり方(給与水準、在外手当、職員宿舎など)にまでメスが入った。仕分けられるJICA側も税金が有効に使われているか、という援助方法論に重きが置かれないで、自分たちの生活に直結する形の国内施設の運営、人件費、旅費、事務費などに鋭くメスが入るとは思っていなかったのではなかろうか。「まさか…」という動揺が答弁に現われていた。
その意味で、JICAの内幕が天下に晒されたことになる。もっとも、JICA自身も自民党政権下で慣らされた一種の“仕来たり”通りに、関連団体をつくり、分業させて、そこに実務的な天下り人事を行ってきた。それは、外務省はじめ各省からJICAの理事に天下りしたり、時に重要な部長職にも現役出向してきた一種の“仕来たり”を踏襲している。自民党時代はそれが当然の世界だった。それが、突然の事業仕分けで破られた。以上が私の事業仕分け会議の実感である。
JICAの仕分け課題は3つであった。1つは前回のフォローアップとして残っていた運営交付金関係で、その内訳は(1)国内施設の運営費、(2)調査研究の経費(JICA研究所を含む)、(3)技術協力、研修、政策増等の経費、(4)人件費、旅費、事務費、業務委託費など。2つ目は有償資金協力(円借款)、3つ目は取引契約関係、職員宿舎などの問題。仕分け結果については円借款を除く6事業が「縮減」と判定された。
次に私の取材感覚にひっかかったいくつかの問題にふれてみたい。
(1)JICAの仕分け人たちは東京千代田区の一等地にある麹町本部を年間27億円の家賃を払う“贅沢な母屋”として、仕分けのシンボリックな存在に仕立て上げて、徹底的に施設攻撃を行った。本部の移転、JICA研究所の入っている市ヶ谷ビル、青年海外協力隊発祥の地・広尾センター(地球ひろば)などの処分、東京の中心的な研修センター・幡ヶ谷の東京国際センターの移転等の再検討などが話題になった。他省庁の仕分けで統廃合された空ビルをオールジャパンの形で活用したらどうか、という提案も行われた。地方の研修センターは、北海道の2つの研修センターを1つに集約し、大阪センターは売却という結論を出した。
いずれにしても仕分け人に狙われた本部ビルの豪華さは、どういう感覚で選ばれたのか、そのセンスが疑われる。コンサルタントなどJICAの下で仕事を助ける人びとは、移転当初から「敷居の高いビル」といって当惑していた。「まるで国際金融機関のようだ」という人もいた。
惨めな研究所バッシング
(2)報道写真でも明らかなように、仕分けグループに対し、先頭に立って懸命に自らの仕分け結果を披露したのは福山外務副大臣など政務三役である。福山副大臣のさわやかなプレゼンテーションは聞く人を安心させるような説得力があった。さすがに政治家だと思ったのは私だけではないだろう。なかでも、緒方理事長の年収が取り上げられると、福山副大臣は敢然として「世界的に活躍する日本を代表する国際人に対して当然の報酬だと思う」と反論した。これには仕分け人たちも沈黙した。もし、政務三役の活躍がなかったら、事業縮減どころか廃止事業が言い渡されたかもしれない。
JICA側の発言は、主に外務省からの理事だけという印象にとどまった。実施主体はプロパーであるはずだから、本来ならばプロパーの活躍があってしかるべきだろう。会議の最後に、枝野・行政刷新担当大臣は「役員の担当はいろいろあるとしても、13人の役員は必要ないのではないか。検討いただきたい」と述べ、福山副大臣も「検討します」と同調したが、運営合理化、戦略的運営をめざすならば、民間人の役員登用が必要であろう。そのうえで、闘えるJICAにするには現場経験のあるプロパー部長たちに運営決定権を付与する必要がある。
(3)一番惨めだったのは、JICA研究所いじめだった。前回の仕分けで予算30%カットを言い渡された。今回はそのうえに調査は援助事業に必要だからJICAが実施すべきだが、研究は外部委託しても構わないのではないかといい、アジア経済研究所、アジア開銀研究所などへの統合を示唆するあり様だった。なぜ、これほどバッシングされるのか。私にはその理由がよくわからない。もし建設的な提案ならば、途上国研究、援助研究を行っている他の研究所との大同団結を呼びかけたならば、横断的な行政刷新の意義が鮮明になったかもしれない。
(4)円借款事業の評価がおかしいと批判された。事業縮減の嵐が吹きつけるなかで、初めて事業推進のあり方が問われたのである。1つはあるプロジェクト評価が身内の人によって行われていることがわかった。一事が万事である。これからは内々の評価ではなく、中立的な第三者評価機関による評価でないと、公正な評価にはならないと厳しく指弾された。2つは、途上国にお金だけ貸して、開発プロセスで注意を払っていないのではないか。これでは途上国に借金だけが残ることになると手厳しい。現地で円借款事業を見てきた仕分け人の意見であったため、会場を納得させる力があった。
今回の仕分けで私は思った。政府開発援助はもはや完全に聖域ではないと。これからは国内独立行政法人と同じ目線で監視されることになる。JICAのガバナンス(統治能力)向上は緊急を要するものとなろう。
※国際開発ジャーナル2010年6月号掲載
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