ODAの現場で生きている後藤新平のDNA
今回はODA実施で欠かすことのできない開発コンサルタントの役割を話してみたい。その内容は多くの読者にとって少々専門的かもしれない。しかし、開発コンサルタントの専門性、開発戦略的なノウハウ(頭脳)が存在しないと、効果的なODAは担保されない。彼らはそれほど重要な使命を担っているのである。
これは私の経験であるが、1970年代の初め、台湾を取材し、台北から高雄へ台湾縦貫鉄道で旅したことがある。台中からトンネルを抜けると、川端康成の小説「雪国」ではないが、いきなり熱帯に変身する。この鉄道は日本の統治時代に台湾総督府が建設したものであるが、今では再び日本の新幹線システムが導入されている。
私の高雄訪問の目的は、「高雄工業団地輸出加工区」の取材であった。当時を想い出すと、まず驚いたのは50mにも及ぶ幅広い道路が縦横に整備され、早朝時には工業団地に出勤する自転車の列にまじってのスクーターやオートバイの列が混然一体となって交差点を埋め尽くしていた光景である。80年代の北京の天安門前と同じ風景を演出していた。
高雄市当局に「実に先見性のある道路づくりですね」というと、彼らは一斉に敬意をこめて「これは日本人の後藤新平先生の発想ですよ」といった。後藤新平は須賀川医学校を最終学歴にしている驚異の偉人として知られているが、大正12年の関東大震災後の帝都東京再建では、50m道路を縦横に走らせる機能的な都市づくりを提案している。だから、高雄の50m道路をつくった人が後藤新平であることは歴然としている。
後藤新平は当時の内務省から台湾総督府民政長官に就任し、台湾発展の基盤づくりに天才的な能力を提示した。その実績が買われ、その後、1906年に設立された「満鉄」(南満州鉄道株式会社)の総裁の一人に選ばれ、南満州地域の総合的開発にその能力をいかんなく発揮した。南満州の権益は、1905年(明治38)9月の日露講和条約(国民に不満を残したポーツマス講和条約)でロシアは満州にもつ権益の一部を日本に移譲したもので、当時の日本は「満鉄」を中心に大連、旅順、営口、安東などの港湾開発を行いながら南満州のインフラ整備など総合的な地域開発を手がけた。その開発計画のなかには当時、石炭という優位性を生かした石炭液化のための満鉄中央試験所はじめ満州化学工業など含まれていたが、満鉄傘下企業は直営で14社、50%株保有で21社、関連で10社という規模に達していた。
「開発調査というしかけ-途上国と開発コンサルタント」の著者、橋本強司氏(レックス・インターナショナル社長)は、はしがきで「戦略的調査という視点で、満鉄調査部は“元祖シンクタンク”と捉えられているが、日本の近代以降で唯一の本当のシンクタンクなのではないだろうか」と述べているが、私も同感である。
国際的に競争力あるマスタープラン調査
以上のようなストーリーでも明らかなように、日本には地域、さらにセクターを振興させるノウハウともいわれる開発戦略的な開発調査ノウハウがDNAのように今も引き継がれているのである。そのことを強調するために、前段として歴史的な簡単な検証を行ったのである。
本誌の協力で去る2月に専門性の高いJICA公開セミナーが開催された。題して「ウランバートル(モンゴル)市都市計画のマスタープラン(M/P)と都市開発プログラム調査の成果を踏まえて」(ソフト系コンサルタント・アルメック実施)。マスタープラン調査が本論のキーワードである。多くの国々は、産業であれ文化であれ、国際的な比較優位性を発掘し、それを育てることによって、厳しいグローバルな国際競争を生き抜こうとしている。そうした戦略思考のなかで生まれたものが、JICAが技術協力として長年育ててきたマスタープラン思想であり、マスタープラン調査手法だといえる。
マスタープラン調査とは、いろいろな開発計画の総合基本計画を策定するための調査である。それは大別して(1)全国または地域レベル、(2)セクター別(分野別)にわかれ、それらの長期計画を作成することがマスタープラン調査事業と呼ばれるものである。そして、そのマスタープランのなかで優先的に計画された個々のプロジェクトの妥当性を調査するのが通称F/Sと呼ばれるフィージビリティー・スタディ(可能性調査)である。マスタープラン調査はアフリカなどで国際協調するとき、被援助国が援助国へ提示する開発のロードマップになる。これこそ援助される国のオーナーシップを誇示するものといえる。マスタープランづくりは常に相手国と意見調整しながら、彼らの自律的発展性を引き出すという効果がある。実際には援助プロジェクトが個々バラバラに計画されるのを、一つの開発枠組みのなかで選択と集中をもって優先順位がつけられるので、援助資金効率も一層高まる。
円借款部門を統合したJICAにとって、技術協力との連携という意味でもマスタープラン調査の重要性は高まっている。相手国に開発協力のビジョンを提示しながら、ここは有償の円借款協力で、ここは無償資金協力で協力するというプレゼンテーションが行い得れば、相手国の日本のODAへの信頼は高まり、日本の技術、ノウハウ的な優位性も確保できる。また、マスタープランを台本にした国際協調という面でも日本の貢献は大きい。
ODA小型化が諸悪の根源か
援助の流れからみると、外務省が国益や国際益を考えながら国別援助方針を決め、実施機関のJICAが国別援助実施計画を作成するのが基本的な方程式である。その時、マスタープラン調査は基本的にどっちに反映されるかといえば、国別の援助実施計画を作成する時のようであるが、もしそうであれば、現在の地域別、国別編成の各地域部のなかで最も重要な役割を果たさなければならない。その辺の認識がJICA内で深まっているかといえば、深まっているとは断言できない。まだプロジェクト・オリエンテッド(志向)が先行しているようにみえる。マスタープラン調査は国際機関が小さな計画ベースで細々と実施しているくらいで、他の主要援助国をみると、過去の積み重ねの実績から実行能力は極めて低い。その点で、マスタープラン調査は実績をみても日本のODAにとって、国際的にみて比較優位に立っている。これは誇れるわが国ODAの知的ノウハウである。
セクター別では、古くはインドネシアのコメ自給率向上と関連した全国レベルの病虫害被害予防システム構築とか、新しくは医療分野でベトナムのホーチミン市のチョーライ病院から、中部、北部のバックマイ病院を南北に縦断した全国医療体制づくりなどが知られている。こうした開発戦略的な思考こそ本来、開発コンサルタントに求められるべきものであるが、援助が無償資金協力でも技術協力でもコマ切れ状態が続く限り、マスタープラン的な経験を踏む場面が失われ、過去の経験の伝承が途切れる恐れが濃厚だ。
そうしたなかで、開発の総合科学ともいうべきより高度で、専門的なマスタープランづくりのコンサルタント業の継承が危機に瀕している。さきに述べた2月開催のセミナーで、JICA経済基盤開発部長の黒柳俊之氏は「マスタープラン調査でいつも見るコンサルタントの顔は昔と同じ顔で新旧交代が見られない」と若きコンサルタント人材の成育不足をJICAの将来とも照らし合わせて懸念していた。その原因には、“戦略”をめぐる世代的な価値観の違い、あるいはコンサルタントをモノの調達と同じレベルで考える調達風土などもあげられるが、とくに最近では開発コンサルタントの戦略的頭脳を活用する調査案件も少なく、調達する側にもその価値を体得している人たちも少なくなった。ただ、コンサルタント側にも開発戦略を重視する経営風土が減少していることもあげられる。しかし、現実的には援助が小型案件化し、しかも素人的発想の案件が横行し、案件の専門性、科学性が欠落していることとも関係しているように思われる。
少ないODA予算の有効活用という点でも、マスタープランの地域開発でも、分野別開発でも、絞り込んだ一つの大きな援助ロードマップのなかで、さらにプロジェクトを絞り込んで資金の集中投入を図るべきであろう。そのなかで、優れた開発コンサルタントの育成、涵養が図られると考えたい。
※国際開発ジャーナル2009年5月号掲載
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