首相職の世襲化
日本の安全保障にとって、東南アジア諸国連合(ASEAN)の動向が大きな関心事であることは言うまでもない。中でも、大陸部ASEAN(タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)が大陸の大国・中国に近いだけに、その動向は特に注目されるべきであろう。
今回はフン・セン一族が支配するカンボジアを主なテーマにしてみた。8月8日付のプノンペンからの共同通信によると、カンボジア総選挙でフン・セン首相の率いる与党カンボジア人民党が圧勝し、40年近く首相の座を独占してきたフン・セン氏の長男、フン・マネット(フン・マナエトとも言う)が次期首相に指名された。
新政府の閣僚名簿案によると、閣僚約40人のうち、10人以上はフン・セン政権の閣僚や与党有力者の子弟で占められ、フン・セン一族とその側近による権力の私物化が鮮明になっていると言われている。さらに関係筋によると、こうした一族による政治の独占的な構造が、この国の将来にとって最大の不安材料になっていると言う。2023年版「アジア動向年報」によると、フン・セン首相は、憲法を改正し、長男のフン・マネット(国軍副総司令官/陸軍司令官)への首相職の世襲を確実にする道筋を整えたと述べている。これにより、フン・セン親子による政権支配が長く続くものと見られている。
一方、カンボジアの国民性から見てフン・セン一族のさらなる長期政権が続くのではないかと懸念されている。長い目で見ると、一族による政治の独占は、一族の富の独占にもつながり、再びかつてのような動乱が再発する危険性を指摘する専門家もいる。それはまた、ASEANの団結に不安の種を蒔くことにもなりかねないと将来が危惧されている。
次に、カンボジアと深く関係するASEAN、そして中国や日本などとの関係を追跡してみよう。中でも、中国との関係はカンボジアの加盟するASEANの中立性にも深く関わる問題を包含しているので、ASEANの崩壊にもなりかねない問題へ発展する危険性が指摘されている。
ミャンマーに甘いフン・セン
現下のASEAN最大の問題は、2021年の国軍によるクーデターに端を発するミャンマー問題である。カンボジアは3回目のASEAN議長国として、ミャンマー問題に対処してきた。しかし、それがあまりにも独善的路線になりすぎて、インドネシアなど一部のASEAN諸国から反発される一幕があった。例えば、カンボジアが二度目の特使を派遣したにもかかわらず、ミャンマー軍政は国際社会からの制止を無視して政治犯を処刑し、ASEAN議長国としてのカンボジアの面目が潰されている。インドネシアなどは、ミャンマー問題へのカンボジアの独自路線に反発してきた。そもそも現在のインドネシアは、周知のようにスハルト独裁から脱却した国だけあって、常日頃からカンボジアの独裁化に不審の念を抱いている国でもある。だから、そんな国がミャンマー国軍政権の独裁にどれほど適正に対処することができるかは初めから疑問視されていた。
その意味で、カンボジアはASEANの中で最初から“要注意の国”として注視されてきたとも言える。つまり、一族による独裁国家カンボジアがミャンマーの軍事独裁の正常化をどこまで達成できるかは、最初から疑問視されてきたとも言える。
その上、対外関係においても、特に中国との関係がASEAN全体から見て瀬戸際外交的だと見られてきた。それはタイ湾に面したシハヌークビルのリアム海軍基地のあり方の問題である。これは米中対立の争点にもなったが、米国の国防総省によると、リアム海軍基地内に密かに中国軍専用の海軍基地の建設が進んでいると見られている。カンボジアはその指摘を厳しくはねのけている。
しかし、カンボジアと中国との軍事関係は、中国からの武器輸入、さらに中国軍との合同軍事演習などから、かなり深まっていると見られている。周知のように、中国は東シナ海から南シナ海へ軍事進出し、領海問題をベトナムやフィリピンと起こしている。同じ仲間のASEANの国々が中国と領海問題を抱えているにもかかわらず、ASEANの仲間であるはずのカンボジアが中国の海軍基地を提供することへの懸念は大きく、場合によってはASEANの分裂にもなりかねないと、大いなる不安が関係国の間で深まっているようだ。
状況によっては、隣国ベトナムやタイとの関係が悪化することさえ懸念されている。カンボジアのシハヌークビルに中国の軍艦が入港し、タイ湾を自由に航行しては、タイ、ベトナムのみならず、フィリピン、マレーシア、インドネシアにも大きな危機感を抱かせることになろう。
シハヌークビルへの危機感
そういう状況にもかかわらず、カンボジアは中国との海軍の軍事行動演習を実施している。ここに至っては、ASEANの集団安全保障体制が大きく崩れてしまう恐れが出てくる。場合によっては、ASEANの崩壊にもなりかねないと言われるほどに危険な状態に達していると言えるであろう。そうした中で、日本はシハヌークビル港新コンテナターミナル拡張事業(第一期)への過去最大規模の円借款(約413億9,000万円)供与に調印している。
日本は内政不干渉の立場をとっているために、シハヌークビル港が中国海軍の隠れた基地であろうがなかろうが、大規模な援助・協力を実施しているようだが、ASEAN全体の安全保障体制から見ると、まさに敵に塩を送っているようなODAであって、一旦緩急の場合には日本の責任が問われる可能性がないとは言えない。
いずれにしろ、東シナ海、南シナ海の安全保障、さらにASEANの集団安全保障体制にも大きな不安材料を与えたことになる。ASEANの団結という面では、ミャンマー軍事政権といい、カンボジアの一匹狼的な振る舞いといい、大きな危機を抱えていると言っても過言ではない。それはまた、広くアジア太平洋の安全保障環境にも重大な影響を与えることにもなりかねない問題でもある。
日本から見ると、単なる港湾開発援助プロジェクトであっても、それがアジア太平洋の安全保障環境に多大な悪影響を与えかねないということを考えることも大切であろう。これはODAに対し安全保障的視点が求められる重大な課題とも言える。
※国際開発ジャーナル2023年10月号掲載
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