民族自立の戦い
ウクライナの民族自決・自立の道は、歴史的に見て極めて厳しい局面に立たされていると言える。しかし、今、この道を避けると、悲願のロシア離れが遠のくことになる。だから、ウクライナ人は必死にロシア軍と戦っている。そこには決してロシアの属国にはならないという強い民族的な決意がみなぎっている。私たちは、そこにウクライナの強烈なナショナリズムを感じることができる。
私たちは、かつて同じような経験を、ベトナム戦争で体験したことがあった。現在のベトナムは実に平和で、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一員として静かに暮らしているが、かつて民族独立を悲願にフランスそして米国と戦っていた時は、“阿修羅”(戦闘を好む鬼神)のごとくであった。
南ベトナムは民族統一、完全独立を勝ち取るために約13年間を要した。ベトナムの歴史によると、紀元前203年に南越国が成立するが、その後約1000年にわたって、中国の歴代王朝の支配を受け、そして1885年にフランスの保護国(植民地)となる。
だが、民族自決・自立を悲願としていたホー・チ・ミン(ベトナム近代国家建設の父)は、東洋の小国日本がロシア大帝国のバルチック艦隊を日本海で撃破するのを知って大きな衝撃を受け、民族自立を強く決意して社会主義革命後のロシアに学び、ベトナム民族統一、ベトナム社会主義化の道を突き進んできたと伝えられている。
戦う相手は、1885年からベトナムを自国の保護国、植民地化を進めたフランスで、1946年にフランスとの第1次インドシナ戦争が勃発し、1954年にフランスは広く語り継がれているディエンビエンフーの戦いで大敗北する。
ところが、社会主義の東南アジアへの南下を恐れた米国は、南ベトナムに、いわゆるかいらい傀儡政権、南ベトナム政権を1962年から1975年まで13年間も擁立して戦った。しかし、北ベトナムの民族自決・自立の強烈な闘争心には勝てなかった。ベトナムは民族自立、独立のためにフランス統治時代を含めて、なんと21年間も戦い続けたことになる。ベトナム人の忍耐力には脱帽である。
問われる世界の食糧供給
他方、ウクライナのロシアとの民族自立の戦いは、1年数カ月が経過しているだけだが、欧米諸国、そして日本まで協力しているから、孤立していない。その意味で、ロシアは欧米日と戦っているようなものである。
ところが、世界の穀倉とも言われているロシアとウクライナの戦争で最初に打撃を受けるのは、アフリカや中東などの貧しい人々である。時に、ロシアはその戦争責任を欧米にかぶせているが、それは攻撃するロシアの責任になるのではなかろうか。しかし、相互に批判、非難し合っていても、アフリカの飢餓は一向に解決できない。まさに、人為的な飢餓の出現である。この状況は、人道的に許されるものではない。
そして、ここにきて国連の役割には限界のあることが明白になってきた。最終的には欧米諸国が国連をバックに、ロシアとの話し合いを早めに進める以外に打つ手がないのではなかろうか。
これは窮余の一策かもしれないが、とにかく最終的には命の綱とも言える食糧供給能力のある国の存在を無視できない。その意味で、戦略的にはロシアが有利になるかもしれない。しかし、その反面、国家的な信頼や尊厳は大きく失われていくに違いない。
そこで、日本としては東南アジアのタイ、フィリピン、インドネシアなどと協力して、第1に余剰農産物のアフリカへの供給システムを、第2に食糧生産の生産性向上に貢献する共同協力システムづくりという新しい次元の協力にチャレンジすることを構想することも一考であろう。
ASEANと農業協力で人的関係を重ねてきた日本が、アフリカ農業協力でアジア各国と連携して、稲作など食糧供給支援を共同で取り組むなど、食糧供給協力向上プロジェクトなどを立ち上げる時代を迎えているのではないだろうか。
食糧戦略で、食糧不足にあえいでいるアフリカに外交的圧力をかけて、有利に外交展開するという悪しきケースが生まれないためにも、日本をはじめ欧米諸国は、アフリカ、中東などへの画期的な農業協力を目指すべきではなかろうか。食糧を外交戦略にすることは、外交の正道を踏み外したものと言っても過言ではない。ところが、この外交的手法はロシアだけでなく、かつては米国も多用していた。
求められる食糧に関する国際協力は、食糧を供与するだけでなく、食糧を生産する能力向上に協力することだと言われているが、それは二国間の外交関係を正常に維持するためにも重要なことだと言われている。
ヨーロッパの思惑
とにかく、ロシアとウクライナの戦争は、常に食糧に苦しむ貧しい人々にさらなる追い打ちをかける危険性を高める可能性がある。ロシアとウクライナの国家的エゴイズムがなんの罪もない人々を苦しめている。両国の覚醒を待つのみである。
欧米諸国を見ていると、時に冷たくウクライナを見ていることもある。それはロシアの国家的なエネルギーを減少させる絶好の機会をつくってくれているウクライナという見方である。そこにはヨーロッパの陰湿な発想が見えてくる。そこで、声を大にして言いたいことは、日本はヨーロッパの紛争に深く関わることを極力避けるべきだということである。かつてフランスはベトナムで植民地時代に甘い汁を吸いながら、また英国も植民地としてバングラデシュやミャンマーで多くを搾取しながら放置し、その後釜に座った米国が、そのツケを払うことになった。
ウクライナの場合も英仏は対ロシア防波堤としてウクライナを利用するだけで、労せずに対ロシア戦略をウクライナに代行させているように感じる。ウクライナも欧州連合(EU)という安全圏に潜り込めば、対ロ戦争のコストは十分カバーできると踏んでいるに違いない。
ロシアとウクライナの戦争には、実に複雑な国家的な駆け引きが絡んでいると言っても過言ではない。
重ねて言いたいが、極東の日本としては、いくら国際連携の時代だからと言っても、ヨーロッパの戦争に深くコミットすることは極力避けるべきである。岸田首相の言動を見ていると、米国の圧力の中でヨーロッパに深くコミットする恐れを感じてならない。
※国際開発ジャーナル2023年9月号掲載
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