タイ東部経済回廊計画の顚末 軒を貸して、母屋を乗っ取られる|羅針盤 主幹 荒木光弥

驚きの日中インフラ協力

周知の日中首脳会談に続く民間対談では、中国の「一帯一路」戦略にも関わるインフラ建設に日本企業もケース・バイ・ケースで「質の高いインフラ建設」を掲げて参加する旨が話し合われた模様である。

アジアインフラ投資銀行(AIIB)が創設された時、日本は米国と共に「参画しない」と公言した。ところが、その舌の根も乾かないうちに民間の強い要望に押されたからと言って世界の注視する日中首脳会談の日程の中で、臆面もなく手打ち式を行うとは、いささか軽率ではないかという批判は免れないだろう。これは世界の信頼を失うことにもなりかねない事柄でもある。

聞くところによると、外務省は外交ルートを通して誤解なきよう日本政府の真意を諸外国政府に伝えたと言うが、これは外交的にも微妙な問題として受け止められているからであろう。

産経新聞が連載する“チャイナ・ウォッチ”では、「日中間で確認した第三国での経済協力は事実上、中国が提唱する一帯一路構想に沿ったものである。タイでのスマートシティー開発など52件の事業援助に関する日中企業間の覚書の締結が発表されたが、日本政府と日本企業はこれで中国主導の“一帯一路”に深く関わることとなった」と述べられている。

そこで、筆者は日本や中国側からではなく、タイ側に立って、中国がいかにタイのプラユット政権に食い込んでいるか、かつて日本がイースタン・シーボード(東部臨海開発協力)として手がけた地域における東部経済回廊(EEC)への中国の影響力はどうなっているかについて追跡してみた。

430億ドルのEEC開発

プラユット首相は2017年7月、「タイランド4.0」構想を発表した。その中心的プロジェクトが、東部のチャチュンサオ、チョンブリー、ラヨーンの3県にまたがるEEC開発構想である。

その構想は、港湾、空港、高速鉄道、高速道路の建設・補修をはじめ、ロボット産業や航空産業など、11業種の次世代ターゲット産業への投資を目指すもので、投資規模は430億ドル(1兆5,000億バーツ)に及んでいる。

2018年2月、EEC政策委員会が承認した168件、総額9,890憶バーツに及ぶインフラ投資計画を財源別にみると、政府予算30%、官民パートナーシップによる民間投資60%、国営企業10%である。ただ、政府予算(公的借り入れ)には、言うまでもなく、中国の主導するAIIBや中国金融機関からの借り入れも含まれている。

タイ研究の第一人者である学習院大学の末廣昭教授によると、東部タイは2015年12月末に発足したASEAN経済共同体(AEC)のハブと位置付けられ、ミャンマーからタイ、カンボジア、ベトナムなど大陸部東南アジアを横断する経済回廊のハブとされている。さらに東部タイは西のミャンマー、インド、東のカンボジア、ベトナム、さらには日本、米国、南のASEAN諸国、北の中国とつながっている。これはまさに、「アジアのゲートウェイ」という戦略的要衝でもあると言う。特に中国とのつながりは「一帯一路イニシアティブ」の一部をなすもので、タイと中国の国家レベルの戦略的提携へと発展していると言っても過言ではない。

それは2017年9月のプラユット首相と習近平国家主席との間で交わされた「戦略的合作」に関する合意書、そしてタイ政府と中国のアリババ集団の馬雲(ジャック・マー)会長との間で交わされた協力覚書などが証明していると言う。

例えば、タイ政府とアリババ集団との覚書によると、(1)電子商取引を活用したタイ農産物の中国市場向け輸出の支援、(2)EC分野への人材開発援助、(3)デジタル観光プラットフォームの構築、(4)EEC内のスマート・デジタル・ハブへの投資の4件を見ても、中国のタイへの食い込み具合が明らかである。

「一帯一路」の拠点となるタイ

周知のように、中国の「一帯一路イニシアティブ」のうち、「陸のシルクロード」は雲南省昆明市からラオス、バンコク、シンガポールへと伸びている。さらに、中国にとってEECへの進出は、東部タイのレムチャバン港、サッタヒープ港を拠点にカンボジア、ベトナムへと東シナ海に出るためのルートを確保したことになる。事実、昆明とEECをつなぐさまざまな投資プロジェクトが進行中とのことである。

中国が「一帯一路イニシアティブ」を前面に掲げ続けて、AIIBや中国国家開発銀行の資金を活用し、さらにはアリババ集団や華為技術(ファーウェイ)などがEECの要となる「デジタル経済」の構築に全面的に協力するようであれば、EECは決して「絵に描いたモチ」にはならないと言われている。その意味で、「南進する中国」の下でEECのみならず、タイ国家そのものにも大きなインパクトが与えられ、それが東南アジア一円に波及することも考えられる。

しかし、現在のEEC開発計画の元祖は日本である。1983年頃から始まった、マプタプット工業港、レムチャバン商業港、1988年のサッタヒープ港などへの三次にわたる円借款協力を挙げることができる。その他に水道、鉄道、道路、工業団地造りなど総合力が発揮された。1999年の貸付総額は1,787億6,800万円で、その実行額は1,337憶9,900万円に達している。

ただ、当時の記憶をたどると、世銀はマプタプット港とレムチャバン港への投資は非経済的だとし、従来からのバンコク港の拡張とサターヒップ港の活用をタイ政府に提言し、日本との間で開発大論争が展開されたことを思い出す。

しかし、今や先人たちが、心血を注いできたタイ東部臨海工業化計画も、中国の投資力に押し切られ、新たな東部経済回廊計画では中国のイニシアティブの下でタイ東部のスマートシティー開発が日本に割り当てられたかのように感じられる。

まさに栄枯盛衰の観がある。日中民間ビジネスの第三国(タイ)での協力枠組みづくりと言っても、中国側は王毅外相が陣頭指揮を執っている。まさに国家的な取り組みであることを感じる。

日中首脳会議では「競争から協調へ」が唱えられているが、タイの東部経済回廊開発では、末廣教授が指摘するように、日本が「軒を貸して」、中国に「母屋を乗っ取られる」という歴史的盛衰を感じる。

※国際開発ジャーナル2018年12月号掲載

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