ミャンマーで軍部クーデター 背景に何があるのか|羅針盤 主幹 荒木光弥

見え隠れする中国

2月1日。民主政治が本格始動したミャンマーで突如としてミンアウンフライン総司令官によるクーデターが強行された。新型コロナウイルスと奮闘中の世界はこの大胆不敵な蛮行に測り知れない衝撃を受けた。

多くの人びとは、これは米国大統領選後の一瞬の国際政治的な“空白”を突く深慮遠謀的なクーデターではないかと考えた。さらに、果たしてこれはミャンマー軍部の単独犯行なのかと、その動機に疑いの目を向けている。日本の新聞は「背後に中国か」と疑っている。

中国にとって、これでベトナム、カンボジア、ラオス、タイなどの中国南部および南西部における安全保障という名の“万里の長城”がひとまず構築されたことになる。まずベトナムは中国と一線を画しながらも一党独裁の社会主義国であること。カンボジアは立憲君主制の下で中国路線に完全に便乗しているフン・セン首相による独裁政権の国。ラオスは今では完全に中国に呑み込まれた人民民主共和国。タイは立憲君主制の下で軍部主導の議会制民主主義を一応継承しているが、対外的には常に中立路線であり、中国とは中立を堅持しながらも、経済面では共存共栄の道を歩んでいる。しかし、最近では高速鉄道網計画などを通して中国経済への依存度が日々高まる一方で、中立路線が危ぶまれている。2017年には戦車10両、潜水艦1隻を中国から購入している。

こうした国々の中で、中国にとって戦略的に最も重要な国はミャンマーだと言える。中国にとってこの国とは、北東部において中国雲南省との長い国境を有し、さらにインド洋へ直結する中国の出入口として戦略的な地理的条件を備えている。つまり、中国はミャンマーを南下した先をインド洋への出入口として、ラカイン州チャウピューの経済特区に工業団地を造成し、港には大型船舶が接岸できるディープ・シー・ポート(深海港)を建設し、ここに陸揚げされた原油、ガスのパイプラインは、わがもの顔でミャンマー国土の南西から北東へ横断しながら雲南省昆明まで延々と敷設されている。その原油量は年間2,200万トンだと推定されている。

インド洋への戦略拠点か

さらに、中国は「ミャンマー・中国経済回廊計画」を提案しているという。その計画によると、まず中国雲南省昆明からミャンマー・マンダレーへ、そしてマンダレーから一つはインド洋のチャウピューへ、もう一つはヤンゴンへ至る、いわゆるY字型回廊計画(鉄道、高速道路も含まれる)だという。これらの計画は、まるで中国の裏庭的な構想だと言えないこともない。とにかく、インド洋に面した経済特区チャウピューは、中東、アフリカへの中国の「一帯一路」構想の重要な戦略的拠点であり、特に中国海軍にとってはインド洋への寄港地としても利用価値の高い“戦略港”だとも言える。

こう見てくると、中国にとってミャンマーはインドシナ地域にあって軍事・経済両面において最も重要な国であることが明らかになってくる。それゆえに、ミャンマーの議会制民主主義が今後、軌道に乗り、欧米との交流、連携が深まってくると、中国の思惑通りに事が進まなくなると予想される。危険な芽は早めに摘み取る必要がある。今後、米国が自由で開かれたインド太平洋戦略の一環としてミャンマーとの関係を重視する前に、中国としては早めにミャンマーの民主化路線にくさびを打ち込む必要性が高まってくる。今回の軍部によるクーデターの背景にはそういう思惑があったのではないかと推測される。

しかし、軍部にとって前途は多難である。それは、スーチー民主化路線でも手を焼いてきた少数民族問題である。この問題の解決を見出さなければ、極端に言ってミャンマーの真の独立国家は完成しない。民族構成で見ると、ビルマ族が全体の約70%を占めていて、その民族構成の上に現在のミャンマー連邦共和国が成り立っている。残る約30%はシャン族、カレン族、ラカイン族、モン族など多くの少数民族などで占められ、国家の枠組みからはみ出して、反政府的な行動をとっている場合もあるので、国家の統一という点で大きな障害になっている。

少数部族というアキレス腱

アウンサンスーチー国家顧問の率いる国民民主連盟はこれまで、少数民族武装組織との停戦・和平を最優先課題にしてきた。そのため「21世紀のパンロン会議」という和平会議を開催してきた。しかし、今回のクーデターでその希望は断たれることになった。中国国境のシャン州ではこの一帯に群雄割拠するワ州連合軍(UWSA)による組織再編が進んでおり、中央政府との対決姿勢を強めながらも和解の道が見えていたところであったが、今回の政変で軍部との対決姿勢を一層強めるものと推測されている。

筆者は2004年12月にミャンマーのシャン州コーカンにあるラオカイ(老街)を訪ねて、地区指導者のウポンシャーシーに会ったが、実に温厚なリーダーであった。その後、軍部と衝突した。理由は明らかではない。いずれにせよ軍部の力による統治では少数民族問題の解決は遠のくだろう。

スーチー氏が少数民族問題を最優先事項にした背景には、なにかと問題を起こすミャンマー軍の縮小計画があったのではないかとみられている。軍の勢力拡大・維持は、少数民族への対応に助けられている面が強い。だから、軍部にとって少数民族が反抗すればするほど、勢力拡大へつなげられる。その意味において、少数民族との和解はミャンマー軍の縮小にもつながりかねない。軍部は民主化が進み、少数民族との和解が次々と達成されていけば、ある意味で無用の長物になる恐れがある。

その意味で、スーチー民主化路線、少数民族との和平路線は、ミャンマー軍の縮小につながり、軍の転落が始まる可能性を秘めている。これを軍部は恐れ始めて、スーチー民主化路線を旧態依然たる発想で阻止しようとしてクーデターという暴挙に出たのではなかろうか。私たちはビルマ族中心のミャンマー政権だけを注視しているが、少数民族問題がミャンマーという国造りにとって重要な意味を持っていることを見逃してはならない。今回のクーデターでミャンマーの真の独立国家としての在り方が見えてきたように思える。

※国際開発ジャーナル2021年4月号掲載

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