問われる国際競争力 開発コンサルティング業界|羅針盤 主幹 荒木光弥

アジアでも劣勢の日本

(一社)海外コンサルタンツ協会(ECFA)は最近、小冊子の「TheVision2030」を作成した。筆者はその巻頭の「国際場裡におけるわが国コンサルタントの立ち位置」に驚愕し、大きな衝撃を受けた。それが今回の論点である。

世界規模で見ると、自国以外での売上高上位225社のコンサルティング企業の売上総額は、7,232億ドル(2019年)である。それを国別の順位で見ると、1位が欧州で、そのシェアは39.5%。2位が米国(20.5%)で、欧米が全体の60%を占めている。そして3位カナダ(15.3%)、4位オーストラリア(9.4%)、5位中国(5.9%)、6位日本(1.3%)、7位韓国(0.8%)と続く。日本は歴史的に見て、より後発であるはずの中国にも差をつけられている。これは、日本政府の政府開発援助(ODA)に大きく依存しすぎたせいなのか、開発コンサルティング企業の本来の海外展開、つまり国際化がいかに遅れているかを如実に物語っていると言えないだろうか。

その劣勢ぶりは、日本にとって最大の経済市場であるはずのアジア地域でも顕在化しているから深刻だ。先に述べた225社は、19年にアジア地域で総計160億ドルを売り上げている。国別シェアで見ると、1位は米国(30.2%)、2位が欧州(22.4%)、3位中国(17.3%)、4位カナダ(9.7%)、5位が豪州(8.6%)、6位日本(2.9%)、7位韓国(2.1%)という順位である。

欧米の場合は日本と大いに異なり、国内と海外の売上比率が概ね6対4と拮抗しており、バランスのとれた理想的な展開を遂げているようである。しかもコンサルティング業の自国内依存比率が60%と大きいことが、日本と大いに異なるところだ。欧米諸国の有利な点は、いわば国内の延長として海外展開を図ることができることだ。つまり、60%の国内依存度でコンサルティング企業の体力を蓄えて海外展開しているのである。それに加えて、植民地時代からの途上国人脈も海外展開を支えている大きな要因の一つである。多くの途上国でインフラを含む開発計画を立案する官僚人材は、こぞって欧米の一流大学を卒業し、欧米との知的人脈をつくっているケースが多いと言われている。つまり、知的なヒューマン・リレーションという面で欧米には極めて有利な面が見られる。

また、世銀など国際機関においても欧米は有利であると言われる。例えば大学時代の“同期の桜”が多くの国際機関で活躍しているからだ。とにかく、欧米諸国は途上国の経済・社会のインフラ造りに携わる人脈形成で歴史的な“地の利”もさることながら、人脈的な“知の利”も得ているように見える。

内外一体化でない日本

日本の場合は歴史的に見て、欧米のように内外一体化で開発コンサルタント業が国際化したわけではない。あえて言うと、事の始まりは戦後賠償事業からであり、それがODA事業に引き継がれて今日に至っていると言っても過言ではない。現実に日本のコンサルティング業は「内は内」「外は外」というバラバラの発展プロセスを経ており、「外は外」という形に発展してきた現在の海外志向の開発コンサルティング業は、主にODAの一環に組み込まれながら成長してきたと言える。そして、約300社に及ぶ海外対応可能な開発系コンサルティング企業がODAベースの国際協力事業を支えている。

欧米の場合は、国家の国内事業に組み込まれながら発展してきたコンサルティング企業が、植民地時代を含めて政府の海外事業(ODAを含む)にも参画して国際競争力を身につけてきたと言える。日本の場合は、欧米のように内外一体化の中で育てられていない。だから、その歴史的なハンディキャップは大きい。

これから政府がソフト系産業を未来産業として育成する覚悟があるならば、まずはその一翼を担う開発系コンサルティング業発展のために内外一体化政策に踏み込むべきである。本来ならば、国内で培った力を海外で発揮するのが国際化への本道であるはずだろう。

しかし、日本は欧米と異なる道を歩いてきた。欧米では国家政策を立案する場合でも、政策アドバイスの研究所や専門家が多く存在して、国家政策立案をサポートしている。彼らのことを政策アドバイザーと呼ぶが、別名で政策コンサルタントと呼ばれることもある。彼らは、国レベルは言うまでもなく、州、県レベルにも存在し、政策立案をアドバイスしたり、立案を直接手伝ったりしている。

政策不在のコンサルタント育成

日本では明治時代に高額で外国人専門家を雇ったことはあったが、官僚体制が確立され、人材が育つにつれて専門家の外国依存度は大幅に減少していった。優れた官僚たちが国家政策の立案に当たり、ある意味で政策立案の独占化を続けて来たと言える。官僚たちが政策の立案から実施レベルまですべて独占し、民間専門家の介入を許さなかった。それは日本企業経営にも反映され、経営コンサルタント業の出現を遅らせた。日本は欧米とは真逆の歴史を歩んできたと言える。

例えば、官邸の経済協力インフラ戦略会議では、“オールジャパン”から“コアジャパン”という考え方を唱えているが、そこにはインフラ案件づくり、その獲得などが主たるテーマとして目立つだけで、案件づくりのための開発計画の立案を担う開発コンサルタントの育成や支援などの政策議論は聞こえてこない。

開発コンサルタントに関する高度な政策があるとしたら、ODAベースによる途上国の開発計画づくりを手伝う以外にないように見える。ところが、それも円借款など短期的な案件づくりを優先させ、インフラ輸出に結びつけようとする傾向が多く見られるだけである。最近では、日本の真価を発揮できるような開発計画の立案、その推進力が弱まっているように感じてならない。

何はともあれ、国造りの原点に立って、途上国の国家開発計画づくりのための本格的な国際協力やODAを推進すべきではなかろうか。そこで、日本の開発コンサルタントの真価が問われることになろう。

 

※国際開発ジャーナル2021年5月号掲載

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