注視される中国の援助省構想 「一帯一路」戦略の一環か|羅針盤 主幹 荒木光弥

モデルは英国か

中国の国務院(政府)が、3月の全国人民代表大会(全人代)中に援助省あるいは援助庁に相当する「国家国際発展合作署」の創設を提案したという情報が飛び込んできた。

国務委員の一人、王勇氏によると、対外援助が中国外交で果たした役割は大きいという認識の下で対外援助の計画立案を、これまでの商務省主導の金融協力と外交部の対外援助を政府の下に統合して一元化する新しい援助組織を創設するという。この新しい援助組織は端的に言うと、対外援助の戦略方針案、企画案、政府案を作成し、それに基づいて具体的な援助計画を立案。さらにその事業の実施を監督し、評価するというもの。おそらく援助実施は政府傘下の国営企業群が担当するものと見られる。

欧米の援助に詳しい識者によると、中国の新しい援助機関のモデルは英国の国際開発省(DfID)、フランスの開発庁(AFD)、ドイツの経済協力開発省(BMZ)などに近いのではないかと見られている。中でも最近、政策的に政府に直結している英国DfIDのケースが中国政府の考えにより近いと見られている。そのことは、中国側が英国DfIDにかなり接近して学習していることから推測できるという。

おそらく中国政府は、たとえばこれからの長期の対アフリカ外交戦略を展開する上で、政府開発援助(ODA)を巧みに駆使し、開発政策づくりから資金協力(インフラ整備)と技術協力(人づくり)までを総合的に実施し、中国寄りの国づくりを目指すのではないだろうか。そうした発想は、まず総力を結集させて実現したい「一帯一路」計画から生まれたものかもしれない。インフラ建設を計画するにしても、インフラに付帯する総合的な対応が中国に求められているにもかかわらず、これまでの中国は商務省ベースの金融協力一辺倒で、開発途上国の求める開発計画立案などの開発援助ソフトウェアに十分対処できずにいる。

外交戦略の要か

こうしたニーズは、おそらく中国のアフリカ援助が年々増加し進化する中で大きな課題として生まれたものと言えよう。これまで中国はたとえば、アフリカでの開発輸入で、中国にとって必要な資源を入手してきたが、開発援助を本当に外交の手段として活用するならば、相手の国益、人びとの要請にも積極的に目を向けなければならない。その意味で、中国はアフリカでの長い体験を通して国民の真のニーズに応じることが、いかに自国の権益にかなうかを体得したのかもしれない。

中国はヨーロッパとの付き合いが長い。援助モデルもヨーロッパに求めることになったに違いない。たとえば、英国は英連邦に加盟している開発途上国を大切にして援助を続けながら自国の存立基盤を固めている。また、英連邦を背景に国際的な影響力も維持している。中国は英国のODAの使われ方が経済・貿易関係の維持だけにとどまらないことを知り、ODA戦略が国家百年の大計にとっていかに有効かを感じ始めているのではなかろうか。

中国が既存の欧米秩序の中で、多くの開発途上国を味方につけて新しい第三世界的秩序をつくりあげるためには、まずはアフリカ、中東、アジアとの連携を深める必要があると考えている。中でも、中国にとって未来への政治的・経済的要(かなめ)はアフリカ大陸だと言える。だから、中国は対アフリカ援助の質を高めなければならない。そのために専管の援助行政組織が必要となったのであろう。それが、中国援助機関構想の一つの動機ではないだろうか。

一方、中国は、日本の援助組織、国際協力機構(JICA)は政府との一定の距離を置いた、独立した独立行政機関であるから、政府行政機関としては弱い存在だと見ているようだ。日本のODAは外交の手段と言いながらも、戦略的に、また政策的にODAをどこまで活用しているのか判然としない。未だに専管の援助省あるいは援助庁もなく今日に至っている。

参考にならない日本

ドイツは貿易立国を支えるものとして経済協力開発省をつくり、開発途上国との貿易促進のために開発途上国の経済発展に寄与するよう努力している。人づくり研修も技術移転も含めて、貿易立国という政策を大きな背骨にしている。

ところが、日本にははっきりした援助の背骨が見当たらない。あえて言うと、平和立国日本のためと言うが、ドイツも東西に分裂していた時代から日本以上に現実的な平和を求めている。その上で平和的な生存のために、貿易立国を掲げて、ODAもその政策意図に沿って専管の経済協力開発省(BMZ)を創設し、実施機関としては資金協力を担当する復興金融公庫(KfW)や有名な国際協力公社(GIZ)を配して、整然と開発協力を実施している。援助国としての国益が一本通っている感じだ。日本のODA担当省(庁)構想の歴史をたどって見ると1993年、野党の5党連合による「国際開発協力基本法案」が参議院に共同提出された。その中で、「国際開発庁」の創設が初めて公に唱えられる。結果は廃案となるが、援助省、あるいは援助庁が必要だという声は援助関係者や有識者の中にも広がっていた。

しかし、結果は「屋上屋を重ねる」と言う、いわば“霞が関の論理”(足の引っ張り合い)で、うやむやにされてしまった。つまり、各省庁がODA予算の配分を手放したくなかったからだ。これは、いかにODAが一元的に国家政策に組み込まれていないかを知る残念な歴史である。したがって、日本のODAは国家戦略に組み込まれないまま今日に至っている。だから、ODA予算はいつも景気によって左右され、経済成長が鈍化するとODA予算は簡単に削減される。これは、ODAが国家政策にいかに組み込まれていないかを物語る証左であろう。

そうした日本を尻目に、中国は独自の援助戦略で、中進国グループのリーダーとして先進国の援助グループに挑戦しながら、新しい援助覇権を築くつもりではないだろうか。中国は日本が世界一の金持ちになりながらも国家政策としては無策に終わったことを良き手本に、援助政策を国家政策に積極的に取り込みながら、“新しい援助国”を目指しているかのように見える。

その政策的支柱こそがアジアからヨーロッパを含むユーラシア、そしてアフリカ大陸にまで視野に入れた「一帯一路」構想であろう。

※国際開発ジャーナル2019年6月号掲載

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