政治利用されたODA大綱
第3回「ODA大綱」はその名称も変えて「開発協力大綱」へと改定された。
ところが、昨年6月27日付の朝日新聞は4段大見出しで「軍にODA解禁提言―中国牽制、民生からの転換」と打ち上げ、その解説では「集団的自衛権と一体」と書かれた。朝日新聞と同じ日付で、毎日新聞は最悪の見出しで「ODAで他国軍支援」を強調した。
一方、読売新聞は朝日、毎日と同じ日付で「ODA-“軍事禁止”緩和-中国念頭にアジア支援」という記事を掲載し、社説で「平和構築へ戦略性を高めよ」という見出しを立てて「安倍政権の掲げる“積極的平和主義”を具体化するため、政府開発援助(ODA)も積極的に活用すべきだろう」と、朝日や毎日論調と異なる見解を示した。
さらに、7月9日付日本経済新聞「真相/深層」では「ODA、安倍外交を補完」という見出しを立て、「ソフトパワーとしてのODAに与えられた“非軍事的な手段による平和の希求”という新しい定義も、安倍首相の路線と軌を一つにする自衛隊というハードパワーをODAが補完し、ハードとソフトの両輪で積極的平和主義を支える形になる」と解説する。
新聞各社のODA論調は、安倍政権の外交政策に対する見解によって異なっている。ODAは「不偏不党でなければならない」という見方があるものの、ODAは「外交政策の手段」であるから自民党と民主党とでは違いが生まれる。両党ともODAへの大原則は「平和への貢献」であっても、平和を維持する具体的な政策へブレイクダウンしてくると、その実現に向けて違いが出てくる。
特に、外交政策とリンクするODA活用では大きく異なる。その辺を中心に新聞論調にも特徴が生まれる。ただ、ある記者は「安倍政権の集団的自衛権や憲法改正論に対するプレッシャーとして利用した」と証言する。ODAが外交の手段であるという前提に立てば、ODAが現実の外交政策論争に巻き込まれることは避けられないことである。しかし、日本の平和憲法の下でのODAの在り方を真剣に検討した改定委員の一人(筆者)としては、先の新聞論調でODAへの国民の支持率が落ちるのではないかと懸念している。
生きている憲法の精神
しかし、「開発協力大綱」は好むと好まざるにかかわらず、自民党の安倍政権の閣議決定によって正式に成立することを考えれば、自民党色を完全に排除することはできないだろう。
米国でも民主党と共和党では対外援助の「米国への脅威を排除する」という基本原則は同じでも、対外援助政策には両党の外交政策の違いが反映されている。残念ながら日本でも、ODAが「外交政策の手段」である以上、不偏不党のODA大綱として完成させることはできなかった。しかし、日本の外交の大原則である現憲法の前文をもって、「大綱」の意志を貫いていることに注目している。大綱の「開発協力の理念、目的」はこう述べている。
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するわが国は、コロンボ・プランに加盟した1954年以降一貫して、国際社会の平和と繁栄を希求し…」。
周知のように、その前にくる文語は次の通りである。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」。
この大原則に従うならば、ODAを安易に軍事に転用することはできない。それは大綱の「開発協力の適正性確保のための原則」に「軍事的用途及び国際紛争助長への使用の回避」として明記してある。いかなる政党政権も憲法前文を故意に折り曲げることはできないはずだ。こうした前提に立つならば、何人と言えども、ODAを軍事に転用することなど言語道断である。また、ODAを軍事転用する先進国など存在しない。
軍事援助大国の米国でも「軍事援助」と「開発援助」は、議会での予算決議において別々に審議され承認されている。また、先進国グループによる開発援助の実態は経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)で把握されている。米国国際開発庁(USAID)がDACに毎年、援助額を申告する時に、間違って軍事援助費が混入していると、DAC当局はそれを厳しく仕分けてODAから排除しているというエピソードがあるくらいだ。
現場の平和への信念
日本のODAは間違いなく開発援助であるというお墨付きをDACからもらっている。日本の新聞がいうように、そう簡単に軍事転用できるものではない。そういう仕組みになっているのである。もし将来、ODAが被援助国の武器購入に使われるようになったら、戦後70年にわたって営々と築いてきた日本の平和外交が一気に水泡に帰すことになる。
われわれODA関係者は、60年以上にわたって日本の平和のために、アジアの平和と発展のために、世界平和のために武力ではなく、日本国民が長い間苦労して貯めた汗と涙の貯金や税金、さらに労力、技術力をもって戦後一貫して開発途上国の発展と安定、それが世界の平和と安定に寄与し、日本の平和と安全につながることを信じて、開発協力に挺身してきた。
ある大学の一般公開講演会で、筆者が「円借款協力の原資は、皆さんの貯金や国民年金基金などで賄われています」と話すと、前列の高齢者がいきなり立ち上がって、「あなたの話を聞いて、私の心のわだかまりが晴れた。私は先の太平洋戦争で東南アジアに進軍して、現地の人びとに多くの迷惑をかけた。個人的には長い間、それが気懸かりでいた。今日の話で、私の郵便貯金が東南アジアのためになっていると聞いて、心のつかえがとれた感じだ」と興奮気味に語った。
時に太平洋戦争を経験した高齢者は、アジアへの貢献(ODA)は、多くの戦没者への鎮魂の意味も込められていると思っていたようであった。アジアへの援助は先の太平洋戦争で亡くなった人たちの平和への鎮魂碑でもあると言えるだろう。この高齢者の発言は、今も忘れられない。
※国際開発ジャーナル2015年2月号掲載
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