親日国ヨルダン
欧米に続いて日本のジャーナリストも2月1日早朝(日本時間)、無念にもシリアで「イスラム国」を名乗る武装集団に殺害された。残念でならない。
今回、日本のジャーナリストとの人質交換交渉で、日本人の注目を集めたのがシリアの隣国ヨルダン王国であった。日本のテレビ放送でも明らかなように、ヨルダン政府は親身になって人質解放交渉を続けてくれた。
日本のテレビ放送解説者(中東研究者)の一人は、「日頃からのヨルダンへの日本の政府開発援助(ODA)が親日的効果を醸成しているからだ」と述べ、続けて「日本の報道界はこんな時だけでなく日頃から中東に目を向けてもらいたい」と苦言を呈した。
まったくその通りである。どれだけ多くの官民の援助関係者が、長年にわたり、この国をはじめ多くの中東諸国の国造りのために骨を折ってきたことか。彼らは今も親日の土台づくりに努力している。
周知のようにイラク、シリアの混迷が続く中で、隣国ヨルダンは一応安定しているために、イラク、シリアからの難民の避難基地になっている。このように、周辺紛争地域からの難民を助ける意味でも、人間の安全保障という観点からもヨルダンの存在は大きい。だが、産油国でもないヨルダンは経済的にぜい弱である。だからこそ日本はこの地域の安定の要として、この国へのODAを多岐にわたって実施してきた。
特に、難民救済という面からも人道援助に力を入れ、2013年に約9,500万ドル、さらに9月の国連総会で新たに6,000万ドル追加拠出を行っている。
日本の援助分類では対象地域を中東・北アフリカとし、その援助対象国は14カ国を数える。その中のヨルダンは援助形態別でみると、2012年実績の贈与に含まれる無償資金協力と技術協力は、中東・北アフリカ14カ国中4位にランクされ、その総額は約2,400万ドルである。ちなみに、1位はパレスチナ自治区、2位エジプト、3位イエメン。
もう一つの援助形態である円借款協力の方では、ヨルダンは14カ国中3位で約1億3,700万ドルである。ちなみに、1位は産油国イラク、2位は親日国のトルコであるから、3位のヨルダンは日本の外交的重要度を如実に示している。ヨルダンへの無償、技術協力は主に社会福祉、教育、人材育成、農業開発などに、円借款協力は経済・社会インフラ整備に向けられている。
3大陸をつなぐ橋梁援助
顧みると、中東の非産油国への本格的な援助のエポック・メイキングは、1990年にイラクが突如クウェートへ進攻した“湾岸戦争”からである。中東原油に80%以上依存している日本であっても、欧米のように軍事力では貢献できない。そこで、ODAベースでは戦争で経済的影響を受ける紛争周辺国への、いわゆる“紛争周辺国援助”(約20億ドル)を開始した。
ところが、この他に戦争遂行経費の分担金として欧米国連軍に拠出した国際貢献費約100億ドルが国会で問題にされ、憲法違反ではないかという議論にまで発展した。その上、こうした議論がODAの領域にまで波及し、ODAは戦争、軍事に一切関係しない領域であることを規定すべく、2003年の第1回「ODA大綱」制定へと発展した。
現在の第3回改定では、一部のマスコミが「軍事援助への傾斜」を問題にしたが、そもそものODA大綱の発端が湾岸戦争と関係していることはあまり知られていない。日本人の歴史音痴が露呈されている。日本のODAは今後も中東の発展と平和のために非軍事で貢献していくことであろう。
次に、日本人が誇りにすべき偉大なる中東援助の一例を紹介してみたい。中東地域を、援助を意識して旅すると、あちらこちらでわが国ODAの貴重な遺産に遭遇する。
現在、写真で見る橋梁援助史を国際協力機構(JICA)と共同で編纂中だが、「地域をつなぐ援助」として最初に登場するのが、アジアとヨーロッパをつなぐトルコの「第2ボスポラス橋」であり、次いで、アフリカとヨーロッパ、そしてアジアをつなぐエジプトの「スエズ運河橋梁」である。
これらはアジア―ヨーロッパ―アフリカの3大陸をつなぐ、まさに文明の結節点となる橋梁であるが、一つひとつはわが国橋梁技術の粋を集めて建設されている。これは世界に誇るべき快挙である。日本の橋梁技術者の皆さんに心から敬意を表したい。日本の橋梁技術者たちは、後世に残るような日本の遺産を中東の地に築いている。
平和の渡し役
ギリシャ語でボスフォロスと呼ばれるトルコのボスポラス海峡は、黒海と地中海を結ぶ海上ルートの要衝であるが、ボスポラス海峡を橋でつなぐと、アジア・ハイウェーと連結するヨーロッパとアジア、もっと大きくいうとユーラシア大陸(約1万2,800キロ)を東から西へつなぐ文明の渡し役を果たしている。それが日本の援助した第2ボスポラス橋で、征服王スルタンの名をとって「ファーティフ・スルタン・メフメト大橋」と名付けられている。
他方、エジプトの「スエズ運河橋梁」は、スエズ運河を挟んでカイロからシナイ半島への発展と平和の架け橋とも言われている。ナイル河周辺への人口集中を分散し、新しい発展を願ってシナイ半島開発が計画されたが、その要はスエズ運河橋梁である。
ところが、シナイ半島の歴史をたどると、幾度となくイスラエルとの激戦地になり、多くの血を流している。シナイ半島の開発で戦争を避けることができれば、「スエズ運河橋梁」建設の意義が見えてくる。その上、エジプト、イスラエルからヨルダン、シリア、トルコへつながると、アフリカからヨーロッパ、そしてアジアへの人的交流、物流の回廊ができあがる。そして、それが地域の平和へとつながるに違いない。
私たちはもう一度、日本のODAの果たしてきた歴史的な役割を再認識し、それを誇りにすると同時に、さらなる平和的役割を覚悟しなければならない。
※国際開発ジャーナル2015年3月号掲載
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