アジア・ダイナミズムの再考 原教授の「アジア研究」を追って|羅針盤 主幹 荒木光弥

アジア研究プロジェクト

筆者は、4月5日に急逝された政策研究大学院大学(GRIPS)の原洋之介教授と、最近のアジア研究があまりにも細分化されすぎているのではないか、といった議論を交わしたことがあった。例えば「国別研究」と言っても、個別の特殊な研究にのめりこむケースが目立ち、アジアを将来にわたって俯瞰・総括する地域研究が欠落しているのではないか、という指摘だ。そうした議論の下地には、かつてのように日本を中心軸に据えた「日本とアジア」ではなく、「アジアの中の日本」という認識があった。

原教授は、2019年から「アジア研究」プロジェクトを立ち上げて、いくつかの研究報告書を完成させている。報告書Ⅰは「21世紀のアジア経済をどう捉えるか―アジア・ダイナミズム再考」、Ⅱが「日本経済の150年」、Ⅲが「東南アジア経済50年」、Ⅳが「中国経済の50年」、Ⅴは「インド経済の70年」などだ。

そこで、今回はこれらの報告書の中から論点をいくつかピックアップして、原教授の研究を追ってみたい。まず、「アジア研究」についてはこう述べている。「21世紀以降、アジア経済がどういう政策課題に直面しているかを明らかにし、これから日本がアジア地域とどう接していくべきかを具体的に構想することを目的に研究会を組織した」「研究会を続けた中で、私もアジア経済が現在、20世紀とは大きく異なる状況へ直面していることを改めて確認できた。さらに、先進経済へのキャッチアップという競争で、アジア地域で先頭を走ってきた日本がアジア諸国をリードするという20世紀の構図はもはや崩れていることも明らかになった」。

そして、「21世紀のアジア経済をどう捉えるか」という序文の中で、アジアをこう捉えている。「イギリスで産業革命が始まって以来、世界経済の中心は西欧へと移動し、続いてアメリカへ移動し、アジアは世界経済の中で周辺化していった。しかし、前世紀中頃からアジア諸国で先進国経済へのキャッチアップ型の経済成長が実現し始め、20世紀末にはすでに“中所得経済”の水準に達していた。そして現在、中国は経済規模でアメリカに次ぐ第2位の大国となっており、またインドも第3位になるものと予想されている。まさに、世界経済の中心がアジアへ回帰している。同時に、アジアの経済秩序は日本が中心であった時代から、中国の台頭もあり、多様化に向けて変化しつつある」。

そして、「歴史のこのような長期的変動を的確に回顧することなく、アジアは言うまでもなく、世界の中の21世紀のわが国のあるべき姿を構想することはできない」。

中所得国の罠

原洋之介氏は自分より四半世紀も若い世代の研究者・後藤健太氏の近著『アジア経済とは何か』の終章「わが国はアジアとともに未来を築く」を引用してこう述べている。「これまでのように、先進国日本がアジアを選ぶのではなく、アジアから選ばれる日本へ変わること。日本を含めたアジア地域内の多様性を受け入れること。そして、過去に蓄積してきた日本が世界に誇る暗黙知を提供していくこと。これらこそが、アジアとともに未来を築くための必須条件である」。

次いで、Ⅲ「東南アジア経済の50年」では、その序章で「成長局面の移行期のアジア経済」と題して、「キャッチアップ型経済成長局面の移行論」を述べている。そこで注目されるのは、「中所得国の罠」という問題である。これは、中所得経済への達成を可能にしてくれた輸出主導型の労働集約的産業だけに頼っていては、高所得経済を達成できない、という問題提起である。また、罠と同時に、各国内の所得分配の悪化も大きな問題であることが指摘されている。

そして、インドネシアとタイの政治経済体制を次のように比較している。インドネシアは民主化された政治体系と政府が主導する経済からなる政治経済体制になっている。政府が主導する経済とは、第2期目のスシロ・バンバン・ユドヨノ政権が、市場の「見えざる手」よりも政府の「見える手」を必要とした開発主義体制となっていることを指摘したものである。

一方、タイはクーデターによって成立した権威主義的な政治体制と民間経済への非介入という市場主導型の経済からなる政治経済体制である。市場への非介入という開発主義は、サリット・タナラット政権以来の伝統に立脚したものである。両国はこのような違ったタイプの政治経済体制の下で高所得経済へキャッチアップしようとしている。

中国の政治と経済の乖離

Ⅳ「中国経済の50年」では、まず成長局面の移行と題して次のように述べている。「中国は1970年代末から急速な経済成長が始まった。中国は対外開放政策によって国際分業の中に入っていった。そして、出稼ぎ労働者の豊富な労働力を生かして、労働集約的という形で比較優位を獲得した。ところが、2004年頃になると、それまでの人口ボーナスが終焉し、また二重経済発展が終った。富裕化以前の高齢化は『中進国の罠』の原因になり得た。人口ボーナスはこれまで中国の高度成長を労働面から支えてきたが、それが失われた後、それに代わる経済成長の源泉をみつける必要がある」。

そして、最後にこう述べる。毛沢東時代の惨憺たる結末を受け、「改革開放」に転じて、今の中国がある。極端な統制を緩めたところ政治権力を顧みない社会経済が、あらためて活発となる。それが驚異的な経済成長の原動力になったものの、またぞろ政治と経済の乖離、ひいては中国の瓦解という悪夢を再現してしまうのではないか。それが中国政府の恐れるところだろう。

インドについてはこう述べている。その領域内に存在する「多元性」を容認する民主主義的政体である。政党政治体制の現代インドは、集団的決定は困難であるが、利害衝突を政治的に解決する能力を持った“動きの鈍い象”である。他方、中国は「多元性」を否定して民族の統一を目指す集団的決定を素早く行う能力を持つ“攻撃的で素早く動く虎”であると述べている。こうしたインドと中国の対比も重要なアジア研究だと言える。

原洋之介氏は、全身全霊を込めて「アジア研究報告書」を完成させ、関係者に発送する直前に世を去った。研究者としての真摯な姿が私たちの心を打って離れない。

※国際開発ジャーナル2021年7月号掲載

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