不規則なベトナム援助
今回は政府開発援助(ODA)を切り口にして、ベトナム社会主義共和国の内側に目を向けてみたい。ベトナムは、中国の政治、経済の影響を受けやすいインドシナ半島の一角にあって、タイと共に中国と一定の距離を保っているASEANの一国だ。また、「自由で開かれたインド太平洋」という視点からも、東・南シナ海に面した重要な国として、時代とともにその重みを増している。
ところが、日本外交の重要な手段であるODA、なかんずく円借款協力を見ると、年々減少の一途を辿り、2018年、19年の両年では実績がゼロにまで落ち込むという不規則にして不透明な状態が続いている。
20年になると、17年1月の安倍晋三総理(当時)とグエン・スアン・フック首相(当時)との会談で決まった6隻の新造巡視船の供与と、小規模のかんがい協力がODA実績となっているだけである。巡視船の供与は、中国との南シナ海における南沙(スプラトリー)諸島の領海権をめぐる厳しい外交問題に対処する協力と言われるもので、過去にも同じ目的でフィリピンに沿岸巡視船を供与している。
筆者は、不規則な対ベトナム援助について、国際協力機構(JICA)のベトナム担当者に「援助案件の掘り起こしに向けてちゃんとアプローチしているのか」と尋ねてみると、最近、ベトナム役所レベルでは、「要請案件づくりは、今や私たちの仕事ではない」と言って、消極的態度を見せているという。
つまり、日本に要請する援助案件づくりは、今やベトナム側の役所、役人に権限がなく、基本的には国会レベルの仕事だと言わんばかりの態度だという。そこには、どう見ても“汚職への嫌疑”を恐れる心境が見てとれる。10年以上前の話であるが、わが国の開発コンサルタントとベトナム官僚との癒着が日本で表面化して、大きな社会問題となり、日本の一つの開発コンサルティング企業が廃業に追い込まれるという大スキャンダルが発生したことがあった。その頃からベトナム側でも、開発援助をめぐる役人の汚職問題が深刻化していったのかもしれない。
政治的な汚職撲滅運動
恐らくベトナム側でも、この問題はいずれ規律面で社会主義体制をゆるがす問題になりかねないと将来を懸念して、次に述べるように、党レベルでの汚職撲滅運動へと発展する素地ができあがったと言える。
その旗振りの中心人物は現在、ベトナム政府のトップに立っているグエン・フー・チョン書記長で、その配下に政府の国家主席グエン・スアン・フック、首相ファム・ミン・チン(前はフック首相)という陣容が組まれ、政権の「反汚職闘争」という看板をかかげている。
日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所などの資料によると、チョン書記長はベトナム社会主義体制の気の緩みを正し、政治革新を断行したことで頭角を現すようになったという。なかでも体制を引き締める意味で、社会主義体制の気のゆるみを正し、政治革新を断行し、政権を掌握した男として広く知られるようになっている。特に、政権を担う共産党幹部の汚職追及では、その名を高め、それを追い風にしてベトナムの新しいリーダーへ伸し上がった人物として広く知られるようになったと言われる。
その点は、その経緯において中国の習近平国家主席の登場とよく似ている。習近平は将来が有望視され、いずれ習主席の政敵になり得るような有望な幹部党員を次々と“汚職追放”という大義名分の下で失脚させて、今日のような独裁的な地位を築いたと言われている。
ベトナムの最高権力者となったグエン・フー・チョン書記長も習近平を見習ったわけではないと思うが、党幹部まで汚職追放を断行して、現在の絶対的な地位を築いたと言われ、中国の習近平国家主席のケースと酷似しているとも言われている。
2016年1月の第12回党大会以来、グエン・フー・チョン書記長は「反汚職・綱紀粛正キャンペーン」を展開し、民間人や政府役人は言うまでもなく、党員にも厳しく対処し、将来を嘱望される若手党員まで排除している。たとえば、若手のホープと言われていたダナン市のグエン・スアン・アイン党委書記は、党常務委員会による人事、土地整地、公共契約などの違反、学歴詐称、企業からの贈与などで、党中央委員を解任された。彼はダナン市の人民評議会主席、最年少の党中央委員として将来が嘱望されていた。また09~11年にかけて同国最大の国有企業グループであるベトナム国営石油・ガス経済グループの会長タム氏は終身刑となったが、約45億円(9,000億ドン)の損失を与え、他幹部と共に違法な契約や投資事業に関与したという罪状である。
混迷する援助のあり方
とにかく、これまでの順調な経済発展の中で、ある意味で発展に酔いしれていた一党支配の気の緩みを一新しようとしたのが、チョン書記長の反汚職・綱紀粛正運動の狙いのようである。しかし、それは同時に自らの出世街道でもあったと言えよう。
こうした中で、これまでの国家財政赤字の解消に向けて、すでに公約債務の増大が問題になっていたが、ベトナム政府はその対策として、2012年に公的債務を対GDP比で65%以下にまで抑制することを決定し、19年には56.1%にまで減少させている。
しかし、そうした中で、日本をはじめ他の援助国を含めて新規承諾額も減少した。日本の対ベトナム援助(主に円借款)が17年から大幅に減少し、18、19両年が実績ゼロの状態に落ち込んだのも、繰り返しになるかもしれないが、16年1月からの第12回党大会以来のグエン・フー・チョン書記長の“反汚職政治闘争”が大きく影響していると言えないこともない。
援助する側にとっては、これからどういうアプローチが最適か。私たちにはベトナムの反汚職運動の根本に立ち戻って、これまでと違う、新しい援助のあり方が求められていると言えないこともない。少なくとも、ベトナム政府官僚たちとの、これまでのような関係は許されないだろう。これからは透明性のより高い関係、これまでと異なる制度設計を必要とする時代になるのかもしれない。
※国際開発ジャーナル 2021年8月号掲載
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