国家負債なしの鉄道建設
インドネシアの首都ジャカルタとスラバヤ(140キロ)を結ぶ「高速鉄道」(新幹線)の大型受注合戦で、日本は中国の戦略的な提案に負けた。日本の対インドネシア援助の歴史を考えると、その衝撃は極めて大きい。
インドネシア側もことの重大さを意識してか9月29日、大統領特使としてソフィアン国家開発企画庁長官が来日して首相官邸を訪ね、日本の不採用を官房長官に伝えた。異例とも言うべきこうしたインドネシア側の行為には、並々ならぬ決意を感じる。それは長年の日本の協力に感謝しながらも、これ以上の国家債務を積み上げない、新しい公共投資方式(民間投融資ベース)に転換する決意と見てよい。
まず日本と中国の提案内容を比べてみよう。総工費では日本50億ドル、中国60億ドルで中国が日本より10億ドル高い。完成の時期では、日本の2021年に比べて中国は2018年で、日本より3年ほど早い(これは、ジョコ大統領の在任中に完成することであって、その実績を次の大統領選挙でアピールできる、という政治的メリットになる)。融資条件では、日本の低金利円借款に対して、中国は融資方式を提案し、中国とインドネシアの合弁事業体へ投融資し、インドネシアの国家債務にしない。これだと政府保証を求める必要もない。
日本の円借款方式はインドネシア政府の保証付きが絶対条件であるから、初めから勝負にならない競争だった。日本政府は質の高いインフラ輸出戦略の手段として政府開発援助(ODA)ベースの円借款協力を掲げてきたが、相手が政府負債にならない公共投資を目指すようになれば、円借款方式は万能ではなくなる。中国の提案が広く波及すれば、国際的な影響は決して小さくはない。今回の中国方式の鉄道事業が多くの開発途上国に流布する可能性はある。
中国は先進国の米国でも合弁方式の鉄道事業を目指している。中国鉄路総公司は米国鉄道会社との合弁で、ロサンゼルス―ラスベガス(370キロ)の建設を2016年9月から着工する見通しだと言う。この路線は、かつてJR東海も新幹線方式でチャレンジしたことがあるが、中国は先進国企業の2分の1から3分の1の低コストで対抗しているので、まともには太刀打ちできない。
こうした中国の国際的展開は習近平国家主席直轄の中国鉄路総公司が中心のようである。その背後には中国提唱のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に積極的だったドイツのシーメンスの影が見えるという説もある。
親中派の台頭
ジョコ大統領がまず3月に日本を訪問し、その足で中国を訪ねた時点で、中国方式の鉄道建設の提案が合意されて、中国の国家発展改革委員会との間で高速鉄道建設に協力する覚書が結ばれた可能性がある。その差配は同行したジョコ大統領の側近中の側近であるリニ国営企業大臣(女性)が取り仕切っているが、彼女はすでに訪中した時に、米国での中国の合弁方式による鉄道事業を耳にしていたかもしれない。だから高速鉄道建設は初めから中国方式で行くことが決められていたように感じる。
一説によると、リニ大臣は闘争民主党の党首メガワティに近く、親中派と目されているが、ジョコ大統領も闘争民主党に属している。本来ならば、党首メガワティが大統領選に出馬するところを、人気急上昇のジョコウィにスイッチしたと伝えられており、体質的には親中派とも見られている。インドネシアの政治は流動的であり、スハルト―ユドヨノという保守本流の人脈だけを頼りにする時代ではなくなりつつあると言える。今回こそ時代の変化を痛感したことはない。日本の人脈形成は退化している。
円借款の限界
それでは最後に問題点を整理してみたい。それはインフラ輸出における円借款の限界である。政府はことあるごとに円借款をインフラ輸出政策の唯一の武器のように重視している。借款供与を胸張って外交の手段にしたころは、国際的な資金流動性を欠いていた時代であった。発展レベルの上がった開発途上国は、独自に市場からの資金調達をしており、民間投資による民間資金の流入も可能になっている。
日本には30数カ国に及ぶ主たる援助対象国がある。円借款を望む国は10数カ国以内である。なかでも大型案件のひしめく中進国的な開発途上国の場合は、かつてのように円借款協力を望まないケースが増えている。援助ヒモ付きのSTEP(日本の優れた技術活用型借款)などは、親日派のベトナムさえも敬遠する傾向にある。
日本政府としては、相手国の政府保証がない限り円借款は供与できない。それは国際的ルールであって、国民の財産を担保なしに貸すことはできない。
ところが、今回のインドネシア高速鉄道案件では、インドネシア政府がこれまでの常識をやぶるかのように国家の借金なしの公共事業を企画し、中国政府との合弁事業化でその目的を果たそうとしている。その場合、対等合弁方式をとってもインドネシア側に50%の資金もない。おそらく中国はその資金も融資するという、丸抱え方式の合弁事業を提示しているとみられている。これは、まさに国家主導の中国方式である。
ところが、そういう時代になっていても、日本政府は円借款を金科玉条のようにインフラ輸出の武器にしようとしている。新しい時代に立つと、戦後60年間も制度設計を改めることなく継承してきた円借款協力は、競争の激しい国際級の大型インフラ受注に対応する能力を失いつつあると言える。
完全な形でアンタイド化(ヒモ付きなし)を仕組まれている円借款は、体質的には好むと好まざるにかかわらず開発途上国への資金提供能力しかなく、国益的なインフラ輸出に役立つ能力には限界がある。それを知ってか知らぬか、特に政治家は円借款に異様なほど期待感を抱いている。
政府が「官民連携」を援助の柱にしたいならば、日本の民間力を引き出す新しい金融の制度設計を創出する必要がある。その一方で、無償援助の仕掛けで大型案件を必ず勝ち取る新しい政策を検討してみてはどうだろうか。
※国際開発ジャーナル2015年11月号掲載
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