大綱の嚆矢
「ODA大綱」の見直しが3月31日から始まった。
今回は3回目の改定である。
初回は1992年、そして2回目が2003年であった。ちなみに、筆者は2回目の改定作業にも参加している。
それでは、最初に大綱の歴史的背景を描いてみよう。
初回の動機はこうである。
1990年に戦後40年にも及ぶ東西冷戦が終焉した。その間、新しく誕生した多くの独立国(開発途上国)を、わが陣営に引き込もうと、東西両陣営は経済的な援助合戦を繰り広げた。独立間もない開発途上国は、政治的独立は果たしたものの、経済基盤が極めて脆弱であった。ケネディ米大統領の狙いは、南側の貧しい国々を豊かな北側が助けるという「南北問題」を仕掛けることで、東西冷戦(戦争)を回避しようとしたのである。
これは、1960年代の初めの頃であるから、90年の冷戦終結まで約30年間、「南北問題」の時代が続いたことになる。その間、日本経済は順調に発展し、日本は1980年代末から90年代初めにかけての10年間、世界一の援助国にのし上がっていた。
ところが、1990年の冷戦崩壊と同時に、イラクの独裁者フセイン大統領の軍隊が、隣国クウェートに進攻するという湾岸戦争が勃発する。この戦争で欧米連合軍は多くの血を流した。
日本は言うまでもなく軍事的な貢献はできなかった。その代わり、ODAは紛争周辺国援助を始めたが、最大の国際貢献は主力の米軍などの戦争肩代わり費用として120億ドルを拠出したことであった。それでも、カネで尊い血はあがないきれない、と血を流さなかった日本への国際的な風当たりは強かった。
当時、日本の国会は、120億ドルの国際貢献は軍事費の肩代わりだから憲法に抵触するのではないかと騒ぎ始めた。政府は平和のための国際貢献だと主張した。
非軍事が根本
この国会論議の落とし所として、日本の対外援助に非軍事的なハドメをかけるべく、1992年に初めての「ODA大綱」を制定することになった。その狙い所は、理念(目的、方針、重点)の次に設けられた「援助実施の原則」に盛り込まれた。それは次の通り。
「軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する」こと。「テロや大量破壊兵器の拡散を防止するなど国際平和と安定を維持・強化するとともに、開発途上国はその国内資源を自国の経済社会開発のために適正にかつ優先的に配分すべきであるとの観点から、開発途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発製造、武器の輸出入などの動向に十分注意を払う」こと。以上の2項目がODA非軍事化の要となった。
以上の項目は、初回から2回目も踏襲された。おそらく今回の3回目も非軍事的原則は継承されるだろう。
すでに、4月1日付けの朝日新聞は大綱見直しに関し、「ODA、軍事利用解禁検討―政権は民生支援から転換」と、これから検討すべき事柄を勝手に先取りして、先制攻撃をかけている。しかも、反安倍政権的な論調だ。本来、大綱は英語でチャーターと呼ばれるもので、より長期にわたるわが国ODAのあるべき根本(おおもと)を明記するものである。
ただ、時代の変化によって若干の修正はあり得よう。
役割広がる大綱
それよりも、今回の狙いは大綱の対象範囲を広げることにある。
第1の理由は、途上国世界の激変にある。その激変で、かつての「援助する国、される国」の世界地図が書き換えられている。それは新興国の登場によるものである。
たとえば、代表格の中国のみならず、南ア、ブラジル、サウジアラビアも独自の国家政策の下で、これまでの先進国援助と対抗する形で、途上国援助を独自に展開している。かつてのG7が今ではG20になったことからも、世界の勢力図が書き換えられつつあるのは明白だ。
第2の理由は、伝統的な援助国である欧米そして日本の経済発展が鈍化していることである。どの先進国も歳入が激減し、途上国援助を税金でまかなうことができなくなり、民間資金との連携で、なんとかこれまでの援助実績を維持しようとしている。それだけに、これまで通りに「政府開発援助」と言えなくなっている。正しくは「官民連携援助」である。
第3の理由は、アフリカに代表されるように、多くの開発途上国が「援助よりも民間投資」を望んでいること。投資によって、雇用の拡大、所得の向上、技術の定着、輸出の増進など、多くの開発効果が得られるからだ。
第4の理由は、経済的に後退する開発援助国にとって、援助は一方的に開発途上国に恩恵を与えるだけでなく、援助国にも恩恵を与えるWin-Win(互恵)の関係が求められていること。これからも援助を継続するためにもWin-Winの援助思想が主流になり始めている。
第5の理由は、多くの豊かな開発途上国の台頭で、援助の質も多様化し、伝統的な経済開発だけでなく、国の発展によっては援助の質やレベルが高まり、特にアジア、なかんずくASEANでは連携型、ネットワーク型の協力が必要になりつつある。その分野も経済的動機のみならず、政治的動機をはじめ科学技術、教育、文化的動機などへと広がる時代へ向かっている。
そうした潮流の中で、外交政策の手段としてのODAは広範に真価を発揮すべき時代に突入していると言える。特に、国家戦略的な手段としての役割を帯びた新しい役割が求められよう。このように、ODAの進化は止まらない。
新しい大綱は、これまでにない時代の変化をとらえながら、その名称も「政府開発援助」ではなく、官民連携、幅広い協力分野、わが国の政治的意図をも包括した名称と対象範囲が検討されることになろう。
※国際開発ジャーナル2014年5月号掲載
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