TICAD番外編の夢 アフリカとインド太平洋との連携|羅針盤 主幹 荒木光弥

アフリカ医療協力

第8回アフリカ開発会議(TICAD8)が8月27、28日にチュニジアの首都チュニスで開催された。

2019年に横浜で開催されたTICAD7は、「技術、イノベーション」が主なテーマであった。その前、2016年にケニアで開催されたTICAD6は、経済構造改革とともに、今回のテーマにもなった「質の高い生活のための強靭な保健システムの整備」が論点となった。

今回の第8回会議では、新型コロナウイルスの影響もあって、保健分野の「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)」が大きな焦点となった。筆者は8月22日、TICAD8プレイベントとして開催された日本リザルツ主催の会議で政府開発援助(ODA)によるアフリカでの医療体制の構築と医療人材育成といった医療協力の在り方を語った。その中で国家の医療体制づくりでは、ベトナムを一つのモデルとして例に取り上げた。

ODAによるアフリカ援助の規模は、54カ国を対象に2020年ベースで見ると、2,260億円レベルである。1カ国平均では、国が多いだけあって約41~42億円というレベルになる。うち、医療協力は総額の約半分である1,033億円で、比重は大きい。

次いで、ODAによる医療協力全体から2021年ベースで見ると、第1位が南アジア8カ国(7,780億円)、第2位が東南アジア29カ国(6,012億円)、第3位がアフリカ49カ国(1,033億円)だ。アフリカの場合は、国数が多いことから、1カ国当たりの援助レベルはかなり低くなる。

さらに、有償の円借款協力で見ると、たとえば、その適応国は2019年ベースでケニア、エチオピア、ガーナ、モザンビーク、ルワンダの5カ国だ。2020年ベースではモーリシャス、ケニア、セネガルの3カ国というように、有償の円借款協力に応じられる国は極めて少ない。したがって、その他の多くの国々は無償援助の対象国である。その意味で、病院一つを建てるとしても、その医療協力の在り方はアジアとは大いに異なってくる。

参考になるベトナムのケース

現在、日本のアフリカへの医療協力で頼りになる拠点としてのカウンターパートには、インド洋側にケニア中央医学研究所(KEMRI)があり、大西洋側にはガーナ野田記念研究所(野口研)がある。一つの考え方として日本は、この2つの医学研究所をアフリカへの人材育成支援や共同研究協力の拠点(基地)にしながらアフリカへの医療協力を戦略的に進めることも考えられる。これは高いコスト・パフォーマンスも期待できる。

もう一つの視点は、アフリカ各国の医療体制を構築する上で、アジアのケースとしてベトナムの国家医療体制、制度設計を参考にしながらアフリカ諸国に医療の在り方を提言してみたい。

ベトナムのホーチミンシティーには、ベトナム戦争の時代に日本が贈与したチョーライ病院がある。この病院は日本で組み立てられ、それを解体して、そのまま当時の南ベトナムの首都サイゴンに移送し、再度組み立てられたものであるが、ODA実績にはカウントされていない。ベトナム戦争が終息すると、南部ホーチミンのチョーライ病院、中部のフエ中央病院、北部ハノイのバックマイ病院を中心に、ベトナム全体の医療体制が築き上げられた。実に計画的である。

ある時、筆者がホーチミンのチョーライ病院を取材で訪ねると、京大医学部の先生が指導教官として病院を案内してくれた。日本政府は北部のバックマイ病院でも医療協力を実施している。

ベトナム政府の医療体制づくりは南北に地域的な拠点病院を置いて、それらを連携させながら戦略的に全国展開している。その医療体制は、アフリカ各国の医療体制づくりでも参考になるはずである。日本は、そうしたベトナム医療体制づくりに大いに寄与しているので、そのベトナムの経験を生かしながら、一緒に日本のアフリカでの医療体制づくりを進めていくことも一考であろう。

アフリカと日本とASEAN

さらに言うと、たとえば日本からの支援でノウハウが蓄積された東南アジア諸国連合(ASEAN)と一緒に、アフリカを援助するという新しいアフリカ協力の流れを創造することも一つのアイデアとして在り得る。これはまさにアジア―アフリカ連携協力という新しい試みとなろう。

アフリカ諸国への一カ国対応という古典的な二国間協力から、アフリカ対日本+ASEANという、新しい多角的な連携パターンが登場してもよいのではないか。アフリカ援助を二国間ベースで進めるというオーソドックスなパターンから、ASEANと共同してアフリカ援助に当たるという新たなチャレンジがあっても良いのではなかろうか。

これまでのインド太平洋構想は日本、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、そしてインドが大きく前面に出ているように見えるが、その構想の内側に陣取るASEAN、太平洋島嶼国、アフリカ東岸諸国を含むインド洋島嶼国などの存在も大きいはずだ。そこには多様な連携の生まれる可能性が秘められている。

なかでもASEANには中進国へ脱皮しようとしている国々も現れ始めている。すでにシンガポールはインドと連携してアフリカでの飲料水事業に乗り出している。このように、インド太平洋各国が連携することにより大きく発展するチャンスがインド太平洋構想の中に包含されているはずである。そうした新たなビッグ・チャンスを生み出す“アジア・アフリカ連携”を創り出す基盤づくりに、日本のODAが大きな役割を果し得る可能性を考えてもよいだろう。

ODAは二国間だけではなく、多国間での役割も期待されることを忘れるべきではないだろう。

そう考えてくると、TICADも、日本とアフリカという枠組みにだけとらわれず、インド太平洋とアフリカとの連携という新しい枠組み作りへ拡大させて考えるのも、新しい挑戦として夢は広がる。

議論は少々飛躍したかもしれないが、新たな時代はそういう領域にまで広がっているのではなかろうか。その意味で、日本のTICADも、新しい発展を遂げる時代を迎えていると言ってよいであろう。

時代はどんどん進む。これからは間違いなくこれまでのTICADに対して新たな発想と構想が求められている。将来、日本は新しい発想に立って改革していく時代を迎えていると言える。

※国際開発ジャーナル2022年10月号掲載

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