混沌のアフリカ大陸 現地適応の「国民国家」を求めて|羅針盤 主幹 荒木光弥

ケニアからの不安な便り

ケニアの首都ナイロビで、「希望の家」という意味の孤児院マトマイニ・チルドレン・ホームを運営している菊本照子さんからの3月の便りによると、ナイロビの治安は悪化し、日本や欧米からの観光客も少なく、目立っているのは中国人観光客ばかりだという。

おそらく多くの中国人観光客は、アフリカを自己繁栄の新天地だと考えているかもしれない。中国政府もアフリカを中国人の新しい開拓地だと吹き込んでいる気配がある。事実、ナイロビの中国人は地元の商店街に進出して、地元と競争するようにビジネスを展開していて、少しずつ地元民との小競り合いが起こっている。いずれ、民族対立のような紛争が起こる可能性が予見される。

さらに、菊本氏の便りによると、ケニア経済は低迷の一途をたどり、例えば、給料の未払いや遅滞で、国公立の医療関係者や大学関係者によるストライキが頻発しているという。

今年は大統領選挙の年でもあるから、ちょっとしたきっかけで部族対立が暴力化して、かつてのような社会的破壊へ連動する恐れもある。

しかも、今ではケニアのみならずアフリカ大陸が、石油、鉱物資源などの世界的な価格低落で大きなショックを受け、特に資源依存型のナイジェリアなどのアフリカ資源国に痛打を与えている。

治安の悪化は、単なる部族対立だけでなく、経済利権が絡んでくるので紛糾も激しくなる。せっかくアフリカ人による国造りを目指して独立した南スーダンでは、石油利権をめぐって正副大統領が争い、双方の部族の殺し合いへと発展している。平和構築も経済利権争いには勝てない。そうした危険性はアフリカ大陸に深く潜んでいると言える。

とにかく、治安の悪化は外国からのアフリカ投資を足止めする。昨年8月のナイロビでの第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)では、70社以上の日本企業幹部が参加して向こう3年で200億ドルのアフリカ投資を約束している。とにかく、アフリカ開発は民間投資が大きなカギを握っている。政府は100億ドル程度のインフラ投資を目指している。

つまり、港湾、道路、鉄道といったインフラ部門建設を政府(ODA)が担当し、投資環境が整備されると、民間企業が投資活動を行う、というのが民間進出の東アジア的パターンである。インフラ整備では少々の治安の悪さも克服できるが、民間投資の場合は、工場立地といい、雇用関係といい、マーケティングといい、すべて現地社会との関係の中で営まれる。だから、治安の乱れが最大のリスクなのである。

民間投資に暗い影

民間企業にとって、法整備不足、行政能力不足、人材不足などで投資リスクが高い上に、治安が悪くなれば投資意欲は一気に減退する。現在、アフリカ投資のバロメーターとなる商社動向を見ていても、大手各社ともに、だいたい3~4カ国にアフリカ事務所を置いているだけで、全面展開にはほど遠い感じだ。

ある商社マンに言わせると、商社の本格的な企業進出は、今後、5~10年ほどを経ないと見通しが立たないと予測する。その上で、アフリカ・ビジネスは30年ほどの年月をかけないと本物にはならないと見ているから、そう簡単に神輿をあげるわけにはいかないと言う。

筆者が「アフリカはヨーロッパなどへの輸出加工産業の立地にならないのか」と質問すると、輸出加工の進出にしても本格化するのはまだ先のことで、当面はアフリカ市場向けでさえも、インドのムンバイあたりを生産拠点にアフリカ戦略を練る必要があるのではないかとの答えが返ってくる。

さらに、企業からアフリカを見ると、給料の大半を食料費が占めている状況下では、長期の経営戦略に不安を感じると言う。

その商社マンは、ODAによるインフラ整備も大切かもしれないが、まずは国民に安い食料を供給することが先決ではないのかと問いかける。

アフリカのある国では食料の40%を輸入している。そのために支払われる外貨は極めて多額になる。もし、自給率を引き上げて、輸入40%のうちの30%をカバーすることができれば大きな外貨節約にもなり、農業、農村開発への予算配分も大きくなろう。

1960~70年代のインドネシアもコメの輸入比率が40~50%に達したことがあった。日本はインドネシアの自給率の向上に向けて、農業協力を徹底した。そのために病害虫の駆除協力も全国展開した。

その結果、一時は自給率を100%近くまで引き上げることに成功した。大きな外貨節約となり、節約された外貨で工業化に必要な技術、設備の導入を図った。こうしたことが、石油資源依存型でないインドネシア経済の基盤をつくる一助になった。

アフリカ型統治システム

さらに、加えて言うと、インドネシアのスハルト長期政権を“開発独裁”と呼んでいるが、治安を守る開発独裁でもあったから、外国の投資家たちに安心感を与え、立案された開発計画がクリアされていった。そして、所得が上がり、生活が安定してくると文化度も向上し、次に自由、民主化を求めるようになる。こういうプロセスを経て独裁政治も終焉する。

当時、「安定が先か、民主化が先か」の議論が白熱化したことがあった。筆者は「安定なくして民主化への道は遠い」と主張した。これを北京で議論した時は「安定なくして国家の発展はなし」と中国は主張したが、これは先に民主化の見えない国家安定論であったので、論外である。

他方、欧米人は「民主化なくして発展はなし」と主張して譲らなかった。とにかく欧米人は民主化が先だと主張し、民主化したほうが発展のスピードが上がり、早く安定すると言うのである。

ところが、かつての“アラブの春”と言われた民主化運動を見ても、民主化運動が過剰になると社会秩序を崩し、安定を損なう現実が見せつけられた。

したがって、東アジアの奇跡的な発展も、東西冷戦という時代的背景があったとしても、国家の安定が保たれて、外国からの投資、技術の移転が進展して、経済発展を可能にした。

この教訓をアフリカに当てはめるならば、あらゆる英知を集めて、アフリカに部族統合のネーション・ステート(国民国家)を築き上げる、新たな協力が求められているのではなかろうか。ただし、強固なアフリカ部族主義を軽視した形だけの議会制民主主義では、アフリカの安定はほど遠いと言っても過言ではなかろう。

※国際開発ジャーナル2017年6月号掲載

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