ODA改革構想の官民比較 一省プランvs民間版提言|羅針盤 主幹 荒木光弥

改革の担い手は政治家

「ODA改革―5つの提言」の最終報告会が7月28日夜遅くまで政策研究大学院大学(通称GRIPS)で開催された。会合には、外務副大臣から政権中枢の内閣官房副長官へ移動した福山哲郎氏、佐渡島志郎氏(外務省国際協力局長)が特別ゲストで出席した。

民間版「5つの提言」に対して福山、佐渡島両氏は、基本的に大きく反論するところもないと言い、むしろ「5つの提言」の大きな流れは、外務省ODA改革プラン「開かれた国益の増進」(両提言とも本誌9月号に掲載)にも通じている、とのことであった。

しかし、二つの改革案には大きな違いがある。その違いとは、「5つの提言」がオールジャパンとしての戦略的な発想にもとづく改革案であるのに対して、外務省のODA改革案は、ODAという狭い領域で議論した一役所からの提案であると言える。もっと言えば、外務省の「開かれた国益の増進」は「開かれた国益論」という新しいコンセプトも含めて、幅広いオールジャパンの考え方がどこまで盛り込まれているかは定かでない。また、官民連携がODAの主要テーマになっている時に、「民」は「民」でも途上国への貿易、投資を担う貿易、産業、金融などの関係者の同意がどこまで得られているのかも定かでない。

福山氏は「外部に依存せず、外務省内で外務官僚が一致団結して作業を貫徹した。ここは役所の力量を見せなければならなかった」と強調している。ところが、MDGs(ミレニアム開発目標)では教育、保健医療などが重視されている。教育はその専門グループ、保健医療もその専門グループとの議論、調整も必要となろう。「5つの提言」では、ODA政策立案を担当するに当たっては教育、保健医療といったセクターのオールジャパン的な「オールスターチーム」を編成して、タテ割行政の弊害を排除するよう努力すべきであると述べている。だが、そうした役割を担うのは政治家である。それには相当な政治力を要するからである。だが、果たして政権党の民主党の誰がODA改革の原動力になるのか、今のところ五里霧中で先が見えない。

国家戦略の視点

外務省は「開かれた国益の増進」として3点を挙げている。

第1に、「わが国の平和と豊かさは、世界の平和と繁栄の中でこそ実現可能…」という考え方は、2003年の「ODA大綱」の理念と変わりはない。私は、その頃の日本と現在の日本を取り巻く環境が大いに異なるので、むしろ、より積極的に「日本が子々孫々まで厳しい国際環境の中で生き抜いていくためにも将来への国家的戦略を念頭に置いた開発協力を強化していく」と言ってもらいたかった。そうでも言わないと、内向き世相は開発協力に敏感に反応しないのではないだろうか。他方、世界はG7がG20へ拡大しているように地殻変動を起こしている。

第2に、「途上国への援助は先進国から途上国への“慈善活動”ではなく、わが国を含む世界の共同利益追求のための“手段”である」は、考え方としては的を得ている。JICAの緒方理事長も早くから「ODAはチャリティーではない」と言っている。ODAは、まず国が自立できる政治的、経済的基盤整備を助けながら、こうした国造りを可能にする人材の育成(教育)に、その基本を置くことであろう。とくに、アジアの経験にもとづくと経済の自立的発展は自然な形で国家(社会)の繁栄と民主化を促すことを立証している。

しかし、そのプロセスで成長政策の恩恵からこぼれる人たちが生まれる。そこを草の根的に助けられるのがNGOグループではないかと思う。その意味で、ODAはこうした社会的配慮が必要となるので、比重のかけ方は異なるものの、ODAにはこうした2つの役割があることを忘れるべきでない。その辺のキメ細かい説明が必要ではないだろうか。

第3に、「人」、「知恵」、「資金」、「技術」をすべて結集した「オールジャパン」体制で開発協力に取り組むとしているが、どういうメカニズムでオールジャパンを実現するかについては「ODAの見直し」に反映されていない。

それは、たぶんにオールジャパンODAを強く意識しても、外務省ODAという限定的な役割が本格的なオールジャパン論にまで発展させることができなかったと思う。こうした霞が関の限界を破るには、「5つの提言」にあるような、オールジャパンとしての改革案を政党、政治家が実行すれば見直しのリアリティーは出てくる。

開発協力ストーリーがない

次に、「開かれた国益の増進」では、「ODAを見直した結果」としての8つの指摘を行っている。

第1に、「…ODAを開発協力の中核として位置づける」とあるが、真に官民連携を行うならば、ODAは実施の中核ではなく、連携の促進“まとめ役”、“調整役”としての中核であってほしい。まだODAが中核だと思っているところに時代の流れとのズレが生まれているのではなかろうか。

第2に、重点分野を「貧困削減(MDGs達成への貢献)」、「平和への投資」、「持続的経済成長の後押し」の三本柱に集約しているが、この三本柱が無難に配列されているだけで、そこに筋立てが見られない。あまりにも国際的な慣行に沿っていて、日本独自の開発協力ストーリーが見えてこない。“日本のアジアの経験”に従うならば、まず先に「持続的経済成長の後押し」ありきではないだろうか。「貧困削減」は成長の下で実現できるものである。貧困削減が進むにつれて、「平和」が見えてくるし、そのなかでの「平和への投資」もより効果的である。つまり、開発協力のプロセスで派生する紛争に平和への投資が行われることが、これまでの開発協力の基本的な考え方である。本来、ODAはそういう役割を担っていたが、最近では思想的、宗教的信条の違いから生まれた一国内紛争(戦争といったほうが良いかも)に、軍事行動と抱き合わせで開発協力が行われている。それが平和のための軍事行動ではなく、体制を決めるバトルに発展している。ここらでもう一度、開発協力を再定義する必要があろう。

第3に、国民の理解と支持を得るために、誰でもアクセスできる情報開示を行うとしているが、より本質的な議論をするならば、まず、ODAが国民を代表する国会議員、そして国会の不評あるいは不信をかい、支持されていないことに目を向けるべきである。とくに、若年層の国会議員は与野党に関係なく、延々と続いてきたステレオタイプのODA罪悪説が学生時代から吹き込まれている可能性がある。そこで、政治家の再認識教育という点からも、日本の国際政策としての開発協力が国会の場で論議される仕組みを制度設計できたら、それは同時に“国民教育”、真の“情報開示”になるのではないだろうか。“見える化”といった狭い範囲の対応では、国民レベルの不支持対策にはならない。むしろ長期的には次世代の教育を目指して、今から“開発教育”を地道に広げていったほうが将来への展望が開ける。

第4に、開発協力のための総合的な資金調達として、ODAのみならずOOF(JBIC=国際協力銀行の民間投融資あるいは日本貿易保険との連携)などへ枠組みを拡げた考え方は、真の連携協力を実現する方法である。

第5に、高く評価している点を挙げると、「国際社会におけるリーダーシップの発揮」である。なかでも、「新興ドナー、地域との連携」はこれまでになかった提示で、とくに、知的協力の地域のネットワーク型連携を新興のアジアで展開する意義は大きい。これは新しいODAのアジア政策であり、新興国が育ちつつあるアジアへの対応として特筆すべき政策志向である。外務省は全方位外交を目指していても、もっと地域外交に根付いた開発協力政策を打ち出すべきである。

※国際開発ジャーナル2010年9月号掲載

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