国際人の卵たち
最近、私は若い人たちとの二つの出会いで、霧のかかっていた心に晴れ間が見え始めている。
一つは、早稲田塾での講義。もう一つは京論塾での講演。
早稲田塾の方は大学進学予備校ではあるが、学生たちの将来を見越して国際人としても活躍できる素養を身につけるためのプレミア的な試みといえる。講義の対象は高校生とその父兄、高校生の勉強をアシストする大学生たちであった。この塾生たちは通常の進学のための勉強を終えた夜の7時から9時頃まで教養を高めるために、更なる社会勉強に挑戦しているのである。相川塾代表によると、希望者の中から厳選された学生たちが「国際開発-開発援助」の講義を受けることになったと語っていた。この企画はFASID(国際開発高等教育機構)の試みなのである。
「開発援助とは」という難解なテーマを講義する方も大変だが、いくらわかり易く話をしても聞く方はもっと大変だと思っていた。ところが、質疑応答の時間になると、「援助が本当に貧しい人たちに届かないとは、どういう意味ですか」という第一弾が飛んでくる。そこは丁寧に援助される国の政府の腐敗構造と、それを解決するために民主主義を根付かせる協力、さらに民主主義を覚醒させるための初等教育など教育の普及協力、政府の行政能力の向上のための協力などを解説する。学生たちの顔を見ていると、“納得”の笑顔が見て取れる。素晴らしい理解力である。
次の質問はもっと凄い。「私は今、BOPビジネスの勉強をしています。しかし、具体的なイメージが湧いてこないので、もし具体例があるならば教えてほしい」という。本当に驚いた。高校2年生の彼女からこんな質問が飛び出そうとは想像だにしていなかった。世の中にはレベルの高い学生もいるんだと思うと、世間で一般的にいわれている“内向きの若者現象”を鵜呑みにできないな、と思った。
どの国でも国際派といわれる人びとはひと握りであるが、それらが国の国際化をリードしている。あのアメリカを見ても地方に行くと世界地図もわからない人たちが多い。それでもアメリカは世界のリーディング・カントリーである。だから、“外向きの若者”を育て上げて、日本の国際派をリードする牽引車の役割を担ってもらわなければならない。その意味での“英才教育”である。
もう一つの京論塾の方は、東大生の本誌愛読者がいて、その彼女が私の講演を企画した。彼らによると、京論塾とは、毎年夏、東大、北京大生が日中間の様々な問題を討論する団体だという。彼らは質の高い議論を求め、著名な研究者、実務家を迎えて勉強会を開き、自己研鑽を続けているようだ。
歴史から未来を学ぶ
私に対しては、温故知新という意味で、日本の対外援助史を学び、その歴史から日本の将来、日本と中国の将来、そして自分の将来をその歴史に重ね合わせながら発見、発掘したいと語っていた。とにかく、彼らは人びとの「原体験」を重視する若者グループである。最近の若者たちの一般的傾向は、同年代が横並びにグループ化し、連携することが多いとみられている。だから、「原体験」といっても人生の教訓になるような原体験を聞くことができない。
一方、30年ぐらい前の世代は今のようなヨコ軸の人間関係だけでなく、先輩、後輩というタテ軸的な人間関係を尊重していた。「先輩から何でも学び取る」。なかでも「人生術を学び取る」ことが大きなターゲットであった。また、タテの人間関係はビジネスを展開する上でも有利である。
そう思うと京論塾の若者たちは鋭い視点をもっているといえる。なお、付け加えると、若者たちの全員が大学生だけでなく、すでに実社会に出て企業で、養殖漁業など個人事業で日々悪戦苦闘している若者たちも含まれていた。全員、自分の豊かな人生を開拓しようとしているので、話をしていても、その熱心さが格別であった。要するに、彼らは私の43年間の体験に基づく日本の援助史を学び、世界の変化や日本の変化の仕方を学習して、自分たちの生きる方向を探ろうとしていた。
そのレベルも高い。その一端を紹介しよう。東大生が質問した。「日本では“人間の安全保障”が大きな理念として打ち出されているが、これは日本の政策になれるでしょうか」。即答しなければならない。私は次のように答えた。人間の安全保障という考え方は、一つの理念であり、思想である。ある意味でキリスト教やイスラムに匹敵するぐらいの普遍性をもった世界的思想、時に世界的な宗教ともいえる人類の教えであると考えている。
それは日本国憲法前文にも明記されている。私たちは誇るべき憲法をもっている。しかし、現実には憲法前文の思想通りに事は運んでいない。だから、人間の安全保障を援助政策化することは大変むずかしい。よしんば政策化してもどこまで実施されるのかは定かではない。
たとえば、2000年に国連のMDGs(ミレニアム開発目標)が採決され、教育の普及、保健衛生など8つの政策目標が設けられた。しかし、現実は先進援助国からの資金拠出がノルマ通りに集まらず、挫折感が漂っている。政策というのは資金の裏付けがないと予定通りに実現されない。問題は援助国である日本の納税者に対して、人間の安全保障政策がどのくらいの説得力をもっているかにかかっている。
難題山積
その視点で現下の外務省当局、実施機関JICAの動向を見ていると、人間の安全保障という理念をかぶせた援助政策を国民に理解してもらうことに四苦八苦している様子がうかがえる。国益(国民の利益)に裏付けされた政策のアピール力、政策の迫力がないと、自ら、われらは貧乏だと思い始めている多くの日本人を説得することはできない。説得できないから、ODA予算を増やせない。だから、迫力のある政策不足と予算減少との悪循環を断ち切れないでいる。
多くの人びとの理解を得る政策は単純明快でなければならない。難解な説明を加えないとわからない政策は初めから不利である。その典型が人間の安全保障であるといえないだろうか。ただ、私はこの思想を発想した人は非凡なれど、それを政策化する人びとが凡人なるゆえに国民の理解を得損なっていると思う。
もう一つの質問は日本のODAを研究している中国学生からであった。東大生の彼女いわく「日本の対中援助は経済的動機から開始されたのか。その歴史を教えてほしい」。
私は1980年春、初めての対中円借款プロジェクトの予定地を訪ねたが、当時、私の恩師の大来佐武郎外務大臣は、「対中経済協力は“開かれた中国”を願う日本の外交政策として掲げたものである」と強調していた。中国はひとたび資金と技術の提供を受けると自力更生で改革・開放を前進させた。
日本からの円借款協力はすべてアンタイド(日本のヒモの付かない援助)であったので、その建設プロセスに日本企業が大きく介入することはできなかった。対中経済協力で日本企業がビジネス・チャンスを得ることは不可能だった。ただ、目下、日本企業はむしろ中国の経済成長の恩恵を受けている。
質問した中国学生は納得してくれた。歴史はウソをつかない。京論塾グループが歴史に学び、自分たちの将来を発見する試みに喝采を送りたい。私たちは決して“内向き志向”の若者たちだけではないことを知るべきである。若者たちには明るい未来のあることをここに示唆してみたかった。
それにしても、この“外向き”の若者たちが世界にはばたくチャンスをどうしたらつくることができるのか。国際協力の世界も自分の領域だけにとどまらず、全日本的な立場で“官民連携”を推進して他領域との連携を深めながらオールジャパン化する時代を迎えているといえる。
※国際開発ジャーナル2010年7月号掲載
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