懸念される絵に描いたモチ
開発コンサルタントが開発途上国援助で大きな役割を担ってきたことは周知のことである。
その開発コンサルティング企業が結成した「海外コンサルティング企業協会」(ECFA)が、創設50周年を迎えて、その記念として、去る5月30日に個人部門で10人とプロジェクト部門で8件が表彰された。
ところが、そのECFAも今では大きな時代の節目を迎えていると言える。
それは、官民連携の時代に開発コンサルタントとして、ちゃんと対応できるかどうか、である。端的に言うと、多くの開発コンサルタントが開発協力において、その目線を日本経済、実業界へ向けて連携行動を取れるかどうかである。
もっと言えば、日本の産業界の技術と連携する形で開発途上国援助計画を組み立てることができるかどうかである。
それは第1に、開発途上国側に偏重した援助思想に包まれた援助事業、調査を長年にわたり受注してきたこと、第2に、援助事業が公共事業と同じように、企業との緊密な接触を避けるよう誘導されてきたことなどが大きく影響しているとも言える。
一方、援助事業の発注者側である国際協力機構(JICA)には官庁レベルの政策、技術に長年依存してきたので、企業経営、企業技術・ノウハウへの理解に大きな乖離が生まれた。それは、さきに述べたように、政府開発援助(ODA)の官民癒着を警戒したことで、日本企業の有する技術への理解が進展しなかったとも言える。それは、またJICAの発注に多くを依存する開発コンサルタントの行動規範に大きな影響を与えているかもしれない。
したがって、安倍首相が提唱するインフラシステム輸出戦略に官民連携で具体的にどう対処したらよいのか、戸惑うばかりである。今のところ、その筋道が見えてこない。開発途上国への大型インフラ輸出は、経済界だけで推進することはできない。経済界、官界、援助界(開発コンサルタント)との連携が計画化されない限り、絵に描いたモチになってしまう。
たとえば、最近、農林水産省の音頭取りで「グローバル・フード・バリューチェーン戦略」が多くの関連する民間企業とのタイアップで動き始めようとしているが、ここでも戦略のベースラインを強化するためにはどうしても政府の開発協力との連携が必要になってくる。こうしたケースは大型インフラ輸出戦略でも同じであろう。
ニッポン株式会社夢物語
しかし、オールジャパンとして、こうした大計画を押し進めていくためには、本来ならば、途上国人脈に明るい開発援助関係者、なかんずく開発コンサルタントが道案内人を務めるべきではないかと考える。しかし、現実は暗い。そこで、日本の開発コンサルタント元祖の日本工営創設者・久保田豊氏が高く評価された「ニッポン株式会社」夢物語を紹介してみたい。
今から19年前の平成7年(1995年)4月号の「プレジデント」誌で、毎日新聞出身の経済評論家・硲宗夫(はざま・むねお)氏が「シミュレーション―史上最強の役員陣」と題して、混迷から抜け出せない経済大国を救うために「ニッポン株式会社」を再建する夢物語を書いた。時は「政治は三流だが、経済は一流」と言われる時代であった。だから、当時は世界に通用する一流の経済人をもって「ニッポン株式会社」の夢の役員人事を決めたのである。
会長・中山素平(日本興業銀行)、社長・石坂泰三(第一生命)、副社長・木川田一隆(東京電力)/筆頭専務・土光敏夫(東芝、石川島播磨重工)、専務2は井深大(ソニー)、専務3は宇佐美洵(三菱銀行)/筆頭常務・久保田豊(日本工営)、常務2は亀井正夫(住友電気)、常務3は中内功(ダイエー)、常務4は樋口廣太郎(アサヒビール)、常務5は稲盛和夫(京セラ)という布陣。なお、顧問団筆頭が松永安左エ門(旧東邦電力)、次いで太田垣士郎(関西電力)、松下幸之助(松下電器産業)という錚々たる顔ぶれ。
とにかく開発コンサル業界として興味を引くのは、なんと言っても「ニッポン株式会社」の営業第一線でトップに立って指揮する人物に日本工営創設者の久保田豊氏が採用されていることである。
今こそ求められる人物像
「異色の人が久保田である」と、この記事の筆者は綴っている。戦前に日本窒素肥料の野口遵とコンビを組み、朝鮮北部の水力開発に取り組み、鴨緑江の水豊ダムを建設した。「ダムの久保田」の名声はすでに世界にとどろいていた。終戦に伴って内地に引き揚げたが、昭和29年(1954年)、ビルマ(現ミャンマー)のバルーチャン発電所の調査設計を受注したのを手始めに、再び世界の舞台に乗り出し、国際建設コンサルタントとして活躍した。メコン川の発電工事の際は、現地で「メコン将軍」と敬愛された。ガーナのエンクルマ大統領から「若さの秘訣は」と聞かれ、「仕事を食っているから」と答えた話は有名だ。この豪快な久保田が専務・常務陣のリード役を務めてくれると述べている。
このように、久保田氏は日本経済の前線で戦える人物として知られていた。おそらく今、彼が生きていれば、多くの開発途上国首脳部との強いコネクションで前途多難な「官民連携」の先頭に立って経済界をリードしているに違いない。
久保田氏を“時代の置き土産”と評せずに、今の時代に必要な人物像として追いかける夢をもってもらいたい。世界は久保田豊を認め、昨年、スイスに本部を置く国際コンサルティング・エンジニア連盟(FIDIC)は100周年を記念して、100周年記念賞を個人部門で久保田豊氏に授与している。
こうした逸材が生まれるよう、政府も援助発注の制度設計などをダイナミックに改善していく必要があろう。とにかく「箱入りコンサルタント」にならないように、潜在能力が十分発揮できるような自由度の高い制度設計が求められている。
※国際開発ジャーナル2014年7月号掲載
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