日本国憲法と国際協力 脆弱なインド太平洋構想|羅針盤 主幹 荒木光弥

憲法前文にODA大原則

8月15日は太平洋戦争終戦記念日。私たちは、悲惨な太平洋戦争を冷静に振り返りながら、日本の将来を考える良い機会にしなければならない。

日本は1945年(昭和20年)8月15日、米国を中心とする連合国に対して無条件降伏した。あの長崎、広島への原子爆弾投下という激烈な衝撃は、旧軍部の戦争への狂気を屈服させる大きなインパクトになった。私たちは、長崎、広島の多くの犠牲者に深い哀悼を込めて、戦争の悲惨さを未来永劫に語り継がなければならない。

終戦後の日本にとって、最初にして最大の仕事は新しい日本人の生き方を決める日本国憲法を制定することであった。日本は1947年(昭和22年)、試行錯誤の末に、新しい日本国憲法を制定した。この新憲法は通称、“平和憲法”と言われている。

日本は新憲法の下で戦争賠償援助から始まった経済協力、そして国際協力(政府開発援助=ODA)を今日に至るまで延々と実施してきた。国際協力のスピリットは、次のように日本国憲法の前文に明記されている。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」。そして「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(中略)日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」。

このように、憲法前文には戦後営々と続けられてきた日本の国際協力の大原則が明記されている。日本は戦後の賠償援助から始まった開発途上国への経済・技術援助、人道に基づく国際協力を幅広く継承してきた。「日本の対外援助、国際協力は外圧によって促進されてきた」と言う人もいるが、その基本路線は日本国憲法に基づいており、外圧によって促進されたという意見もあるが、それは援助増額を求める外圧であって、本流の見解ではない。

2030年に向けて世界が合意した「持続可能な開発目標」(SDGs)も、そのスピリットにおいて日本の求める国際協力思想と同じ路線であると言える。

揺らぐインド太平洋構想

ところが、最近の新聞論調の中には、巨大化する中国に対処してODAに政治性が求められ、軍事協力と協同する形で、その重要性が強調されている。なかでも東シナ海で中国と領海問題を抱えているフィリピン、ベトナムへの沿岸警備艇の供与などは、典型的な事例だと言える。もっと大きく言うと、日本の提唱する「自由で開かれたインド太平洋構想」にしても一種の“中国封じ込め”と言えないことはない。したがって、こうした構想に絡むODAは、まさに中国封じ込み援助と言われても反論できないだろう。

そうした意味において、インド太平洋構想はどう見ても単なる平和志向政策とは言えず、極めて戦略性の高い政策的構想と言っても過言ではない。

ところが、この構想に関しては肝心の東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本は、同床異夢の関係にあると言えないだろうか。ASEANは中国を巨大な貿易相手国として頼りにしており、付かず離れずの微妙な間合いで巧妙に対応している。そして、インド太平洋構想でも中国と一定の距離を保ちながら、独自の構想を模索している。

つまり、ASEANは巨大な中国市場を見込みながら独自のインド太平洋構想を目指しているように見える。その意味において日本のインド太平洋構想は実に脆弱な基盤の上に立たされているのではなかろうか。

最近、一部の新聞論調では中国の海洋進出を懸念して、日本はASEANへの軍事力強化にも戦略的に援助の手を差しのべるべきだという考え方を提示している。だが、そうした考えは日本の一部の人たちの願望であって、ASEANとしては絶対に受け入れられない考え方と言えるであろう。日本のフィリピン、ベトナムへの沿岸警備艇の供与は、東シナ海における警備力を高めるだけの限定的な協力であって、ASEAN全体に通用する協力事業ではないと言える。

ところが、一方でカンボジアは港湾開発で中国からの援助を受けており、ミャンマーには国土を横断する中国の石油パイプラインが敷設されている。このように、大陸部ASEANとフィリピン、インドネシア、シンガポールなどの海洋部ASEANとの対中温度差は微妙に異なる。

求められる高度なアジア政策

そういう複雑な事情の中で、日本はいとも簡単に「インド太平洋構想」を口にするが、より厳しく見極めると、それは“仮説の政治的構想”としか言えないこともない。ASEANのある政治家は、疑い深く「日本はこの構想に、資金をいくら用意しているのか」と尋ねる。ASEANは日本の足元を見透かしながら、そして、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを天秤にかけながら、独自の「インド太平洋構想」を検討しているように見える。

日本のメディアは、岸田政権の「太平洋構想」を盛んに報道しているが、それは残念ながら日本だけの話であって、ASEANは独自に、いわゆるグローバル・サウスの立場で中国をも包含したインド太平洋構想を練っているようだ。日本としては、インド太平洋構想が“国際的な茶番劇”だと言われないためにも、どう対処していけるのか、引くに引けない立場に立たされていると言える。間違えば、日本のアジア外交への信用度が大きく後退することにもなりかねない。日本にとって、ロシアを敵に回すウクライナ絡みの対米外交も大切かもしれないが、最終的にはアジアへ回帰することになるに違いない。大きく発展するアジア、中でも東南アジアの次世代へ向けての発展へ、日本はどう対処するのか。高次元のアジア政策を探求する時代へ日本は向かっていると言える。ところが、現実には高度成長するASEAN諸国向けの、次世紀への政治・経済レベルの協力政策が見えてこない。

今や日本のASEANへの財産とも言うべき大きな投資残高は日本経済の屋台骨となっている。そういう状況にもかかわらず、日本のASEAN政策、なかんずくODA政策においても、ODA卒業国扱いで終わり、躍進するASEANへの先進的で高度な日本の協力政策が見えてこない。

日本は大きく進歩するASEANにふさわしい高レベルのASEAN協力政策を議論、検討する時代を迎えているのではなかろうか。これは、中進国レベルの協力政策と言えるもので、日本の政策的な力量が問われていると言える。

※国際開発ジャーナル2023年8月号掲載

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